「随分と羽振りの良い――」
「話題のベルニクですよ」
「いや、銀冠の令嬢は
「元長官だろう。今はベルニクの食客と聞く。彼女は未来のお妃候補――」
「羨ましいことですなぁ」
バカラテーブルにチップの山を積んでいるマリとクリスを遠巻きに、人々は好奇と嫉妬を抱きつつ互いに囁き合っていた。
近頃のインフィニティ・モルディブでは二人の名が話題に上らぬ日はない。
彼女達が若く美しい──だけでなく、トールの期待に反してクリスが運試しに勝ち続けていた為だ。
「マリーア卿、お疲れでしょうか?」
ジャンケットのユキハが、艶やかな黒髪をかきあげながら尋ねた。
この仕草に
「いいえ」
ジャンケットと親しくなるようトールから依頼されているが、他者と親密に接するのは元よりマリの得意とするところではない。
「あるいは――バカラにお飽きになったのかもしれませんわね」
彼女達の収入源はカジノからのリベートであり、顧客に博打をさせなければ何も始まらない。
「ごめんなさい」
食事よりもバカラを優先するクリスと異なり、マリは賭博行為に身が入らなかった。
一方のクリスは、信仰と生家の危機で穿たれた心の穴を、脳内麻薬の放出で埋め合わせている可能性がある。
――さすがに人選を誤ったのではないかしら。
――このままでは、クリスが壊れてしまいそう……。
と、マリは懸念していた。
――トール様が来たら相談しなければ駄目ね。
「では、少し気分転換できる場所へご案内いたしましょうか?」
クリスを心配するマリの表情を、女男爵の倦怠と解釈したのかもしれない。
ジャンケットのユキハは場を取りなすような明るい声で告げた。
「トール様も大変お気に入りの場所でした」
「え――それは――」
どこなのだと問おうとした時、隣に座るクリスが雄叫んだ。
「んきゃああ、マリっ!! ――に、二十連勝したわよっ!!!」
◇
娘のクリスが賭博の蟲毒に蝕まれつつあった頃、フィリップとレオンはオリヴィア宮を訪れていた。
親子二人は、謁見の間で女帝ウルドの来訪を長らく待たされている。
フィリップ・ノルドマンに伯爵位があるとはいっても、旧帝都を追われ、蛮族の虜囚という辱めを受け、現在はベルニクの食客に過ぎないのだ。
謁見の機会を得られただけでも感謝すべきなのだろう。
フィリップは、
厚かましい仕儀との自覚はあったが、さりとて他に頼れる相手もいなかった──。
領地を持たぬノルドマン伯爵家は、忠実な廷臣として代々の
帝国近衛師団を統括する栄えある役職だった。
翻って、新生派帝国においては未だ近衛師団が整備されていない。
当然ながら
公領で帝国兵だった者達を衛兵として身辺警護をさせている程度である。
――これでは、いかん。
――銀河の支配者たる女帝陛下には、鍛錬を積んだ忠義に篤い近衛師団が必要である。
――銀獅子の旗下に笑んで死ねる男衆がっ!!
近衛師団が叛乱軍に大敗したイリアム宮の汚名を、フィリップは返上したいとの強い思いもある。
故に、ゼロから近衛師団を作るという大仕事を欲していたのだ。
「――お父様」
隣に立つレオンが、物思いに耽る父に声を掛けた。
「む――どうした。お前も、喜びが溢れそうなのか?」
此度、ノルドマン親子が女帝直々に呼び出されたのは、トールの肝煎りで
必然的にフィリップは滾っている。
「いえ。ただ、陛下が遅いなぁと」
「こ、こら――」
不敬に当たるとフィリップが嗜めようとした時――、
「済まぬ」
奥の緞帳に隠れた扉の向こうから、急ぎ足で女帝ウルドが登場した。その後ろに続くのは、名誉近習レイラ・オソロセアのみである。
仰々しい口上も、荘厳な鳴り物も、宮女達の行列も――
――これが――新しい世か――。
フィリップとレオは女帝ウルドの前に跪いた。
「良い。上げよ」
女帝ウルドは、玉座に腰を落とすなり告げた。
「よう来た、フィリップ伯。イリアムでは世話になったな」
これは棘だろうか、それとも時候の挨拶なのか――暫しの間フィリップは返答に窮した。
「――は、はぁ」
その為、些か気の抜けた返事となる。
――駄目だ。これでは駄目だぞ、フィリップ。気概を見せねば――、
「陛下っ――そ、
「頼みがある」
ウルドは、フィリップの口上になど何の興味もない。自らの用件のみを伝える腹積もりである。
――頼み? ――や、やはり――やったぞ。やりましたぞ、トール伯!
――この御恩は忘れぬ。娘が欲しいと仰るなら――いや、いっそもう無理矢理にでも……。
「半年ほど後になろうが、一家共々ベルニクから転居を致せ」
「ははっ!」
フィリップは弾む気持ちで応えた。
「トール――いや、権元帥も屋敷が手狭となり困っておろうしな」
食客が多いのは事実である。
「半年と言わず、私は今すぐにでも構いませんが――」
フィリップ本人も食客として世話になり続けている事には忸怩たる思いがあった。
「ほう、豪気な事を申す。権元帥の傍に在ったせいかもしれぬな、ホホホ」
ウルドが楽し気に笑うと、傍に控えるレイラも口許を押さえた。
「だがな――」
そう言うと、一転して厳しい眼差しとなる。
「未だ呆けた子熊が遊んでおる。暫し待て」
はて? 何の話なのだろうか――と、フィリップ・ノルドマンは思った。
◇
「海――」
連れて来られたのはカジノの裏手に拡がる白い砂浜だった。
大司教パリスが言う通り、インフィニティ・モルディブは地表世界に巨大なリゾート施設を擁している。
彼女達が利用しているカジノも地表世界に存在した。
「初めてですか?」
海風に
「ううん」
マリは首を振った。
裏切り者の墓標となった世界で、一度は海を見ている。
「ただ――こんなに綺麗じゃなかった」
陽光を浴びた海原がエメラルドグリーンに輝き、打ち寄せる波の音も心地が良い。
帆を膨らませた何隻かのヨットも見える。
――ここが――好きなの――?
マリは意外に感じていた。
現在のトールならばいざ知らず、アホ領主であった頃の彼は遊び呆けるセクハラ男だったはずだ。
「好きな場所は――海――」
そうマリが呟くと、傍に立つユキハが海の向こうを指差した。
「正確に申しますと――ええと、あれが見えますか?」
ユキハの指し示す方向には小島があった。
「あの島へボードで行かれる事が多かったですね」
道楽者時代のトールならば、ボートを所有していても不思議ではない──とマリは思った。
そして同時に、彼女はユキハの言葉に、奇妙な違和感を感じ始めてもいる。
――"トール様も、大変お気に入りの場所でした。"
カジノフロアで、彼女はそう言ったのだ。
「とても、大切な場所に似ている。そう、あの方は仰っていました」
――なぜなの?
「砂浜で殺し合った――なんて――」
――なぜ――あなたは――、
「本当に不思議な話をされる方だったんです。そういえば――」
――全てが消えてしまったみたいに言うの?
「とても大きな――」
「やめてッ!!」
次の瞬間、自分でも驚くほどの強さでユキハの頬を打っていた。
「やめなさい! だって――」
これほどに激する理由は分からない。
だが、言わずにはおれなかったのだ。
トールの全てを過去形で語る女に対して、マリーア・フィッシャーは宣する必要がある。
「生きている。