衝撃の記者会見から一ヵ月が過ぎた。
その間トールは、フリッツとポーカー遊びに興じていただけである。
少なくとも執務室を訪れたロベニカにはそう見えていた。
「だから、ニマるなって何遍言ったら分かるんだ?」
「え、ああ――すみません。何だかフォーカードが揃ってしまいまして」
「――チッ」
舌打ちをしたフリッツは、手持ちのカードを宙に放った。
「ホントに何なんだよ、あんたは?」
確率の偏りである。
豪運――とでも呼べば良いのだろうか。
「何なんでしょうね、アハ」
「トール様ッ!」
「は、はいっ」
カードから目を離すと、冷たい眼差しで腕組みをしたロベニカが立っている。
「いつまで遊んでるつもりなんですかっ!!」
空気を読んだフリッツは、そそくさとカードを集めて胸元にしまい込んだ。
「すみません、ロベニカさん。つい楽しくって」
そう言って素直に頭を下げる領主にロベニカは小さく息を吐いた。
「ふぅ――。楽しまれる事は良いのですが――」
インフィニティ・モルディブへ繰り出さないだけでも、過去のトールとは違うのだと自身を納得させてから本題に入った。
「調印式が無事終わったとの報告がヨーゼフ長官から入りました」
ベルニク、オソロセア両領邦の同盟調印式がオソロセア領邦の邦都で行われている。
全権を委任された統帥府長官ヨーゼフ・ヴィルトが訪れていた。
「これで安心です」
名実共、トールが領邦軍を機動的に動かし易い条件が整ったのだ。
「本当に――よくここまで」
ポーカーの一件を忘れ、ロベニカは感慨深い思いに満たされている。
「この平和を活かし、堅実に領邦を富ませていけば――」
ロベニカの脳内に輝くようなベルニクの未来図が
「トール様――私――あの――トール様の――」
「さ~て」
と、席を立ったトールが大きく伸びをした。
「そろそろ、インフィニティ・モルディブにでも繰り出しますかぁ」
◇
「伯が?」
報告を受けたグリンニスの
トールが中央方面管区艦隊及びフェリクスに派出していた艦隊を率いてきたのだ。
「はい――ポータル通行の許可を求めております」
女帝の勅命なく艦隊がポータルを平和裏に通るには相手領邦の許可が必要である。
「クルノフに行かれるのね」
ベルニクからは、帝都フェリクス、カドガン、そしてサヴォイアを経由しなければならない。
「クルノフ領邦を潰す気では――との噂もありますが……」
そう言ってフォックス・ロイドは、細い目をさらに細めた。
インフィニティ・モルディブで莫大な借財を作った男が、ベルニク艦隊を率いてクルノフ方面に向かっているのだ。
良からぬ噂が流布されて当然だろう。
「所詮は噂よ」
「――蛮族よりも蛮族――とのベルニク評には、頷ける部分もありますが――」
「あら、手厳しいのね」
彼の莫大な借財が白日の元に晒されている以上、いかなる「名分」にも大義が生まれない。
弱兵のクルノフを蹴散らしインフィニティ・モルディブを灰燼に帰したとしても、トール・ベルニクが失うのは築き上げた信頼と信義である。
――そんな悪手を彼が打つかしら?
実はフォックス自身も噂など信じていなかった。
グリンニスの手前、少しばかりトールへの雑言を口にしたくなったに過ぎない。
「ともあれ、通ると申される御仁には何と?」
「勿論、お通り頂くわ。ところでトール伯は補給と休息を所望されていないのかしら?」
自分自身の為に、グリンニスはさらに寛大な申し出をした。
◇
カドガン領邦の邦都は惑星アリアンロッドの軌道都市である。
邦都防衛を担うマビノ基地に旗艦トールハンマー及びベルニク艦隊が降下する様子は、カドガン領邦内で緊急速報として広く報道された。
数カ月前には戦火を交えた敵同士であり、尚且つ異様な形状の旗艦は見る者を少なからず不安な思いにさせただろう。
当の本人は至って平和な笑みを浮かべてグリンニス・カドガンの向こう正面に腰掛けているが──。
「休暇を取り損ねていた方もいたので助かりましたよ」
グリンニスの屋敷を訪ねたトールは、彼女のプライベートな応接室に招かれていた。
「本来なら私が出向くべきところなのですが――」
マビノ基地での出迎えを控えた事を詫びた。
先のフェリクス急襲を原因として、同僚や友人を失った者が何れの陣営にも多数存在する為、余計な混乱が発生するのを避ける安全策を取ったのだ。
故に、僅かな近習のみを連れてグリンニスの屋敷を訪れた男の豪胆さを改めて彼女は畏れた。
「いえいえ。こちらこそ、唐突に押しかけてしまいまして──」
一万隻を超える艦艇を引き連れてきたのだ。
「三日も停泊して頂けるのですから――マビノの街が潤いますわね。フフ」
実際には補給など不要だったが、この機会にカドガン領邦と
マクギガンが寝返った今となっては、帝都防衛におけるカドガンの重要性は増していた。
「ところで、伯は、どちらに宿泊されるご予定ですの?」
「え――ああ、ボクは旗艦に戻って寝ますけど」
改めて宿泊などと言われトールは戸惑った。
遠征時の寝る場所ならば決まっているのだ。
旗艦トールハンマーは居心地が良いし、猫――みゆうとの会話も心を和ませる。
「まあ」
グリンニスは瞳を見開いて大仰に驚いて見せた。
「いけませんわっ! そんなっ」
「そ、そうですか?」
相手の剣幕に、トールの方が驚いた。
――そんなに、いけない事を言ったのかな?
「是非にも、当家でゆるりとお休み下さい」
老獪な女が、あどけない幼女の笑みを浮かべて告げる。
「当家のウェルシュラムは絶対に味わって頂きませんと、先代に私が顔向け出来ませんの」
◇
「――なんて事だ」
食事を運んでくる使用人との会話は、外部情報に触れられる数少ない機会である。
後は
「か、彼が――彼が来ているのか――ここに――」
使用人からその名を聞いて以来、ハンス・ワグネルは両手の
――晩飯、今日はちょっとばかり味が落ちるけど許してくれな。
――ベルニクの伯爵様がお越しで、屋敷は大忙しなんだよ。何といっても……。
途中からは一切の音が耳に入らなくなった。
「トール・ベルニク……」
ハンスの瞳に宿る昏い炎は、未だ消えてはいない。