「親切なだけでなく、陛下への忠誠も篤い方なんですよ」
メディア関係者を前に、トールは真心を込めて語っていた。
己が過去に犯した愚行と――、
「だからこそ、内緒で借金をチャラにしようなんて申し出てくれたんです」
――ロマン・クルノフ男爵の崇高さについてである。
「ですが、先ほどのご説明では、その申し出をお断りになったそうですが?」
質問者した記者も訝し気な表情を浮かべている。
「ええ、無論です」
トールは重々しく頷いたつもりだったが、上手く出来たか否かについては自信が無かった。
諸事、重厚さに欠けた男なのである。
「あらゆる困った方々を救いたいと言われる崇高な男爵に、過去の失敗を尻拭いさせるわけにはいきませんとも」
ロマン男爵が同席したなら、そこまでは言っていないと強く主張しただろうが──。
「あの、クルノフ男爵は――そこまで?」
「分かり易く帝国CDBDレートで言えば、なんと二百兆ですっ!!」
質問への直接的な回答を澄まし顔で避けたトールは二本の指を立てて微笑んだ。
「は、はあ」
「考えてみれば、ベルニク領邦の年間予算すら上回ってましたね」
メディア関係者と領邦民は呆れを通り越して畏怖すら感じている。
――ボクだって、昔のボクが怖いんだよね。
――ここまでギャンブルにのめり込むなんて有り得るのかな?
――いや、それより問題は──誰がこんなに貸してくれたんだろう。
「その返済は、やはり税金――」
領民達が真に恐れているのは、返済の為に各種税金が上がる事だろう。
いつの時代も為政者の抱えるツケは一般大衆に回ってくるのだ。
「いいえ」
だが、トール・ベルニクはピュアオビタルである。
「ボクにはね、これが有りますから」
そう言って、自身の頭をポンと叩いた。
◇
「わぁ、楽しそうですねぇ」
記者会見を終えて執務室に戻ったトールは、インフィニティ・モルディブに先乗りしているテルミナとEPR通信をしていた。
照射モニタにはバカンススタイルの美女四人と、ご満悦な様子の大司教が映っている。
「まあ、楽しいっちゃ楽しいけどよ」
トールがテルミナに与えた任務は至極単純だった。
過去の自分が使っていたジャンケットと接触し、そのアテンドを受けてカジノで好き放題に遊ぶべし。
また、遊び人を演ずるのは知名度があって社会的地位の高い人物であること。
それを受けてテルミナはマリとクリスの二人を伴ったのだ。
マリは女男爵メイドとして何度かメディアで取り上げられている。トールの愛人疑惑などもゴシップ系メディアが書き立てていた。
他方のクリスも奴隷船で戦って生き抜いた伯爵令嬢として有名である。
「ハイローラーエリアには、もう入れましたか?」
高額な賭博を愉しむ資産家向けのVIPルームだ。
「ああ。入れたんだが――」
と、報告の途中で横からクリスが顔を出し話を遮った。
「昨日、大勝ちしたのよおおお!! 今日も、今日も勝つわよっ!! ふふっふふふ」
彼女の隣に立つマリが少し心配そうな表情を浮かべていた。
クリスは、ビギナーズラックを掴んでしまったのだ。
「――これで――フィリップ家再興の資金が――ふふっふふ」
「あのぅ、ボクは皆さんに負けて欲しいんですけどね。なるべく派手に」
「はあ?」
トールの目論見は、負けが込んだ自然な状態で、ジャンケットに金策の相談をして欲しかったのである。
――けど、まあ、ずっと続けてれば必ず負けるかな。
確率の女神は常に胴元を祝福する。
「アハッ、こちらの話です。ともあれ、テルミナさん。例のジャンケットの背後関係を――いや、そういえば、何ていう方なんですか?」
「チッ。テメェの記憶喪失も大概だな」
舌打ちをして、テルミナが応える。
「ユキハっていう、黒髪の女だ」
その名を聞いたマリは少し身体を強張らせた。
――女性だったのか――黒髪の――。
トジバトル・ドルゴルや、リンファ・リュウと同じモンゴロイド系なのかもしれない。
――そういえば昔のボクがリンファさんにセクハラしてた理由って……。
「アホ領主と浅からぬ縁があったらしいぜ――あ〜ん?」
テルミナは目を細めて含みの有る言い方をした。
「浅からぬ?」
などと言われても、トールには全く身に覚えが無い。
「――ふうん――ま、いっか」
テルミナは昼行燈の追求は諦め、仕事に意識を切り替える事にした。
「ま、言われずとも裏は探る。アホに、ここまでの借金をさせた野郎は間違いなく悪党だからな」
◇
「会って、どうするつもりです?」
憲兵司令ガウス・イーデン少将は、自身の執務室を訪れた意外な客人に尋ねた。
「――協力が出来ると思う」
いつになく清々しい表情のケヴィン・カウフマン中将が応える。
「オリヴァー大将――いや、オリヴァーは未だ予審にすら送られていないのだろう?」
ベルニク軍の軍法会議において、公判に付すか否かを判断するのが軍法会議予審機関である。
「ええ、そうですな。憲兵司令部にて鋭意聴取中――という訳です」
憲兵事案ではなく、通常の刑事事件であれば、とうに留置期限を過ぎている。
「本人は黙したまま、尚且つ物的証拠や、周囲の証言が十分に揃っていない」
見事なまでに全ての証拠が隠滅されていたのだ。
「オリヴァーには厄介なお仲間が居るようです」
この点、
情報部出身で抜け目のない領事ドミトリの差し金ではないか――と、ガウスも疑っていたのだ。
だが――、
「私なら、彼に語らせる事が可能かもしれない」
「ほう?」
「――それが無理なら、証言人となっても良い」
「えっ?」
思わず、ガウスは驚きの声を上げた。ケヴィンの申し出は、自らの裏切りも宣する事を意味するからだ。
「ケヴィン中将――」
彼がオリヴァー・ボルツ一派に属していた事を、軍関係者であれば誰もが知っている。
蛮族侵攻時の裏切りに加担していたとて不思議ではないし、ガウス自身も長らくその疑念を抱いていたのだ。
「私はな、少将。自分の愚行を――恥じている」
僅かな手勢を率いるトールが防衛戦に出撃しようとした時、彼は月面基地から逃亡しようとしていた。運命か――あるいは女神の悪戯でトールの初陣に連れ立ったに過ぎない。
――この恥は、生涯消えないのだろう。
故に、これ以上の恥を重ねたくなかった。
妻子には申し訳ないが、必要な代償を払う覚悟も出来ている。
「だから――」
「この際ですからハッキリ言いますけどね、中将」
続きを語らせまいとするかのように、ガウスは声を高めケヴィンの言葉を遮った。
「私は、あなたについて閣下に忠告した事がある」
ケヴィンは顔を俯け、瞳を閉じた。
「閣下は、何て答えたと思います?」
――オリヴァー・ボルツの息が掛かっている可能性が有ります。
――まさか。ケヴィンさんが!? う~ん、なるほど――ううむ。
――ですから――。
――あのですね、ガウス少将。それは――、
「どちらでも良い――そう
――馬鹿な上司を追い落とそうってのも、ある意味では健全でしょうしね。
そう言って、やはり彼はアハハと笑った。
「オリヴァーの裏切りすら、さほど気にしておられない」
「な――」
「そもそも、予審送りになっていないのは、証拠不十分が理由ではないのです」
驚くばかりのケヴィンを、ガウスは柔らかな瞳で見据えた。
「閣下の意向ですよ」
「え?」
慈悲なのか、と出かけた言葉を、ケヴィンは喉元で押さえる。
――そんな訳がない。あの方は――トール様は――。
「餌――と、聞いております」
領地を簒奪しようとした裏切り者は、今やトールが蒔いた単なる餌である。
「オリヴァーの裏を閣下は気にしておられるのです。本丸はロスチスラフ侯では無かったようでしてな。ふむ、ですが――」
ガウスは少しばかり考える様子を見せた。
「中将が面会されるのも良いかもしれません。アレから面白い話が聞ければ、閣下も喜ばれる事でしょう」
彼等の主人である昼行燈は、少なくとも間抜けではない。