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第23話 運否天賦。

 惑星マーレの軌道都市インフィニティ・モルディブが帝国屈指のリゾート地へ成長を始めたのは今から六十年前の事である。


 元来は近傍の資源惑星で働く労働者に安価な享楽を提供する場所に過ぎなかった。


「ところが、今や素晴らしい場所となったものよな。休暇を過ごすには最高じゃ。フホ、フホホ」


 宇宙港ロビーに到着したテルミナ達を先導しているのは、極彩色なポロシャツと向日葵ひまわりかたどったサングラスでリゾート気分を全身から発散する男――、


「相変わらず信心の足りねぇクソ坊主だな。ホントに大司教か?」

「しーっ」


 大司教が振り返り、緩みっぱなしの口元を人差し指で抑えた。


 テルミナを先頭に、マリ、クリス、そしてブリジットがいる。


 傍目には祖父の許へ遊びに来た年頃の孫──あるいは、好色な老人が歳若い情婦を引き連れているようにも見えた。


「この地では、パリスと呼べ。猊下げいかも禁止だぞ」

「わーってるよ」


 教皇アレクサンデルの子飼いで、尚且つ裏切り者オリヴァー・ボルツの盟友でもあった男は、諸般の事情によりテルミナの下僕に堕していた。


 弱みを握られているだけでなく、下僕という立場に歪んだ喜びを感じ始めていたのである。


 ――く、腐っているわ。プロヴァンス女子修道院の院長様が仰っていた通りじゃない……。


 古巣であるプロヴァンス女子修道院への郷愁を捨てきれぬクリスは、腐敗の塊に見える大司教を目の当たりにして内心で忸怩たる思いがあった。


 ――天秤衆になって、こういうやからを成敗したかったのだけれど……。


 今となっては、叶わぬ夢である。


 その上、憧れたブリジット・メルセンヌは、女男爵メイドに忠誠を尽くすだけの存在となってしまった。


 マリの後ろを静かに歩くブリジットへ、クリスはひそやかな視線を送る。


 ――必ず、いつか……。


 クリスは、心奥にて強く「お姉さま」の復権を誓う。


「で、パリス。テメェに命じた準備は万端整ってるんだろうな?」

「命じた――めいじた――う、うむ」


 その心地良い響きを、パリスは存分に味わった。


「ホテルで待ってんのか?」

「いや、明日、こちらから出向く。地表世界となるがの」

「オビタルじゃなかったのか――」

「知らんのか?」


 パリスは少しだけ得意気な表情で、小さなご主人様を見下ろした。


「この地で最もアツイ場所は下界なのだ」

「へえ?」


 これこそ、インフィニティ・モルディブが、他のリゾート地と一線を画した要因である。


 大海賊エドヴァルドの莫大な資本とロマン男爵の情熱は、地表世界をオビタルにとって程良く冒険心を満たせる場所に作り替えた。


「そのような次第でアホ領主――コホンコホン――くだんの御仁が懇意にしておったジャンケットも下で暮らしておる」


 ジャンケットとは富裕層であるカジノのVIP客に各種ベネフィットを提供する存在だ。クライアントがカジノに金を落とし続ける限り、ジャンケットは合法違法を問わず願いを叶えてくれる。


 負けが込んで流動資産の尽きた顧客に、カジノや他業者からの貸付を仲立ちするのも役目の一つだ。


「フホホ。まずはホテルへ案内しよう。それとな――いや――なに、純然たる親切心からなのだが、用心の為にわしと同部屋にし――げふぅ」


 ◇


いずれの領邦も演習と称しておるようですが――」


 と、不吉な報告を上げたのは軍事顧問である。


 裏切る事を厭わないロマン男爵は、当然ながら他者を信用しない事を座右の銘としていた。


 内事、外事、軍事――この全てを己が直轄し、傍に置くのは法的権力を持たない顧問団のみである。


「実に厄介な話だな」


 クルノフは三つの領邦とポータルで面しているのだが、太上帝の快気祝い直後からアラゴンとマクギガンは大規模な軍事演習を始めていた。


 残るは、新生派勢力に属するサヴォイアとなるが──。


「ようは、威嚇か」


 エヴァン・グリフィスが立場を鮮明にしないクルノフに対して圧力をかけているのだ。


 とはいえ、現状はベルニクからの返答待ちである。


 借財の始末をトールが頼み込んで来たならば万事良し。


 速やかにフェリクスを訪れ女帝に臣従を誓えば中央政界への道が開かれよう。アラゴンの高慢ちきな若造やマクギガンの気狂いも多少は大人しくなるに違いない。


 が――今もって何の返答もベルニクからは無かった。


「返事が来る前にアラゴン選帝侯が動けば実に不味い」


 鍛え抜いた左腕の感触を確かめながら呟いた。


 ダビデ像もかくやという肉体に仕上げたが、クルノフ領邦軍の戦力はかつてのベルニクにすら劣ると言わざるを得ない。


 クルノフ領邦を守って来た盾は、地政学的無価値さと人畜無害な国力である。


 海賊絡みの後ろ暗い利権など、つまらぬ小国に任せておけば良い――。


 と、周囲に思わせる事を第一義として、ロマン男爵はひたすら蓄財に励んできたのだ。


「さて、どうするか」


 誰に尋ねた訳でもないし、誰が答える訳でも無い。全ては彼が決める。


 ◇


「皆、手ぐすねを引いて待っております」


 そう言った統帥府報道官ソフィア・ムッチーノは少しばかり楽しそうだ。


 公式謁見室へ向かうトールの後ろをロベニカと共に付き従っている。


「確かに面白い話ですもんね」


 緊張感の無い領主は、やはり緊張感に欠ける台詞を放った。


「私も面白いと思っていますけれど――」


 含み笑いをしながらソフィアが応える。


「ご自分で公言なさっては駄目ですよ」


 ――カジノで領邦予算に匹敵するお金を散財しました~なんて素直に白状する人。この世に居て良いのかしらね、フフッ。


「それもそうですね。分かりました」

「ええ。お願い致しますわ」


 愚行も天を貫けば、いっそ清々しいおもむきがある。


 ――どうしようもなく――魅力的――なのよね――。


 思い返せば、公式謁見室は、ソフィアが彼と最初に出会った場でもあった。


 エクソダスMの記者としてアホ領主を血祭に上げるつもりで逸っていたソフィアは、人柄に惹かれるままに気が付けば傍で仕える身となっている。


 また、彼の事績を残すべく、秘かにトール・ベルニク伝まで書き進めていたのだ。


 ――そういえば、おかしな連絡があったけど……。


 報道官としてのパブリックなアカウントには日々多くのメッセージが寄せられる。勿論、その全てに目を通せはしないのだが、どうにも奇妙な内容が記憶に残っていた。


 ――”あなたの書いている伝記を手伝わせてくれ。"


 なぜ、ソフィアの秘したる執筆活動を知っているのか、というのがまず浮かんだ疑問である。


 さらに言えば――、


「トール様」


 隣を歩いていたロベニカの声が、ソフィアを現実に引き戻す。


「はい?」


 公式謁見室へ至る扉の前に立ったトールが振り返る。


「今、連絡が入りまして……。直に話をされたいと――ロマン・クルノフ男爵なのですが――」


 偶然にしては余りに出来過ぎたタイミングに、ロベニカは内心でヨーゼフが動いたのではないかと勘繰っていた。


「ちょっとだけなら良いですよ。直ぐに会見ですし」

「で、では――」


 ロベニカがうなじに触れると、トールの眼前に照射モニタが現れた。


「初めまして」「お久しぶりですな」


 トールとロマン男爵の声が重なったが、互いの知己に関しては認識のズレが生じている。


 ――おっと、ボクは、会った事あるんだったな。


「す、すみません。ちょっと昔の事を幾つか忘れてまして――」

「いえいえ、お気になさらず」


 照射モニタの中に映るロマン男爵は鷹揚に頷いた。


「ところで、先般ご提案した件なのだが――ご検討の結果やいかに?」


 ロマン男爵には些か焦りがある。


「ご親切にも、内緒でボクの借金をチャラにしてくれる件ですね」

「え、いや、う、うむ」


 明け透けに語る相手に、却ってロマン男爵の方が狼狽えてしまった。


 ――恥じていないのか? 博打で天文学的借財を作ったのだぞ……。


「あれからボクも色々と考えたんですけどね」


 トールは胸元から束となったカードを取り出して神妙な表情でシャッフルし始めた。


 そこから五枚のカードを抜き、唖然とする周囲の人々に扇状とした表面を見せる。


「どうやら、昔の血が騒ぎだしたようです」


 ロイヤルストレートフラッシュが揃っていた。

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