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第20話 復活の太上帝。

 ロマン・クルノフ男爵は、失意と共に領地を受け継いだ。


 血気盛んな野人の治めるマクギガン。

 宗教被れとはいえ、結果として聖教会の庇護下にあるサヴォイア。

 国力と傲慢さの正比例したアラゴン選帝侯。


 これら厄介な領主と領邦に囲まれた弱小クルノフは、周囲の顔色を常に伺う事を生存戦略の根幹とする必要があった。


 実につまらぬ役回りである。


 だが、そこに目を付け、手を差し伸べた男がいた。


 大海賊エドヴァルド・モルトケ――。


 エドヴァルドは莫大な資本と引き換えに、クルノフに拠点とポータル通行の裏書を求めたのである。


 彼も必死だったのだ。


 モルトケ一家は辺境オソロセアを拠点とし領主とも良好な関係を築いていたが、理想に燃える青年将校ロスチスラフが領主の座を簒奪してしまったのである。


 旧領主勢力の一翼と見なされたモルトケ一家は、海賊討伐という旗印の元にオソロセアを追われる羽目になった。


 いつの時代も、反社会的勢力とは権力者の庇護を必要とする矛盾した存在なのだ。


 ともあれ、ロマン男爵とエドヴァルドは共生関係となり、やがては友情すら芽生えていく。馬を愉しみ、剣技を競い、野人伯爵ディアミドの如く地表へ狩りにおもむく事もあった。


 かような友情をいしずえとし発展するリゾート地インフィニティ・モルディブは、血と汚物にまみれた海賊資本を無色透明な財へと変貌させ、領邦と一家を大いに富ませてきたのである。


 だが、友情は永遠ではない。


「どうにも、ベルニクが、お盛んでしてな」


 ロマン男爵の眼前に座る男は、神経質そうに何度も口回りをチーフで拭き取りながら語った。


 鴨肉を使ったコンフィには手を付けず、専らサラダばかりを食べる男である。


「太陽系でのビジネスに、悪影響が出ております」


 ベルニク領邦ではオリヴァー時代の体制が一新され、木星方面管区艦隊及び広域捜査局は連携して、海賊の取り締まりを強化していた。


「困ったものだな――だが、我が領邦の斟酌しんしゃくすべき事柄ではない。分かっているだろう、ヴィルヘルム ?」


 ヴィルヘルム は異母兄エドヴァルドを裏切り、モルトケ一家を我が物とした男だった。最大利益の為にそれを見過ごしたロマンも同罪である。


「それは無論で御座いますとも、ロマン卿。ただ――」


 そう言って、ヴィルヘルムは小狡そうに瞳を細めた。


 でたはらが違えば、ここまで男ぶりも異なるのか――と、在りし日に裏切った友の顔貌がんぼうを思い起こし心中で嘆息した。


「――こちらをご覧下さい」


 英雄以前のトールが、インフィニティ・モルディブで享楽に興じていた頃の映像が照射モニタに映し出された。


「女もお好きでしたが、カジノを殊の外に嗜まれておりまして――いや、大変に良いお客様でしたよ」


 映像の下に表示された数字が赤く明滅している。


「この数字は?」

「ククク」


 ヴィルヘルムは、舌なめずりをせんばかりの表情となる。


「りょ、領邦予算に匹敵するではないか」


 まさに、天下のアホ領主として、面目躍如めんもくやくじょした瞬間だったかもしれない。


「これを利用できないかと考えておりまして」

「――ふむん」


 ロマン男爵にも悪くない考えと思えた。


 心を入れ替えたのか、人が変わったのかは判然としないが、近頃のトール・ベルニクは完全に英雄として扱われている。


 私生活においても周囲の女に手を出さず、華美な贅沢にも興味を示さぬ男として知られていた。


 また、臣民の為にコロッセウム建設へ私財を投じており、卑しい守銭奴という訳でもない。


 真に庶民とメディア受けの良い若獅子である。


「故にこそ、使えそうだな」


 大衆が抱く美しい幻影は、僅かな醜聞で朝露の如く消え失せるのだ。


 ――いや、あれほどの借財となれば、僅かな醜聞とは言えぬ。

 ――これは、大きな芽に育てねばなるまい。


 太陽系における海賊討伐を手加減してくれ、などという些末な取引に利用するつもりは無かった。


 ――恨まれず、軽んじられず、つまりは感謝されれば良い。

 ――上手く使えば飛躍の端緒となろう。


 女帝ウルドにつくべきか、あるいは宰相エヴァンとするべきか。


 長らく病気で臥せっていた太上帝の快気祝いが近日中に開催され、立場を鮮明にしていない諸侯達へ参集を求める使者が度々訪れていた。


 快気祝いで太上帝による院政を宣するのだろうと噂されている。


 そうなれば、いよいよ中立など保っていられなくなる。


 風見鶏のように立ち回って生き延びた小国など、歴史を振り返れば極めて特殊な事例なのだ。


「礼を言おう。ヴィルヘルム」

「ホホホ、当然の務めで御座いますとも、ええ。我等の友誼は未来永劫──」

「ところで」


 と、ロマン男爵は相手の長広舌を遮り、手の付けられていない鴨肉の皿を睨んだ。


「肉は残さず喰らえ」


 海賊の端くれならな、という言葉は告げずにおいた。


 ◇


 帝国歴2802年 01月15日 15:00(帝国標準時)――。


 イリアム宮、奉賀の間にて、イドゥン太上帝の快気を祝う宴が設けられた。


 祝宴に馳せ参じた諸侯は十一名、聖教会からはレオ・セントロマを含む三名の枢機卿が名を連ねている。


 集った者達を心強くさせたのは、五人の選帝侯のうち四名が訪れた事だろう。


 祝意のみを送り立場を未だ明かさぬ選帝侯は、グリフィス領とアラゴン選帝侯領に挟まれたプロイス選帝侯──の名代を務める方伯婦人のみである。


「先代と異なり、賢明な判断をされた貴方に――」


 エヴァンの腰巾着という評価が定まりつつあるアダム・フォルツ選帝侯は、虚ろな表情を浮かべるジェラルド・マクギガンのグラスを打った後に朱色の液体をあおった。


「貴領を囲むアラゴン、シレジア、ラウジッツ――三つの領邦が我等と志を同じくしておる。故に伯と面する敵は、ベネディクトゥスの厄介者だけとなった。あ、いや――」


 ここで、アダムは少しばかり声を落とした。


「――ウルド陛下の事ではなく、陛下をたばかる魍魎どもの話だぞ」

「ふうん、そうか」


 他方のジェラルドは些か気の抜けた返事をした。


 語る口調も大人のそれではなく、童子に戻ったかのようである。


 ――はて、狂ったか?


 父殺しの汚名を着てまで手に入れた場所の空虚さと、酒やドラッグでは消せない懺悔が精神に変調をもたらしていたのだ。


「いや、あれが来てないだろ。あれは――ええと――あれ――?」


 近頃の彼は、記憶力の低下も著しい。


「ロマン・クルノフ男爵か?」


 アダム選帝侯は、少し馬鹿にした様子でその名を告げた。


「酒、賭博、女衒ぜげんで成り立つクルノフなぞどうでも宜しい。海賊と結んで後ろ暗い事をしておるような者はピュアオビタルの風上にも置けん」


 ――とはいえ、此奴こやつも親殺しの屑。おまけに気狂いとあっては、クルノフと同じく理由を付けて取り潰すべきだろうな……。


「ま、無駄話はこれで終いとしよう。そろそろ、太上帝の来臨となる」


 ◇


「銀冠を喪った身でありながら、良くぞ集まってくれました」


 漆黒のローブ・デコルテを纏うイドゥン太上帝が放つ美に、奉賀の間につどった者達が思わず感嘆の声を漏らしている。


 在位当時からみかど言葉を好まず、たおやかで雅な言葉で周囲を魅了していた。


 癇気かんき癖で知られたウルドとは異なり、常に微笑みを絶やさず分け隔てなく下々に接するさまは、帝国開闢以来の賢帝であろうと言われていたのだ。


 そんな女帝が病に倒れた際、臣民は大いに悲嘆に暮れた。


 病状の仔細は明かされぬまま退位し太上宮に籠って姿を現さない為、余程の業病――あるいは逝去の噂まであったのだが――。


「実際、私は永久とこしえ黄泉よみを、この目で確かに見たのです」


 これが証拠だとばかりに、彼女は美しく結い上げたバイオレットの髪に触れた。


「ですが、女神ラムダの導きにて、再び現世に戻って参りました」


 胸元にある深い渓谷で、Λを二つ重ねた意匠の黄金が揺れた。


「皆を――」


 両の手を前に差し出し、憂いに満ちた笑みを浮かべる。


「――包む為に」


 胸を静かに打つ彼女の眼差しが、心地の良い響きを持つ彼女の声音が、全身から放たれる彼女の慈愛が――その全てが、息も出来ぬほどの密度で人々を覆ってゆく。


 故に人々は伏した。


 新しくも旧く、そして復活した彼等のあるじに伏したのだ。


 時を置かずレオ・セントロマ枢機卿はイドゥン太上帝の快気を聖教会公認の奇跡に列したが、慶事であった事もあり教皇アレクサンデルは抗し得なかった。


 この点は聖レオの政治的な勝利だろう。


 以上の出来事が、彼等を復活派勢力と呼ぶ所以ゆえんである。


「女神の御心のままに、手を取り合って参りましょう」


 イドゥン太上帝は柔らかに宣した。


 幼名を、ペネロペという。


 宰相エヴァン・グリフィスの姉である。

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