「使徒? カッシウスの啓示?」
グリンニス・カドガン伯は手書き原稿に目を落としながら呟いた。
ラムダ聖教における「啓示」とは「モトカリヤの啓示」である。この奇妙な名前の人物がラムダより授けられた啓示が宗教的源流なのだ。
「うひゃひゃ――コホン――そうです」
長らく道化を演じ命脈を保ったハンス・ワグネルは、咳払いをして染み付いた滑稽な笑声を抑えた。
グリンニスの屋敷に幽閉されてから、彼は「ベネディクトゥス 観戦武官の記録」以降の出来事を文字にしたためている。
城塞を求めていたグリンニスの要請に応じての事だ。
「半年に一度、エルヴィン・ベルニク子爵の屋敷に集まっていたのです」
「例の地下ね?」
「ええ」
頷くハンスの瞳が懐かしい日々を思い出すかのように揺らめいた。原稿には書かれていない部分に彼の青春が隠されているのかもしれない。
「ニクラス達を匿うだけの場所ではなかったのね」
ベルツに吹き荒れた異端審問から、ニクラス・ベルツと、鹵獲した旗艦で捕らえた女――レナの二人は、ハンスの手引きでベルニク領邦へ逃れている。
トールの父エルヴィン・ベルニクは、ECMを張り巡らせた屋敷の地下に二人を住まわせた。
「元々は別の客人――つまりは、ガイウス・カッシウス殿をもてなす為の場所でした」
「――船団国の氏族」
氏族である彼は、やがてカッシウス・レギオンの総督に就任する。だが、ポンテオの奸計によって、カッシウス家取り潰しの憂き目に遇う。
結果、カッシウス家の人々の多くは処刑、または奴隷に堕とされた。
ルキウス・クィンクティに救われ養女となったアドリアは幸運なケースである。
「博識、博学、何より希望を強く信じている御方でした」
――物事には常に良い側面がある。
「処刑された執政官殿の口癖でもあったと聞きます。彼もカッシウスの啓示を受けた一人なのでしょう」
「そこが――読んでも良く分からなかったのよ、ハンス」
「おや、説明不足が私の悪いところでして――」
と言いながら、グリンニスから自身の原稿を受け取り読み返す。
”屋敷の地下に定期的に集まった人々は、ガイウス・カッシウスと時を忘れ語らった。”
”彼の知識は多岐に渡るが、中でも先史文明に関する知見は、帝国のいかなる歴史学者も遠く及ばない。”
先史文明は、ポータルやEPR通信に代表される全てのテクノロジーをオビタルに遺し、聖教会が悪魔と任ずる超越知性体群メーティスと共に姿を消している。
”話を聞き、問いを重ね、やがて聴衆には共通の認識が形成された。”
「次よ。分からないのは」
”我々は単なる番犬なのではないか――と。”
「これが、啓示ということなのかしら?」
「おお――これは申し訳ありません。確かに唐突が過ぎましたな。つまりは――」
何かを説明しかけたが、ハンスは腕を組んで考え込む様子を見せた。
「私ですと長い時を要する話しになります。ガイウス殿であれば、ビジョンで全てを共有出来たのですが――」
「ビジョン?」
「我々はそれを啓示と呼んでいます」
本当に説明不足な人ね、と内心でグリンニスは嘆息する。
――けれど、仕方のない事かもしれないわ。
長い辱めの日々を過ごしたハンス・ワグネルの人生は追憶の中にのみ在ったのだ。
道化に堕とされた男が過去を幾度も反芻するうちに、あらゆる事象が説明不要な原風景にまで昇華されているのだろう。
「疑問は尽きないけど――」
ハンスの過去は、奇病を癒す為の情報としての価値は下がっている。
求めるべきは今や城塞ではなく、トール・ベルニクその人なのだ。
「あなた方が使徒を自称した理由は分かったわ。啓示を受けたと言いたい訳ね」
使徒には屋敷の主人であったエルヴィン・ベルニク──つまりはトールの父も含まれる。
その事実の方が啓示などより重要と思われた。
「あなたと、エルヴィン子爵、そしてニクラス夫妻。他にも使徒は居たのかしら?」
「当時はまだ夫妻ではなく、ニクラスとレナですが――」
ハンスにとって重要な訂正をした後に言葉を継いだ。
「様々な立場の方々が集われたのです。例えば――」
そう言って彼の並べた名前は、グリンニスにとっても驚くべき名士が連なっていた。
最も興味を惹かれた名は、アーロン・ウォルデンである。
公爵領を受け継ぎ、希代の美女シャーロットとの間に一女をもうける以前、彼はベルニクを訪れ怪しい集いに参加していた──。
女帝ウルドに対し面従腹背を貫く決意を固めたグリンニスは、何かに利用できるかもしれない情報として心に刻んだ。
「それに、エルヴィン様が眉を
「誰なの?」
好奇心を抱いたグリンニスが尋ねると、ハンスは悪戯っぽく微笑んだ。
「エドヴァルド・モルトケ」
「え――!?」
オビタルで、その名を知らぬ者は居ない。
「故人となりましたが、大海賊の首領ですな」
◇
「うわぁ、何だか可愛いですよ」
丘上に建つ白亜の大邸宅に辿り着いた一行を出迎えたのは、皺だらけの顔面に大きな瞳を持つ身長一メートルほどの生物だった。
「小人さんです」
「か、可愛い――ですかね?」
極一般的な感性を持つロベニカには、太古の生物工学が生み出した忌み子としか思えなかった。
「こ――これ――は――」
「ひぃ、しゃしゃ喋りましたよ」
唐突に口を開いた小人に驚いたロベニカが後ずさる。
他方のジャンヌはサマードレスの裾を風になびかせ素早くトールの前面に立つと、左腕を構えて手甲に右手を添えた。
「閣下! 人に似せた怪しい
「大丈夫ですよ、大佐」
「あ――か、閣下」
飄々と小人の傍に近付いたトールは、腰を屈めて相手と目線を合わせた。
「こんにちは」
「こ――これは――タロウポ」
小人は自身の胸に人差し指を当てる。
「あ、なるほど。自己紹介だったんですね。ボク等は、ここの御主人――ええと、フレイディスさんに用事が有って訪ねて来ました」
フリッツとは既にEPR通信で連絡を取っており、先方とのアポイントは取れているはずなのだ。
「聞いてませんか?」
「これ、これは――」
と、タロウポが何かを応えかけた時、威勢よくエントランスの大扉が開放され一人の女が姿を現した。
「ベルニクッ!!!!」
赤いジュストコールの映える女、フレイディス・モルトケが吠えた。
「よく来たねぇ」
片頬を上げ獰猛に笑んだ後、剥き身のカットラスの刀身を長い舌で舐める。
「話はベルヴィルのガキから聞いたし、よぉく考えた末に――アタシは、もう決めちまったのさ」
恐らく座って話し合うのが面倒になったのだろう。元々が深く考える
「だから――もう、さっさと行こうじゃないか」
「裏切り者を、ぶち殺しにねぇ……」