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第16話 プールパーティ。

「あら、ロベニカ――マリまで。わざわざお迎えに?」


 左前腕のしたジャンヌ・バルバストルは、邦都中央軍病院のロビーで待ち構えていた旧友と女男爵メイドの姿に驚いた。


「え、ええ、まあね」


 そう言いながらロベニカは、ジャンヌの左腕に目を向ける。


「――でも、本当に元通りなのね」


 ジャンヌの失われた左前腕は見事に復元されており、美しい淑女の容姿を損なう傷痕はどこにも残っていない。


「素晴らしい技術を持ったドクターと――そして何より、独創的な改造技師の方々には感謝しているわ」

「――え?」


 感謝の一部に不穏な響きを嗅ぎ取ったロベニカだったが、今は優先すべき話が他にあった。


「よ、良かったわ」


 と、言うに止め、本題に入る事にした。


「それはそうとね、ジャンヌ――そのう――ええと――」


 だが、ロベニカには照れがあるのか話が先に進まない。


「屋敷でプールパーティをするの」


 埒が明かないと考えたロベニカの後ろで控えていたマリが無表情に告げた。


「ええ、私もご招待頂いたわ。楽しみね、ふふっ」


 出来る男トジバトル・ドルゴルに抜かりはない。白き悪魔と恐れられる淑女であれ、必要とあらばプールパーティへ誘い出すのである。


「だから――」

「ああ――なるほど」


 ジャンヌは可憐に笑んだ。


「ちょうど良かったわ。私もそのつもりでいたの」


 退院直後とは思えぬ洒落た白いシュミーズドレスを纏うジャンヌが先を歩き優雅にロベニカとマリを振り返った。


「行きましょう。新しい水着を買いに」


 ◇


「ああ?」


 特務機関デルフォイの執務室を訪れた客人に、テルミナは歓迎の意を示した。


 彼女が後見人となっている浮浪児ディオが、客人の前へ淹れ立てのコーヒーをそっと置いていく。


「――ありがと、ディオ」

「熱いのでお気をつけ下さい、クリス様」


 元々の育ちが良かったせいか、トールの屋敷で暮らすうちにディオの言葉遣いは極短期間で劇的に改善されている。

 外見的にも浮浪児時代の面影は薄れ、いっそ美少年と言って差し支えなかった。


 来月には幼年学校の寮へ入る予定となっており、それを寂しく思っている使用人も多い。


「テメェと二人で街へ出かけて――何が楽しいんだ?」


 こっちの台詞だと思ったが、クリスティーナ・ノルドマンはぐっと堪えた。


「私だけじゃないから。サラも居るし、あとはアドリアさんも誘ってるの」


 グノーシス船団国からベルニクへ渡って来た人々は、トジバトル同様に屋敷の客人となっていた。


「サラにアドリア、そしてテメェか。妙な組み合わせだな――いや蛮族組って訳か」

「ば、蛮族――ぐみっ!?」


 クリスは仮にもノルドマン伯爵家の娘である。


 ――で、でも、ここは我慢よ。我慢するのよ、クリス。

 ――私にはノルドマン家復興の使命があるのだから……。


 父フィリップと弟レオンの二人は、奴隷船の一件以来、どうにも頼りにならないと感じ始めていた。


 となれば、己の力で未来を切り拓くほか無いだろう。確かな未来を掴む為の存在が、手を伸ばせば届く距離に居るのだから――。


「と、ともかくね、テルミナ。私達は、ベルニクの邦都に不案内なの」


 アドリアやサラに至っては、未だ屋敷の敷地から外へ出ていない。


「でね――もうすぐ、トール伯主催のプールパーティが有るでしょう?」

「あいつが主催かどうかは知らんけど――まあ、あるな」


 テルミナも誘われており既に承諾していた。


 ――飲んで、食う。そして泳ぐ。


 良いパーティになるように思われた。


「でも、私達は水着も持ってないの。買いに行きたいけれど、お店も分からないし――」

「そういう事か」


 三者共々着の身着のままベルニクに来た、いわば難民である。


「水着を買いに行くって話だな。さっさと言えよタコが」

「――ぐっ」

「いいぜ。行こう」


 ◇


 帝都フェリクスから懐かしの屋敷へ戻ったトールは休む暇など無く、絶え間のない来客とロベニカの用意した資料に目を通す日々を送っていた。


 領邦経済は強い上昇基調に入っており、軍事予算増額のお墨付きを財務補佐官から得ている。


 ――ともかく艦艇が足りないな。


 侵略してきた船団国との戦いで鹵獲した多数の艦艇は、商船を提供してくれたルチアノグループへの支払いに充当した。


 なお、二度に渡るカドガン領邦との戦闘、さらには先の遠征においても敵艦を鹵獲しているが、代わって喪った艦艇も多数ある。


 ――聖骸布艦隊――とは言わないけど……。


 大艦隊を率いたいというよこしまな願望だけで考えている訳ではない。


 遅かれ早かれ、復活派勢力と雌雄を決するときが来る。


 銀河を分かたつ二大勢力の軍事的衝突は、歴史上類を見ない規模の艦隊戦で幕を開けるだろう。


 ――建造して、購入して、でも、それだけじゃ間に合わない……。


 揚陸部隊の増強は統帥府軍務補佐官及び参謀本部に一任するとして、艦艇を大幅に増やすにはさらなる資金源が──、


「トール殿」

「──あ、はいはい」


 執務室に通されたトジバトルが、いつの間にか目の前に立っていた。


 普段なら自身の想念に沈んだトールを、ロベニカが揺り起こしてくれるのだが、今日は執務室にその姿を見せていない。


「そろそろ、例のイベントですよ。お忘れですか?」


 時間になっても来ないので、トジバトルが呼びに来たのである。


「そういえば――」

「じゃ、行きましょうや」


 サムズアップをするトジバトルが、不敵に笑んだ。


「今日のお屋敷は、午後から、みんな休みですからな」


 ◇


 桃源郷――という言葉がある。


「うわぁ――」


 無論、人によって桃源郷の定義は異なるだろう。


 飢えや苦しみの無い世界と考える者もいるだろうし、争いが無ければ由とする者もいる。


 だが、


「と、トジバトルさん――(ゴクリ)」


 英雄トール・ベルニクの桃源郷は、ここに在った。


「ボク、夢みたいです!」


 と、夢現ゆめうつつの男に言わしめたトジバトルは、実に満足そうな表情で頷いた。


 プールサイドには多数のテーブルと、デッキチェアが並んでいる。


 テーブルを囲みカクテルと会話を楽しむ者や、デッキチェアに横たわり天蓋部で調整された陽光を浴びる者達もいた。


 なお、トジバトルが機転を利かせ、屋敷の使用人まで参加可能としている。


 給仕をしているのは信用の置ける外注業者なのだ。


 つまりは、家令セバスも休暇中となる。


「坊ちゃまぁ~」


 メイド長達と楽しそうにビーチバレーをしていたセバスが笑顔で呼びかけた。初老とはいえ、その肉体は細身でありながら意外にも筋肉質である。


「一緒に如何ですか?」


 坊ちゃまとパーティなど怖れ多い――と渋っていた男は、いざとなれば全力で愉しんでいた。


「わぁ、いいですね!」


 ふらふらとメイド長達の花園へ向かおうとしたトールを――、


「閣下」


 カクテルグラスを片手に白いバンドゥビキニを纏うジャンヌが呼び止めた。


「御礼伺いが遅れました事、申し訳ございませんわ」


 そう言って頭を下げる。


「ジャンヌ中佐――ボクこそ――」


 この時ばかりは、さしものトール・ベルニクも、豊かな胸より先に彼女の左手に目をやった。


「ああ、良かった!ホントに完治してたんですね」

「全ては、私などを捨て置かれなかった閣下のご高配の賜物ですわ」

「いや、あの時はボクも注意が足りず――」

「閣下」


 ジャンヌが唇に人差し指をそっと当てる。


「今は休息を――」

「そ、そうでした。そうですよね」


 素直に頷くと、自然トールの視線は、大胆に露わとされた胸の方へ彷徨さまよった。失礼に当たらぬよう極力の注意を払ったが本人の意図通りとなったかは不明である。


「フフ」


 少なくともジャンヌ・バルバストルは不快な表情を浮かべていない。


「ですが閣下、私が独り占めする訳にもいきませんの。――それから、セバス殿とたわむれるのは後になさって――ね」


 ――坊ちゃま~。


 遠くでセバスの呼ぶ声はしたが、もはやトールから返事は期待できないだろう。


「さあ、あちらへ」


 ジャンヌに背を押されたトールは、プールサイドの端に用意された空間に目を見張った。


 ひと際大きな丸テーブルには――、


「ふわ……」


 新調した少しばかり大胆に思える黒い水着がどう映るかを気にするロベニカがいる。


 女男爵メイドのマリは、フレアビキニの腰についた紐を気にしていた。


 ――と、取れそうなのかな!?


 ワンピースでありながら背中がセパレートとなっているテルミナも、その体型と合わせ考えるなら味わい深いものがあるだろう。


 ――クリスさんや、アドリアさんまで居るのか。――あれはサラさんだっけ?


「ようこそ、閣下」


 背後から音も無く歩いて来た女が、ジャンヌの傍らに立つ。あまりにも大胆な装いの彼女こそ、統帥府報道官ソフィア・ムッチーノであった。


「――楽園へ」


 へそ下まで至るプランジングネックの切れ込みが、彼女の言葉に信憑性を与える事となった。


 ◇


 女帝ウルドに呼び出されたシモン・イスカリオテは、以前のような怯えは抱いていない。


 籠城戦で見せた彼女の裂帛の姿勢は、真の帝王に相応しい振る舞いだったからである。


 また、振り返ってみれば、イリアム宮を出て以降の女帝は、周囲の使用人達を甚振る事も無かった。


 ――変わられたのだ。ウルド陛下は真の……。


 侍従長シモンは、誰にも明かせぬ秘密がある。


 その秘密を、なぜかトール・ベルニクが握っており、女帝弑逆しいぎゃくに失敗した後も、恐怖に震えながら付き従わせている真因であった。


 ――だが、もう私は逃げるつもりは無くなった。この方こそが真の――。


「シモン」

「ハッ」


 女帝ウルドは右手で鞭のグリップを握り、テールの先を左手でもてあそんでいる。


 ――鞭か。以前は恐れたが――なあに、乗馬でも行かれるのだろう。


「頼みが――否、命令じゃ」

「ハッ」

「至急、プールを造れ」

「ハッ――えっ、はあ?」

「良いな。至急じゃ。刻限は五日とする」

「そ、そんな、無茶で御座います。さすがに――ひぃっ」


 無言のまま、ウルドが床を鞭で打つ。


「いや、とする」


 実際のところ、幾日を要したかの記録は無いが、オリヴィア宮には現在もプールが残されている。


 戻りはせぬ、在りし日の想い出と共に。

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