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第15話 宴の準備。

 軌道都市で暮らすオビタルが季節という概念を失って久しい。


 故にロベニカ・カールセンの反応は当然だったのかもしれない。


「はあ?」


 プールサイドでデッキブラシの柄に両腕を預けるトジバトルは落ち着き払った表情で立っている。


「プールパーティ? 今? どうしてですか?」


 ロベニカは疑わしそうに目を細めた。


 彼女とてトジバトルという男は認めている。野人のような外見とは裏腹にクレバーな人物だと理解していた。


 ――オリヴィア宮でも大活躍したそうだし……。


 新生派帝国内のメディアが大々的に報じている。


 突然の侵略者達に対して女帝ウルドが敢然と立ち上がり、憲兵司令ガウス・イーデンとトジバトル率いる剣闘士達の活躍、そして英雄トール・ベルニクにより敵を打ち負かし──と喧伝されていた。


 統帥府報道官ソフィア・ムッチーノが得意とする情緒に偏重したナラティブである。


「どうしてって――」


 話題の剣闘士兼プール清掃員は肩をすくめる。


「こんなに立派なプールがあるんです。使わないと勿体ないでしょう」


 みゆうが外に出た時に備えてトールが家令セバスにしつらえさせた設備だったのだが、本来目的を果たすには至っていない。


「わざわざプールでパーティなんて――エッチな事を――あ! ひょっとして、トール様が――」

「いや、あの御仁は知りませんよ。私が勝手に始めたんですから」


 トールに対しては、「楽しいイベント」としか伝えていない。


「ロベニカさん」


 交渉の基本は、自分で作った波に、自身が上手く乗る事だ。

 声音を改めてから、トジバトルは言葉を続けた。


「蛮族の地でトール殿は心身共に――いや、主にこっちが――」


 そう言いながら胸を叩いた。


「――疲れたに違いありません」


 表面にこそ出していないが、実際にトジバトルの言う通りだった。


 教皇アレクサンデルも危惧した通り、トール・ベルニクの魂には些かの疲労がある。


 自らの手で数多の殺戮をし、尚且つ人類史上最悪であろう虐殺の目撃者ともなった。


 例え悪魔に身を売った者であったとしても魂に揺らぎを感じただろう。


「ええ――そうでしょうね」


 ロベニカの声音も、幾分か憂いを帯びた。


 彼女にとって、いや、ベルニク領邦にとって得難い為政者へ育ちつつある男だが、過度な心労の蓄積が人柄を変える可能性に警戒しなければならない。


 何があっても、呑気で、飄々とした男であり続けて欲しい――。


 ロベニカだけでなく、彼に関わる全ての人物が内心でそう願っていた。


「だからこそ、パーティ。尚且つプールパーティである事が重要なのです」

「そ、そう──かしら?」


 話を聞くうちにロベニカは、パーティ会場がプールというだけで警戒した自分が心の狭い人間なのでは──と感じ始めていた。


「プールパーティです! 皆さん水着となり実に開放的でしょう。堅苦しいのがお嫌いなトール殿に相応しいと思いませんか?」

「なるほど――え、いや、んんん?」


 ここは勢いで押し切るしかない、とトジバトルは判断する。


「トール殿は――」


 天を仰いで瞳を閉じた。


「女神ラムダのような胸を愛しているようですな」

「め、女神――」

「ええ。豊穣です。つまりは豊穣なのです」


 ◇


 ベルニクで謎のプールパーティ準備が進んでいた頃、遠く離れた旧帝都エゼキエルでも宴の準備が進められていた。


 女帝ウルドが去り、叛乱軍と戦った警護師団は壊滅し、多数の廷吏や女官達も姿を消している。


 有体ありていに言ってうら寂れた風情となったイリアム宮だが、謁見の間へ至る通路を急ぎ足で歩む男達がいた。


 先頭を進むのは宰相エヴァン・グリフィス公爵である。


 彼の後ろには、レオ・セントロマ枢機卿、そしてアダム・フォルツ選帝侯が続いていた。


「カドガンは口惜しいが、マクギガンは手に入った。が、却って良かったのかもしれませんな」


 アダム・フォルツ選帝侯は、エヴァンにおもねるような口調で告げた。


「そうか」


 エヴァンは短く応えるにとどめた。


「奇病で消えゆく幼子など、何の役にも立ちますまい。ハハハ」


 乾いた笑声が響く。


「ともあれ、これで帝都は盤石ですぞ。辺境のベルニクずれが攻め寄せて来る余地は無くなりました」


 それは、どうだろうか――とエヴァンは考えていた。


 未知ポータルの存在もあろうし、マクギガン領邦を守る傀儡としたジェラルドの能力にも疑問が残る。


 他方のカドガン領邦については、敵とした場合に地勢とは別の問題があった。


 ――七つ目との接点――これが実に不味い。

 ――ヴィーナスがベルニクと結べば、大きな厄介事になろう。

 ――否、厄介どころか、アレが全ての秘蹟を手に入れかねんな……。


 エヴァンの脳裏に浮かぶのは、ボウとした田舎領主の姿である。


 女帝と玉璽を攫うだけでは飽き足らず、今度はグノーシス船団国の首船をとしてきたと言う。


 勢力圏内のメディアには報道管制を敷いているが、どうあっても噂とは流布していくものだ。


 トール・ベルニクが、またも大きな事をやってのけたという話しは、幼年学校の生徒ですら耳にしていた。


 ――このままでは本当に飲まれかねん。


 旗色を鮮明にしてこなかった諸侯の多くは、蛮族討伐を祝う使節をフェリクスへ派遣したと聞いている。

 新生派帝国に対して恭順する意思を示したも同然の行動だ。


 ――急がねばな……。


「エヴァン」


 謁見の間へ入る大扉の前に至ったところで、聖レオがエヴァンに呼びかけた。


「――どうした?」


 大扉を押し開こうとした衛兵を止めた後に振り返る。


「此度の祝宴、本当に太上帝だいじょうていが望まれた事なのだな?」


 昨夜、何度も説明しただろう、という言葉をエヴァンは飲み込んだ。


 フォルツ選帝侯や衛兵達から不要な疑義を招かぬよう注意を払ったのだが、声音に含む苛立ちは隠し切れなかった。


「そうだ、レオ。我等の太上帝だいじょうていが望まれた」


 太上帝だいじょうていとはつまり、先の女帝へ贈られる尊号である。


 ウルドの先代、イドゥン太上帝だいじょうていは、不治の病に冒されたとして自ら退位したのだ。


 以来、イリアム宮の裏手にある太上宮にて療養中とされ、彼女と面会の叶う者は極一部に限られていた。


 エヴァン、レオ、フォルツ選帝侯、アラゴン選帝侯、そして七つ目と連なる女──。


「これから会うのだ。自身で問えば良かろう」

「そ、それは――」


 聖レオが口ごもる。


 ――結局のところ、レオは嫌なのだ。


 外交や謀略で女帝ウルドを取り戻すのは、もはや不可能事であるとエヴァンは判断している。


 さりとて、軍事的に全面衝突をした場合、現状では勝てる保証が無い。


 残された道は一つだ。


 ――女帝の不在を理由として、太上帝だいじょうていの院政を敷く。


 その為に、まずはイドゥン太上帝だいじょうていの快気を慶賀するのである。


 ――多くの嘘をつかねばならん。

 ――それが、この男をさいなませているのだろうが……。


 太上帝だいじょうていが退位した原因と姿を現さなかった理由――何れも健康問題ではなかった。


 また、帝国基本法の何処を調べても、院政を是とする解釈など出来ない。


 ――だが、レオ・セントロマ。お前には女神と聖教会の御名において、太上帝だいじょうていを祝福してもらうぞ。


「レオ」


 苛立ちを抑え、エヴァンは己の虜となっている痩せた男を見下ろした。


「――頼む」


 吸い込まれそうなエヴァンの眼差しに耐え切れず、レオはつと顔を落として小さく頷いた。


 自然とエヴァンの口角も薄く上がる。


「良かった」


 ――お前が疎ましく思っている聖性は、偽りを糊塗するには都合が良い。


「フォルツ侯、枢機卿」


 ――だが、私が事を為した暁には、お前の望みを叶えてやるつもりだ。

 ――罪悪感の源泉たる聖性を剥ぎ取り、プルガトリウムの煉獄へ繋いでやろう。


「御前へ参る。平に慎まれよ」


 ――さすれば、もはや痩身を鞭で打つ必要もあるまい。


 その日が来るのを、エヴァン・グリフィスは心待ちにしていた。

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