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第14話 うなじに触れる。

 トールが聖骸布艦隊を伴い月面基地を発ってから実に二カ月半が過ぎている。


 想定以上に領主不在が長期に及んだが、ヨーゼフ・ヴィルト率いる統帥府が機能しており、領内施政が滞る状況とはなっていない。


 ――ロベニカさんもいるしね。


 トールは久方ぶりの再会を愉しみにしていたが、首席補佐官ロベニカが無数の決裁及び確認資料を準備して領主の帰りを待ち侘びていると知っていたなら、もう少し戻るのを遅らせたかもしれない。


「童子よ。誰しも休息は必要である」

「は、はい?」


 フェリクス宇宙港の貴賓室でトールはボウと窓外を眺めていた。


 隣に立つ教皇アレクサンデルは例によって小姓に銀の菓子皿を持たせている。


「言った通りだ」

「はあ――なるほど」


 言いながらトールは頭を掻いた。


「ボクは相当に疲れているように見えるんですね」

「――うむ」

「ある人物にも同じ事を言われまして――アハ」

「ほう」


 ――トジバトルさんにも言われたんだよね。


 トジバトルは何度もトールに休むよう忠告した後、屋敷で素晴らしいイベントを準備しておくとも付け加えていた。


 ――イベントって何だろ? プールを使わせてくれとは頼まれたけど……。


「ふむん。とまれ、童子に忠告をした者は取り立てよ。見るべきモノを見、言うべき事を言う――かような人材は実に得難い」

「はい。分かりました。そうします」


 神妙な表情を浮かべてトールは素直に頷いた。


 トジバトルにはコロッセウム建設準備だけでなく、もっと大きな仕事を頼もうとトールも既に考えていたのである。


 市井の暮らしに満足している本人としては有難迷惑な話かもしれないのだが――。


「う、うむ」


 悪漢として生きて来た男アレクサンデルは、トール・ベルニクと会話をしていると毒気を抜かれてしまう――と常々感じていた。


 ――が、不快ではない。


 故にこそ、トールの企図にことごとく乗ってきたのである。


「ところでな、童子よ」


 おとがい、或いは二重顎という表現では物足りぬ顎を撫でた。


「我は聖都へ戻り、為すべき事を為すつもりである」


 現在のラムダ聖教会内部では民草に想像も出来ない権力闘争が起きているのだ。


 エヴァン公を後ろ盾とするレオ・セントロマ枢機卿と呼応し、天秤衆が近々に動くという噂が絶えない。


「――プロヴァンスですね……」


 プロヴァンス女子修道院。


 忠実無比な天秤衆を育てる為に全ての禁忌を犯しながらも信仰の美名で罪を糊塗している。


「忌み子を業火にくべる」


 教皇アレクサンデルは、女神による鉄槌を待つ気など毛頭なかった。


 異端討伐から凱旋した余勢を駆って天秤衆の力を削ぐのだ。


 いては聖レオに代表される原理主義勢力を一掃したいと目論んでいる。


「あれこれと言うつもりは無いのだが――分かっておるな、童子」


 アレクサンデルが横目でトールを見やる。


「ええ」


 彼が危地に陥った場合、今度はトールが馳せ参じると誓った。


 聖骸布艦隊を擁しているとはいえ、聖教会内部におけるパワーバランスは、些かアレクサンデルにとって分が悪い。


 ――未知ポータルの場所は今回でバレたから、旧帝都への道を開いておかないとな……。


 マクギガン領邦経由であれば、旧帝都へ至る道を阻むのは小領ラウジッツと中立派のプロイス選帝侯のみだった。


 だが、ジェラルドの裏切りによりの地は敵方に落ちている。


 他方でカドガン領邦経由の場合、エヴァン公と最も近いフォルツ選帝侯が守りを固めていた。


 ――あれ――やっぱり休んでる暇なんて無いよね?


 と、トールが気付いたところで、貴賓室をケヴィン少将が訪れた。


「閣下――せ、聖下」


 アレクサンデルが同席しているとは露知らず、ケヴィンは慌てた様子で敬礼する向きを変える。


「務めを果たせ」

「ハッ」


 直立不動でケヴィンは告げた後、トールに報告を上げる。


「リンク・モノリスの回収作業も終わり、全艦発艦準備整っております」


 聖骸布艦隊に配備していたリンク・モノリスを、ベルニクの輸送艦に移し替えたのだ。これによってベルニク軍は未知ポータルを使い多数の艦艇を動かす事が可能となる。


 とはいえ、移動要塞を得たスキピオ・スカエウォラの動静が不明な為、迂闊に星間空間を奔るのは避けた方が賢明だろう。


「分かりました。それはそうと、ジャンヌ中佐の方は――」


 四つ足に左前腕を奪われたジャンヌ・バルバストルは、フェリクスへは同行せず治療のため太陽系に戻っていた。


「既に治療も終えたと聞いております」

「え!? 随分と早いな。バイオハイブリッド体で復元したんですかね?」

「さあ、そこまでは聞いておりませんが……。あ、そういえば――」


 ケヴィンが何かを思い出したような様子を見せた。


「――これで、さらに閣下のお役に立てる、と言っていたそうです」

「へえ、どういう意味だろう」


 気にはなったが、ケヴィンもこれ以上の情報は無い。


 ――ま、会えば分かるか。


 と、軽く考えたトールは、屋敷に戻り次第ジャンヌを見舞おうと決めた。


「よし。ではボク等も帰りましょう――おっと、その前に――」


 トールはうなじに触れながら奥の小部屋へ向かった。


「ちょっと待ってて下さいね」


 スキピオほど堂に入ってはいないが、トールは片目を閉じて微笑んだ。


 ◇


 レイラ・オソロセアは、父の言葉を思い起こしながら、ウルドの待つテラスへ向かっている。


 ――フェオドラとオリガの事――良しなに頼む。


 姉と妹を案じたロスチスラフは、三姉妹のうち最も頼りになる次女に託したのだ。


 宮中には必ず魔物が棲まうものであり、オリヴィア宮とて例外ではない。


 ――ええ、お父様。


 父の懸念を理解するレイラは力強く頷いた。


 お人好しで浅慮な一面のある姉フェオドラ。

 地頭は良くとも猪突猛進の嫌いがある末妹オリガ。


 いずれも宮中の権力抗争に巻き込まれないよう計らうべき二人である。


 ――それと、レイラ。他の二人にも言い含めて欲しいのだが……。


「ご機嫌よう、ヘルマン」

「あ、レ、レイラ様」


 女帝の傍に控える近衛兵の名前は全て記憶している。


 彼等の多くはベネディクトゥス星系が公領であった当時からフェリクスに駐留していた帝国兵だった。


「陛下がお待ちかねです。ささ、お通り下さい」


 幾分か顔を赤らめた近衛兵が居室の扉を開く。


「ウルド陛下、お待たせを――」


 テラスの先で背を向けていたウルドがうなじに触れながら振り返った。


「――いや、その――よ、呼び出しておいて済まぬが――暫し――後に――」


 些かの恥じらいめいたものを感じさせるウルドの様子から、全てを察したレイラは父の言葉を改めて胸に刻んだ。


 ――あの男は諦めよ――帝国の為、いてはオソロセアの為でもある。姉妹にも固く約させよ。


 他の姉妹はいざ知らず、レイラには全く異存が無かった。


 先の籠城戦において、彼女の心は既に決していたのである。


 女帝ウルドへ忠誠を誓う事と――、


「承知致しました」


 レイラは裏心の無い笑みを浮かべ、テラスを後にする。


 ――必ずや――。


 多くの障害や困難があるだろう。


 女帝という立場は、一事が万事において、庶民ならば容易い事柄も大きな難事となる。


 巷間で有名となっている奇妙な性癖も問題だった。


 ――私が必ずや、お二人を……。


 が、ともあれ、レイラ・オソロセアの決意は固い。

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