「急場にて、これで失礼致しますわ。陛下」

　女帝ウルドの御前へ進み出たグリンニスは立ったまま敢然と相手を見据えた。

　礼法に則り跪ひざまずけば、事が決してしまうと考えたからである。

　とはいえ、ウルドの立つ位置は段差の上に在る為、必然的に見上げる体勢となっていた。何よりグリンニスは幼女に等しい身の丈である。

「グリンニス伯か。息災そうで何より」

「光栄に存じます」

　優雅な屈膝礼カーテシーを披露するグリンニスの姿は状況が異なれば愛くるしくも見えただろう。

「面妖な病を押して遠路遥々の来訪──。さぞかしの重用事を携たずさえて参ったのであろうな、ククク。――が、余は刻ときが惜しい。手短に申せ」

　婉曲な宮廷言葉を並べるなと言いたい訳である。

「承知致しましたわ」

　グリンニスは小さく頷いて言葉を続けた。

「カドガンは忠実なる臣下の務めとして陛下をお救いに上がったのです」

「ほう？」

　ウルドは片方の眉を上げ、短い相槌を打つに止とどめた。

「先般、陛下はベルニクに手を引かれ、帝都エゼキエルから落ち延びられました。迫る叛乱軍から逃れる為に――でしたかしら？」

　帝都フェリクスなど認めていないという思いを言外に込める。

「ですが、エヴァン公の尽力により叛乱軍は打ち払われ、帝都には悠久の平和が戻っております」

　旧帝都と公領の叛乱軍は鎮撫され、各地で跋扈ばっこした反政府勢力の指導的立場にあった者達は既に捕縛されている。

　何名かはヴォイド・シベリア送りとされていた。

　エヴァン・グリフィスは人心の乱れを警戒し非常に厳しい統制を敷いている。

「――にも関わらず、イリアム宮へ未だ陛下がお戻りにならぬ事、臣下臣民一同が胸を痛めておりました」

　グリンニスの言葉に熱がこもる。

　女帝ウルドの瞳を見詰めて語っているが、グリンニスが真に聞かせたい相手は周囲で跪ひざまずくカドガン領邦の愚直な兵卒達なのだ。

　人は己が信じたいものを信じる。

　兵達が立ち、再び剣を振るうには、改めて自らの正当性を納得させねばならない。

「その理由は、誰の目にも明らかでありましょう」

　そう言いながら、グリンニスは腰に吊るしたフルーレを抜く。

　危険を察したレイラが立ち上がろうとするのを女帝ウルドは目で制した。

　グリンニスはフルーレの剣先をガウス・イーデンの方へ向ける。それが意味するところは誰の目にも明らかだった。

「奸臣、トール・ベルニク」

　女帝ウルドをイリアム宮から攫い、あれよと言う間に帝国を二つに割った。

「叛乱軍から陛下をお救いした功あれど、全ては見え透いた下心有っての事で御座いましょう」

　自領近傍の星系を新たな帝都とした挙句、伯爵位だけでなく銀獅子権元帥などという特異な職位まで授かっている。

　無能な辺境領主という立場から権力の中枢に躍り出たのだ。

　その全ては女帝ウルドの裏書きがあればこそである。

「我等が打ち据えねばならないのは、卑しい野心を隠そうともしない田舎領主なのでは？」

　田舎領主とはウルド自身がトールを揶揄する際に使う呼称である。

　――が、余人から聞くと業腹ごうはらであるな。

　と、至極単純にウルドは腹を立てた。

　己が小馬鹿にする分には心楽しいのだが、他人からされると――という機微である。

「その為に、まずは、陛下を奸臣巣食う伏魔殿からお救い致します」

　トールを悪と見立てる事でグリンニスは自らの正当性を担保しようとしたのだ。

　誰かを貶めたいならば人の持つ妬みや情に訴えるナラティブが最も効果的である。

「どうか、尊き身を我等へ委ねて頂ければと。イリアム宮の愛馬達も、さぞかし陛下のご帰還を――」

「其の方」

　ウルドが、グリンニスの言葉を遮った。

「全てが縮む病であったな」

「――」

　縮むと言われると確かにその通りなのだが不快な表現ではあった。

　ウルドは、やられたらやり返さずにおれない性格である。トールを田舎領主と呼ばれた事への意趣返しといったところであろうか。

「ええ、陛下。女神の恩寵により皆様方とは違い老婆となりません」

　グリンニスとて負けてはいない。

「ふむ。いや、手短に申せと言うたが、やたらと長広舌なのでな。物覚えも縮んだのかと心配したまでじゃ」

「あらあら」

　大仰にグリンニスは驚いて見せる。

「若き奸臣にうつつを――否、悩まれる陛下から、そのような御心配までして頂けるとは臣下の誉。末代まで語り継ぎましょう。フフフ」

「縮む其方に末代があれば良いがのう。果たして果たして、ホホホ」

　緊張した面持ちで両者のやり取りを見詰めていたガウスは、二人の間に漂う空気感に変化が生じ始めている事に気付いた。

　――な、なんだ？　どうにも雲行きが……。

「ところで、陛下。お戻りを待っているのは何も馬だけでは御座いませんわ」

　馬しか待たぬ身であれば戻る必要も無い。

「ご尊父から、つい先頃も相談を受けましたの――あっ」

　仰々しい声を上げ、グリンニスが口元を手で覆った。

「私としたことが記憶違いでしたわね。ご尊父ではなくエヴァン公からですの。陛下が仰った通り、物覚えまで縮んだのかもしれませんわねぇ。フフッ」

　ぎり──とウルドは奥歯を噛んだ。

「苺を沢山揃えて、お待ちかねとか」

「お、おの――れ――」

　エヴァンと苺はウルドにとってトラウマである。

　全ての事情を知る相手から傷口に塩を塗られ、ウルドは荒くなる呼吸を抑える事が出来ない。

　だが、怒りに任せて斬り合いとなれば兵力差で負ける。

「フフ。ですから、ね──」

　他方のグリンニスには余裕の笑みが浮かんだ。

　――さ、大人しく捕まりなさい。オリヴィア。

「カドガンよ、立てッ！！！」

　フルーレを天へ翳かざした。

　◇

　話は少し遡る。

　グリンニスを追おうとしたフォックスは臨時指令所に呼び戻されていた。

　信じ難い報告が入ったからである。

「ベルニクと聖骸布艦隊が？」

「フェリクス宙域で挟撃されています。火星方面管区艦隊も出張ってきたようでして――」

　火星方面管区艦隊はパトリック・ハイデマン率いる艦隊だが、聖骸布艦隊三万と挟撃となればカドガン艦隊は壊滅的損耗を被るだろう。

　いや、実際に被っていた。

「宇宙港にも多数のベルニク艦が降下し、しきりと輸送機を飛ばしているようです」

　昨今のベルニク軍と言えば揚陸戦である。

　――十日を要するはずだったのでは……！？

　――い、いや、今はそれより輸送機が不味い。本当の猛者共が来てしまう。

　言葉を失ったフォックスだったが、頭の中では火急の策を巡らせていた。

　――ともかく姫様を逃がさねば……。

「まず、宙域の戦闘を停止させましょう」

「え？」

「さっさと降伏しろという事ですよ」

　無暗に人死にを増やしても意味がないし、これ以上心象を悪くする訳にもいかなかった。

「し、しかし――」

　今回の侵攻の総指揮官はグリンニス・カドガンである。

　彼女の許可を得ずに決断を下すのは、明らかな軍規違反となろう。

　だが、現在の彼女は、鉄火場で舌戦の最中にあった。

「責任は私が取ります」

　そう言うと、フォックスは臨時指令所を駆けだした。

　◇

「雄々しきカドガンの子等よ」

　グリンニスのフルーレに合わせ、カドガンの兵達が立ち上がる。

「正義と女神の加護は我等に在る。陛下の御身を守護する為、奸臣の雑兵共を皆殺しにせよッ！！」

　その声で立ち上がったのは、カドガン兵だけではない。

　ベルニクの兵達も腰を上げ、ウルドの傍に控えていた女官達もいよいよ立ち上がった。

　女帝ウルドとて、吊るしたクリスを手に取り構える。

「掛かれえええッ！！！！」

　保護する相手であるはずのウルドに向け、グリンニスはフルーレを構えて雄叫んだ。

　その刹那──、

　ちょっと待ったああ、と言ったか否かは定かでないが、相も変わらずエアボーンシステムに不慣れな男が大音響と共に天から降ってきた。

　ウルドとグリンニスの間を中心に噴煙と衝撃波が辺りを襲う。

　パワードスーツを装着しているウルド達は踏みとどまれたが、生身のグリンニスは吹き飛ばされて小さな体躯を地面にしたたか打ちつけた。

「ひ、姫様ッ！！」

　ようやく臨時指令所から駆け付けてきたフォックスの悲鳴が響く。

　だが、姫様――グリンニス・カドガンの許へ最初に馳せ参じたのは彼では無かった。

「うわぁ、すみません」

　地に伏した幼女の傍へ走り寄ったトールは、しきりと謝っている。

「カドガンちゃま――じゃなくて、グリンニス伯が、こんな場所に居るなんて思わなかったんです」

「――つ――ぅ」

　打撲の痛みで、グリンニスはまだ言葉を返せない。

　いや、それだけではないのだろう。

　地に倒れ空を見上げる彼女の視界に、多数の装甲歩兵達が上空に舞う様さまが映っているのだ。

　――またも――ベルニクか――。

「だ、大丈夫ですか？」

　頭部装甲を取ったトールがグリンニスをそっと抱き抱えた。

「あ、あと、必ず降伏して下さいね」

　トールは神妙な表情を浮かべて告げた。

「ボクが連れてきた装甲歩兵は一万を超えます」

　言われるまでもなく、既にカドガンの兵達は戦意を失っていた。

　だが、この時のグリンニスが感じていたのは失意や諦念ではない。

　――ど、どういうこと！？

　驚愕、あるいは歓喜であったのかもしれない。

　――何が――いったい――。

　彼女は全身で、全神経で感じ取っていた。

　自らの身体で刻まれる時が、前・へ・と進んでいる事を――。