権威とは個人の才覚に依拠するものではない。

　歴史の重みである。

　曲がりなりにも帝国はポータルで結ばれた広大な銀河の版図を、領邦間の小競り合いや不満分子の小規模な動乱に止とどめ二千年以上支配してきたのだ。

　封建制度に立脚した権威主義と遺伝特性に基づく貴族制度は、先祖返りと評されようとも社会の安定に寄与した。

　その結実が今なのだ。

「双方、控えられよ」

　剣戟の止んだのを見て取り、頃合いと考えたレイラ・オソロセアの声が飛んだ。

　――余の――いや、女帝とやらの威で抑えるほかあるまい。

　そうウルドから企図を聞かされた時、寝起きのレイラは悪夢の続きであろうかと考えた。

　女帝が己の顔貌がんぼうを矢面に晒し、敵の侵攻を食い止めるというのである。

　興奮した兵が、そのまま頸くびを刎はねる様さまが容易に浮かんだ。

　――それもまた趣おもむきがあろうな。

　レイラの懸念を汲み取ったウルドは片頬を上げて応えた。

　――錆びた幻を砕いた気骨者には誉を与えよ。余の遺志とする。

　自らの立場を幻と言い切る女帝に、有あり体ていに言ってレイラは痺れた。

　男が男に惚れるが如く、女が女に惚れる事もあるのだろう。

　故に――、

「御前であるッ！」

　生き延びる。生き延びさせねばならない。

　レイラは裂帛の気迫を込め、血濡れの戦斧を持った兵を相手に吠えた。

　戦斧が床を打つ音と、装甲歩兵の硬い膝が地に着く騒音は、現況において心地が良い。

　崩壊の瀬戸際に瀕していたオソロセア兵のみならず、攻め手の熱狂に包まれていたカドガン兵までが武器を置き跪ひざまずいたのだ。

「将は前へ出いでよ」

　レイラが告げると、奥から地に伏したまま進み出る者があった。

　最高権力者たる女帝の前で立ち姿を晒すには、前衛部隊を率いる隊長に過ぎない男の身分は余りに卑賎である。

「お、畏れながら、大隊長殿は通用門にて待機されており、暫しのお時間を頂戴できればと……」

「片腹痛いわ。余は待たぬ。ゆえ、狼藉の目的を己うぬの口から申し開いてみせよ」

　端はなから分かっている事情を敢えてウルドは問うた。

「我等は中庭の──い、いえ──陛下を保護するよう命ぜられております」

「ほう。何から保護する？」

「か、奸臣からに御座います」

　勝った後ならば通せる理屈も、戦の途中で語るには説得力が足りない。

「無用であるゆえ退くが良い。己うぬらの沙汰は追って下そう」

「あ、いや、ですが――その――」

　彼としては上官の指示に従う必要がある。

「くどい」

　ウルドの握るクリスが男の鼻先に突き付けられた。

　刺せるのだろうか──という疑念を抱く者などいない。

　それほど、女帝の眼差しは酷薄だったのだ。

　◇

　他方の格子門では、ベルニク兵とカドガン兵の間で、激烈な剣戟が繰り広げられていた。

　多数のシールドを数珠繋ぎにして投擲とうてきを防ぐ格子門までの屋根としている。

　こうして格子門を突き抜けて来た敵兵を、地勢を活かし包むように抑えてはいるが、兵力差からすると長くは持たないとガウスは判断していた。

　――予備兵が無いと、やはり厳しい。

　クレイモアを振るいつつ、余力の無さを嘆いた。

　その時、彼から離れた左翼方面で、大きな鬨の声が上がる。

「開いたぞッ！！！抜けええええええッ！！！」

　とうとう抜かれたかという諦念と、何とか駆け付けなければという焦りが、ガウスの集中力に乱れを生じさせた。

　クレイモアで目前の戦斧を弾いたが、右手から迫る雑兵の戦斧に気付くのが遅れたのだ。

　避け切れないと判断したガウスは身体を反らして上腕装甲で戦斧の打撃を受ける。

「クッ」

　踵の踏み込みが足りず、押し込まれたガウスは思わずよろめいてしまった。

　好機と見た別の敵兵が戦斧を振り上げ、ガウスに向けて駆ける。

　だが――、

「でああッ」

　雄叫ぶ巨体が割り込み、右手に持った片手剣を振るった。

　見た目通りの剣圧に、たたらを踏んだ敵兵に向かい巨体は果敢に踏み込んでいく。

「トジバトル！」

　もはや投擲とうてきの意味は失われたと判断し、トジバトルは剣闘士達を引き連れ格子門へ加勢に来たのである。

　軍属ではない彼等が死地に付き合う謂いわれなど無かったはずだが、後に理由を問われた彼はこう応えている。

　――いつもの事だ。先行投資に決まってるだろ？

　ともあれ、トジバトルは敵の戦斧をかいくぐり、片手剣を素早く繰り出し装甲の急所へ打撃を与えている。

「左ッ！」

　ガウスは自身も剣を振りながら、トジバトルの左手から迫る新たな戦斧に気付き声を上げた。だが、そこから先の動きは、闘技場の観客席で見たなら立ち上がり手を打った事だろう。

　左手で脚部収納から片手剣を取り出し、トジバトルは敵の戦斧を防いだ。次いで、そのまま両手の剣を躍らせ二人の兵を相手に剣戟をしてのけたのである。

　――す、すごいな……。

　本来は客に魅せる為の技術なのだろうが、死地に在って見惚れるような華を咲かせた。

　だが、彼の素晴らしい剣技を持ってしても、大勢を変えるには至らない。

　敵が雪崩れ込んで来た左翼は完全に崩れた。

　中央と右翼が徐々に後退し、守備面を狭める形で、どうにかオリヴィア宮前面口への侵攻を防いでいる状態だったのだ。

　初日でクイーンの頸くびが取れていれば――と悔やむが後の祭りである。

　――囲まれるのを怖れた俺が臆病だったのか……。

　――閣下ならあるいは……。

　正解など誰にも分からない。

　――ああ――最期――アイツに――。

　ガウスが憎まれ口ばかり叩く娘の顔を脳裏に浮かべた時の事である。

「え――？」

　オリヴィア宮正面口に、多数の装甲歩兵が現れたのだ。

　――オソロセアか？――いや、通用門はそれどころじゃ――。

　新手の装甲歩兵達は戦いに加わるのではなく、なぜか二手に別れて跪き花道を作った。

　その花道を歩くのは女帝ウルドである。

　女官達は照射モニタを使い周囲を燦燦と煌めかせ、花道の先に立つウルドを闇夜に浮かぶ一幅の絵とした。

　端的に表するなら、つまりは――、

　神々しい。

　◇

「――困ったわ」

　グリンニス・カドガンは正直な感想を呟いた。

　こうも正面切って女帝が出てくる事態など想定しておらず、かといって配下の兵に飛び掛かれとも言い辛い。

　――こんなに肝の据わった娘こだったかしら。

　二人の仲が決裂し、他方が女帝となって以来は、宮廷的ともいえる陰湿な嫌がらせをされて来ただけである。

　勿論、グリンニスも陰湿な応報を与えてきたのだが――。

　剣戟が止み静まり返った格子門一帯を前に、グリンニスは進退窮まっていた。

「姫様――そのう――先方がお呼びのようですが――」

「聞こえてるわ、フォックス。陛下って大声なのね」

　手持ち無沙汰で地を叩いていたフルーレを腰に戻す。

「行くわよ」

　それだけ告げ、グリンニスは歩き出す。

　――もう、腹を決めてやるしかないわね。

　兵を再び動かす事さえ叶えば必ず勝てる。

　既に二つの門を破り、相手の守備兵はさらに数を減らしているのだ。

　女帝の威に圧され跪いたまま動かぬカドガン兵達へ、今すぐ襲い掛かれと叫びたい衝動を堪えつつグリンニスは小さな歩を足早に進めた。

　衆目の中で女帝を故意に殺すのはさすがに不味い。

　――さっさと、大人しく捕まってくれたら楽なんだけど……。

　歩む先で、光を背に傲然と立つ女を見やり、グリンニスは秘かに息を吐いた。