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第9話 陥穽(かんせい)。

 連合軍におけるベルニク軍とマクギガン軍の不仲は、その裏に一人の女の影が常に在った事に触れておかねばなるまい。


 その女──イヴァンナ自身は組織の指示を忠実に実行しただけの話で、これが意味するところには一切の興味が無かった。


 故に、今回の指示についても同様である。


「今度はオソロセア兵に――ですの?」


 照射モニタには、例の如くフードを目深に被った彼女の上司が写っている。


わたくしは、ご指示通りベルニクとマクギガンを相手していましたのよ」


 そう言ってイヴァンナは口を尖らせた。


「ほう?――だが、天職を見付けたの何だと、なかなかに吠えていたと聞くぞ」


 フェリクス繁華街で夜の蝶となった彼女は、実際に飛ぶ鳥を落とす勢いだった。業界では遅咲きの新人として知られ始めている。


 彼女の持つ徒花あだばなめいた雰囲気と酒席の相性が良かったのだろう。


「なればこそ、辺境の狼であれ伝手の一つは有るだろう? 自分の為にも良く考えろ」

「はぁ――そうですわねぇ」


 相手の脅迫めいた物言いには敢えて触れず、イヴァンナは顎下に人差し指を当てた。


「――あぁ、いますわ、いましたわっ! さすがはわたくしですわよ~」

「良き」


 組織にとって全ては駒である。


 彼等の進む道には敵も味方も無い。


「今はまだ、カドガンに崩れてもらっては困るのでな」


 ◇


 今次の争乱における彼等の盤上で駒となっているのは、グリンニス・カドガンと、もう一方はジェラルド・マクギガンだった。


 野人伯爵ディアミドの息子であり、フェリクス守備陣においてベア艦隊を率いていた男である。


 ベルニクが裏切りカドガンを手引きするという偽情報に踊らされ、カドガン侵攻の原因を作ってしまった。


 結果、ジェラルドとベア艦隊は、オソロセアのウルフ艦隊に追い詰められ、ソテルポータル近傍で辛うじて陣形を保っている状態である。


 前面には現在もウルフ艦隊が対峙していた。


 父ディアミドは激怒しており、ソテルポータルを抜けて自領に戻る事も叶わない。


 つまりは、八方塞がりの状況にあるのだ。


「貴様のせいだぞッ!!!」


 何度目となるか自分でも数え切れていないが、淡々と状況を報告する副官を怒鳴りつけた。


「誠に申し訳御座いません」


 ジェラルドの怒声を平然と受け流す副官は慇懃無礼な態度を崩さない。


「根も葉もない噂で俺をたぶらかし――」


 ――カドガンは、残った艦艇で強襲するという確度の高い話があります。

 ――それが――ベルニクが裏切り手引きするそうでして――。


「ベルニクが敵艦隊を招じ入れるなどと――」


 ポータルを抜けてきた敵艦隊の動きと、ベルニクの艦隊機動が連動して見えるタイミングで、副官は自信に満ちた表情でジェラルドに告げたのである。


 ――裏切り者のベルニクが馬脚を露わしたようです。これを討てば閣下が帝国の中心に踊り出る好機となりましょう!


 その言葉がジェラルドを酔わせた。


 馬鹿にしていた辺境領主の青二才は、あれよあれよと言う間に遥かな高みへ登っていく。

 ジェラルドが心密かに懸想していた女帝のお気に入りとも噂されている。


 憎い、妬ましい、そしてなお憎い――が、余りに大きな決断を前に躊躇うジェラルドに、副官は珍しく熱を帯びた口調で言葉を重ねた。


 ――今が運命を変転させる時に御座いましょう。


 ジェラルドは、足が宙に浮くような感覚に襲われる。


 ――それとも、兵六玉ひょうろくだま――トール・ベルニクの後塵を拝す余生を送るおつもりか?


 その名を聞き、ジェラルドは思わず声を上げた。


 ――抜かせ! 俺は、誉ある武のマクギガンぞッ!!


 こうして、己の決断が全てを変えると信じ――否、確かに全てを変えはした。

 概ね悪い方向にだったが──。


「くっ――お前は――本当に――どうしてくれる気だ?」


 副官を怒鳴りつけた後のジェラルドは決まって泣きたい気持ちになる。


 息子の愚行を伝えられた父がバラ園を焼いた事も伝え聞いていた。


 もはや戻る事は叶わぬ場所である。


 万が一にも自分が戻れば、より一層と父の立場を難しくするだろう。


 ――ならば、死ぬか?


 日増しに自害という選択肢が現実味を帯びてゆく。


「閣下――私も大いに責任を感じております」


 そんなジェラルドの心情など知らぬ様子で副官は淡々と語った。


「そこで、一つ提案が御座います」

「――あん?」


 本来なら副官如きが領邦領主の息子へ提案などと片腹痛い話である。


 ――いや、既に廃嫡手続きに入っておるのだろうから……。


 もはや、ジェラルドは艦隊を預かる立場すらも怪しい。


「さる御方が、閣下に多大な興味を示しておられましてな」


 そう言って副官は薄目を開いて笑みを浮かべた。


 ◇


 オリヴィア宮正面の格子門はベルニク軍が守り、後方の通用門はオソロセア軍が陣取っていた。


 なお、通用門前に布陣する五百のカドガン兵は、初日より一度も攻める様子を見せていない。


 これがオソロセア軍の油断を誘ってしまった。


「ふぁあ」


 重いまなこを擦りながら歩く二十名ほどの集団がいた。短い休息時間を終えて交代する為に守備陣地へ向かう一団である。


「しかし、眠いな」

「まったくだ。早くトール伯に来て頂いて、通常業務に戻りたいものだな」


 籠城戦に参加するオソロセア軍は、後方支援畑を歩んできた兵員の割合が高い。


 その為、交代シフトを組むのにも苦労しており、時間帯によっては交戦経験の無い兵士――つまりは案山子かかしが多数を占める事があった。


「デスクが懐かしいよ。ふぁあ」

「ああ――にしても、お前――」


 先程から欠伸を繰り返している同僚を見やった。


「――ちゃんと寝たのか?」


 緊張と短時間睡眠の強制により、まともな睡眠を取れないという兵士が多かったのだ。


「いや、それがさ」


 問われた男は、少しばかり卑屈な表情を浮かべ声を潜めた。


「――イヴァンナと連絡が取れてな……」

「な、何だと!? お前、それは重罪に──」

「済まん。悪いとは思ってるんだけど……。俺、今回は本気だからさ」


 無論、謝って済む問題では無い。


 上官の許可を得ず外部とEPR通信をする事は堅く禁じられている。


「しかし──どうやってECMを回避した?」


 そもそもECMにより軍の閉域EPR通信以外は疎通できないはずなのだ。


「穴場があったんだよ」

「――馬鹿がッ」


 同期で同じ釜の飯を食って来た仲間とはいえ看過できない愚行である。


 だが、話の内容が下らぬ色恋沙汰のみであれば、自分の胸に留めておく選択肢も残っていた。


「何を――何を女に話したんだ?」


 ◇


たわけた事を申すな」


 そう言ってウルドは床に落ちたシモンのナイトキャップを拾い上げた。


 女帝に物を拾わせただけでも驚天だが続く言葉は動地である。


「余は、落ちぬ」

「は!?」

「もはや、落ち延びるなど不可能事である」


 宇宙港と宙域を制圧されており、フェリクスを出る事は叶わない。


 また、都市内に潜んだところでトラッキングシステムにより容易に発見される。場末の民家で捕らえられては不名誉極まりない敗北となるだろう。


 ならば――、


「レイラ――と、三姉妹を呼べ。女官共も叩き起こせ」

「は、はあ?」


 宣言とは裏腹に落ち延びる為の差配に思えたシモンは、手渡されたナイトキャップを被りながら尋ねた。


「皆様と如何されますので?」


 この時に発せられた女帝ウルドの言葉はシモンの胸へ生涯に渡って刻まれる。


「知れた事よ」


 後ろ手に銀髪を結いながら告げた。


いくさじゃ」

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