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第8話 眠れぬ夜に。

 籠城戦は既に三日を過ぎていた。


 多数の将校を失ったカドガン領邦軍が再編成に手間取っていた事と、グリンニス侮り難しと判断したガウスが完全に守りの態勢に入った為である。


 とはいえ、守備側には疲労が蓄積し始めていた。


 守備陣地を維持するには短時間周期の交代制を敷く必要があり、休息と睡眠が十分摂れない要因となっていたのだ。


 近いうちに大幅な士気の低下をもたらすのは間違いない。


 無論、女帝ウルドはこの状況を座視しなかった。


 トール率いる援軍が辿り着く日まで自身と台座を護持するには、何人たりともオリヴィア宮への侵入を許してはならないのである。


うぬらは、案山子かかしで良いのだ」


 中庭に建つ釣鐘状の建築物を前にしてパワードスーツを纏う女帝が傲然と立っていた。


 整然と居並ぶ女官達の衣装もパワードスーツだったのだが、頭部装甲をしていない故か華やいでも見える。


 シモンを始めとする男達は既に力仕事へ駆り出されており、案山子かかし役として女官達を任ずるほか無かったのだ。


「つまりは、余も――そうであるのだが――」


 そう言って、少しばかり動き辛そうな様子で、波打つ刀身のクリスで中空を突いた。


案山子かかしとして生き延びるには、せめても走れるようになる必要があろう」


 パワードスーツの利用において初心者がまず克服すべき課題は、対数フィードバックと脳内における運動イメージの乖離である。


 僅かな訓練期間のみで揚陸戦に参加し得たトール・ベルニクは、教えた者が良かったのか、あるいは天賦の才があったのかもしれない。


「――た、大変ですわね――きゃあっ」

「お姉様――きゃっ」


 と、派手に転んだのはオソロセア三姉妹の長女フェオドラである。


 助けようと手を伸ばした妹のオリガまで巻き添えに転んでしまったのだ。


 専ら次女のレイラが女帝の傍に仕えているが彼女達も名誉近習である。


 政治と関りの無い気楽な茶会をウルドが所望した際には、フェオドラやオリガが呼び出される事が多かった。

 絶妙に敏くない点が気易かったのだろう。


「も、申し訳御座いません――あわわ――きゃあ」


 狼狽え立ち上がったフェオドラは、謝りつつも再び尻餅をついた。


「この――」


 と、思わずウルドの眉間に縦皺が入ったところで、


「まあ、ふふ――お姉さまったら」


 次女のレイラが声を上げて笑った。


 すると、


「ほほほ」

「し、失礼――くすっ」

「ふふっ」


 フェオドラとオリガを中心に、さざ波の様に笑声が拡がり始めた。


 籠城戦の緊張と何より女帝を前に遠慮のあった女官達が、レイラの笑声に連られる形となったのである。

 宮中に久方ぶりとなる女達の嬌声が響いた。


 ――ふむん。


 ウルドは放ちかけた叱責の言葉を飲み込み、緊張が幾分かほぐれた様子の女官達とオソロセア三姉妹を見比べる。


 ――故意か偶然かは分からんが……。


 人の身で張り詰めた状態を永続させる事など不可能である。


 結果として、良い時に良い効果を生む一幕があったのだ。


滑稽こっけい


 瞬間的に湧いた苛立ちを抑え、ウルドは少しばかり頬を緩めて告げた。


「後に褒美を取らせよう」


 ◇


 中庭に面する居室にしつらえられた簡易ベッドの上でウルドは眠れぬ夜を過ごしていた。


 あれやこれやと考えているとときが過ぎていく。


 死や敗北を怖れていた訳ではない。


 事ここに至っては、勝つために尽くすほか悩んだところで意味など無いからだ。


 故に彼女の思考の大半を占めていたのは籠城戦を終えた後にあった。


 蛮族討伐に向かったトール・ベルニクの凱旋後は、雪崩を打ったように諸侯が新生派勢力へなびき始めるだろう。


 カドガン領邦軍にフェリクス侵入を許したとはいえ、ここを凌げば敵方に当面の間は二の矢が無いのである。


 エヴァン公と彼に与する選帝侯達の抵抗はあれども、新生派勢力を中心に新たな政治システムが構築されていくのだ。


 女帝ウルドが君臨し、オソロセアやベルニクなどの功臣が支える事になる。


 その時――、


 ――余は――どうしたいのであろうな。


 トール・ベルニクをたらすると決めたとはいえ、その先の道筋を具体的にえがけていない。

 単なる愛人とするのか、婿として娶るのか、あるいは――、


「リヴィ――ええと――陛下」


 戸を叩く音と密やかな母の声で、ウルドの取り留めのない想念は中断された。


 見張りの衛兵は母后ぼこうシャーロットを追い払う事が出来なかったのだろう。


 彼女は仮面舞踏会を契機にオリヴィア宮に居付いていたのだ。


 けがれた出生の秘密に関わる女など傍に置きたくなかったが、対立するエヴァン公相手の駒として利用できる可能性も考慮して滞在を許していた次第である。


「母君か――入られよ」


 ウルドは手早く身支度を整え、ベッドから降り立ち告げた。


「――ふう、とっても冷えるわね、リヴィ」


 シャーロットは厚手のショールを羽織っている。


 カドガン領邦軍の工作部隊により外部からの動力供給を絶たれたオリヴィア宮は、地下に設営した緊急動力システムに頼っていた。


 軌道都市の外気温は調整済だが、屋内空調が抑制されていると、オビタルにとって心地良い空間とは言えなくなる。


「熱い茶でも?」


 サイドテーブルには、ティーセットが置かれている。


 籠城戦という緊急時において、いちいちと傍付使用人を呼ぶのが面倒になり、ウルドは手ずから茶を淹れるようになっていた。


「あら嬉しい。頂くわ」


 シャーロットは少女のように微笑んだ。


 実際、今もって見た目には少女で通る若々しさを保っている。


「ここ、良いかしら?」


 茶を淹れながらウルドが頷くと、シャーロットは手近な椅子に腰かけた。


「――どうぞ」


 湯気立つティーカップを母に手渡す。


「ありがとう」

「いえ」


 未だに彼女は、母を前にした時の態度を決めかねていた。一方のシャーロットは、直ぐに母娘の関係性で詰め寄る傾向にある。


「ところで――」

「あのね、リヴィ」


 二人の言葉が重なり、自然とウルドが口をつぐむ。


「今回の喧嘩なのだけれど――」


 ――エヴァンとの争いについても同じ言いようであったな。


 テラスで交わした母との会話を思い起こした。


 故に、続く言葉も予想は出来る。


「――あなたから謝った方が良いと思うの」

「ほう」


 と、ウルドは相槌に止めた。


「だって、姉妹みたいに仲良しだったでしょ。なのに――」


 年齢差から言えば姉妹というより母娘とはいえ、グリンニスと仲が良かったのは事実である。


 だが、決裂した後、久しく月日は流れた。


 互いに触れてはならぬ傷口に塩を塗り合ってしまったまま時が止まっている。


 出生の秘事と不治の病――。


 立場が変わり、対立はより深刻になっていく。


 両者は相手の瘡蓋かさぶたを剥がす行為を繰り返し、謝罪程度では済まない溝が出来てしまった。


「そもそも、これは喧嘩ではなく──」


 尚且つ、両者には国家を後ろ盾とした面子があり、さらにはその面子を支える者達の利害も関係してくるのだ。


「戦争なのです、母君」


 個人の諍いが生んだ軋轢という側面も否定できないが付随する尾ひれが大きすぎた。


「難しい事は分からないのだけれど――」


 だが、シャーロットの視ている世界は他者と少し異なる。


「戦争って、ようは喧嘩でしょう?」

「いや――」


 それは違うとウルドが抗弁しようとした時の事である。


「大変で御座いますっ!!」


 侍従長のシモン・イスカリオテが慌てた様子で部屋に駆け込んできた。


 就寝中に叩き起こされたのか、ナイトキャップを頭に乗せたままである。


「つ、通用門が破られましたぞ。落ち延びる準備をお急ぎ下さい!!」


 そう言った直後、彼の頭からナイトキャップが落ちた。

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