憲兵司令ガウス・イーデンは前線で戦った経験など無かったが、艦隊戦を任されるよりはいくらかマシな状況だったと言える。

　憲兵学校でもパワードスーツの扱いと剣技は学んだし、中隊規模の人員を指揮して反体制派勢力相手に戦った実績もあるのだ。

「す、凄い人数ですね……」

　ガウスの傍に立つ副官が震えを帯びた声で呟いた。

　格子門前にはカドガン領邦の装甲歩兵が横陣を組み居並んでいる。

「十中隊構成で千人だ」

　トラッキングシステムから得た情報によれば、格子門前に展開する敵は指揮官含め千余名である。

　他区画及び通用門側にも兵が配置されている事も把握していた。

　対するベルニク側は総勢百二十名で、尚且つ後方支援勤務の経験しか持たない者も含まれている。

　彼等は守備陣地を少しでも大きく見せる為の案山子かかし代わりだが──。

「素直に言って、実に厳しい」

　無論、白き悪魔ジャンヌ・バルバストル率いる古参部隊であれば、何するものぞという兵力差だったかもしれない。

　だが、ガウスに与えられた条件は大きく異なっていた。

　防衛する側が有利とはいえ、人数差が大きすぎる上に経験も不足している。

　おまけに少しばかり腰の引けた連中を率いる必要があるのだ。

　戦闘が長引けば不利が増すのは間違いない。

　と、ガウスが頭を悩ませている時、驚くべき情報が入った。

「グリンニス伯が！？」

　フェリクス侵攻に同行しているだけでも驚きだったが、前線にまで輸送機で向かっているというのである。

　――閣下のような御仁だな。

　やたらと前線好きな主人を思い起こす。

「ハッ。間違い有りません。腹心のフォックス少将と共に、宇宙港から輸送機で向かったのが確認されております！」

　赤髪のフォックス――。

　カドガン領邦参謀本部付の将校だが、軍人というより領主の近習として知られていた。奇病を患うグリンニス・カドガン伯の傍で常に控え、外交的行事では代理を果たす事も多い。

「クイーンとナイトが揃ったわけか」

　フォックス当人が聞けば、どちらかと言えばビショップなのですが――と訂正したかもしれない。

　いずれにせよ、ガウスにとって、これはひと筋の光明に思えた。

　武器の投擲とうてきで生まれた混乱に乗じ打って出て敵の出鼻を挫く契機とするのだ。

　ジリ貧となる前に、味方の士気と自信を高める為でもある。

　尚且つ、万が一にも敵のクイーンが戦場に降り立てば――。

　最大限上手く事が運んだ場合、この戦いを早期終結に持ち込める可能性すらあるだろう。

　――だが、ギャンブル性は高いな……。

　勝てる見込みの高い籠城戦とウルドは断じているが、ガウスの自陣営に対する評価は些か異なった。

　――どうするか。

「トジバトル」

　外周部上層で待機するトジバトルにEPR通信を繋いだ。

　<< 憲兵殿か。ええと、こっちの準備は――テメェら黙ってろ――すまん。まあ、終わったぜ >>

　途中、周囲で騒ぐ剣闘士達を怒鳴りつけたようだが、緊張で葬式のように静まり返っているよりは良いとガウスは評価した。

　軍属ではない彼等が逃亡しないだけでも見上げたものである。

「そうか」

　ガウスが指示を下せば、彼等が武器を投擲とうてきする手筈となっていた。

　最も効果を発揮するのは相手が予期しないタイミング――つまりは初激となる。

　シールド等で対策を講じられた後は敵の侵攻速度を遅らせはするが、与ダメージは著しく低下するだろう。

「――しかし――憲兵殿」

　トジバトルが、不思議そうな声音で言った。

「輸送機から、ちびっこいガキが降りてきたぜ。――何だ、ありゃ？」

「な、何ッ！？」

　思わずガウスの返事も上擦ってしまう。

　局面を変えうるクイーンが目と鼻の先へ降り立ったのだ。

「トジバトル！」

　◇

　ガウス・イーデンは、自ら先頭に立ち、百の装甲歩兵と共に打って出た。

　ベルニク、ベルニク――誰が決めた訳でもないのだが、古来よりベルニク領邦軍の掛け声となっている。

　若きトール・ベルニクが領主として覚醒して以降、士気と連帯を鼓舞する効果をより発揮するようになった。

　彼が常に勝利と共にあった点が大きいのだろう。

「押せ、押せ、押して――叩き斬れッ！！」

　言いながら、ガウスはクレイモアを懸命に振るった。

「うおおおおお」

　冷静沈着を旨とするガウスも、普段とは異なる躁状態へ自らを高めていた。叫び、吠え、同胞達の凶声に唱和したのだ。

　敵の剣戟を恐れず進み、装甲を砕き軟肉を斬り裂くには、一にも二にも熱狂なのである。

　――閣下の生とは、これほどの狂気の中に在るのか。

　血煙の中でガウスは仕える主人の豪を改めて思った。

「散るなッ！！」

　両翼の敵兵を追いそうな動きを見せた部下に叫んだ。

　敵中央を崩しきれなければ速やかに引く必要があり、寡兵の散開は決して許されない。

　なお、格子門の前には二十の案山子かかしと、さらには剣闘士の一部をトジバトルに回してもらっていた。

　敵両翼からの侵入を躊躇わせ退路を確保する為だが、現状ではその心配は無さそうである。

　投擲とうてき初激、続く第二激で、敵が浮足立ったのは間違いない。

　兵数差を活かして囲む様子を見せるどころか、左翼と右翼は後ろに下がり始めているのだ。

　――指揮官にでも、まぐれで当たったのかもしれんぞ。

　実際にその通りで、剣闘士軍団の放った投擲は、数十名の兵士と連隊長の命を奪っていた。

　――よし、この調子で中央を押し切れれば……。

　クイーンの頸くび取りが現実味を帯びる。

「このまま――」

　ガウスが檄を飛ばそうとした時の事だった。

　口さがない貴族連中からカドガンちゃま――と揶揄やゆされる幼女の大音声が辺りを圧した。

「我こそカドガンなりッ！！」

　グリンニス・カドガン――奇病にさえ冒されていなければ、彼女こそが覇を唱えた可能性もあっただろう。

「兵ども引くな、敵は寡兵ぞッ！！！」

　自らの危険を顧みぬ貴人の行動が、戦況を一変させる事がある。

　それが、まさに今であった。

　当時の感覚で言えば卑怯な投擲とうてきにより指揮官を失い、さらにはベルニクの猛進に意表を突かれて浮足立っていたカドガンの兵達がようやく我に返ったのだ

「卑怯卑劣なベルニクを喰らい尽くせ！　カドガンの子等よッ！！！」

　幼き姿の彼女がフルーレをかざす様さまは童子の演ずる芝居ではない。

「行ゆけぃ！！！」

　最初に反応したのは左翼に陣取るカドガン兵である。

　進め、進め――という声を上げ、ベルニクの後方へ回る動きを見せ始めた。

　呼応するかのように右翼の兵達も動き出す。

「クソッ」

　即座に潮時とガウスは判断した。グリンニスにより流れは変わったのだ。

「退けッ！！！」

　ガウス率いる百の装甲歩兵は、ジリジリと格子門へ後退を始めた。

　無論、敵からすれば狙い目となる。

「逃がすなあああ」

「包めえええ」

　両翼の兵達が勢いを増し後背へと動く。

　防戦一方であった中央の兵達も、潮目の変化を感じ取り攻め手に転じていた。

　そこへ――、

「上だ、来たぞ、盾をッ！！」

　剣闘士軍団はベルニクの退路を確保すべく、再びの投擲とうてきで援護をした。

　味方に被害を与えないよう狙ったせいか、数はさほど多くはない。

　が、敵の動きを牽制するには十分だった。

　――助かったぞ、トジバトル。

　二人とも生き延びたなら酒を酌み交わすと心中で決めた。

「今のうちだ。急げッ！！」

　ガウスの叫びは、閉域EPR通信のみならず、肉声でも全部隊へ伝わった。

　上空からの支援を受けるベルニク兵達は辛くも自陣への帰還を果たす──。

　こうして、初戦は幕を閉じた。

　幸いにも、ベルニク側に死傷者は出ていない。

　他方のカドガン側は、連隊長及び、中隊長一名、さらに下士官を含み六十余名を失った。

　甚大な被害を与えたとはいえ、なおも彼我の兵力差は大きい。

「ふう」

　多量のアドレナリンが分泌され興奮は醒めていないが、まずは礼を伝えようとトジバトルに連絡をする。

「助かった」

　<< いや、そっちも見事な――ええと――逃げっぷりだった >>

「――ハハハ」

　思わずガウスは声を上げて笑う。

「まったくだな」

　以上が憲兵司令ガウス・イーデンの初陣であり、また軍における彼のキャリアの転換点でもあった。