オリヴィア宮は、庭園区画、行政区画、そして宮殿区画に分類されていた。

　女帝ウルドの命は当然として、カドガン領邦軍の台座近傍への侵攻を阻むのが今次防衛目標となる為、必然的に重視されるのは宮殿区画である。

　数刻前、ウルドは謁見の間を背景とし臣民に向け以下の様に告げた。

「逆賊カドガンのフェリクス宙域への侵入を許したが、余はオリヴィア宮より引かぬ」

　敵に情報を与える事になろうとも政治的意義を優先したのである。

「狙いは我が身一つである。帝都の民は安んじて暮らせば良いが、念を置き戒厳令を発した」

　カドガン領邦軍には市街地を攻撃する意味も人的余力も無い。

「なお、余の銀獅子権元帥は、既に蛮族共を討ち掃い凱旋の途に就いておる」

　凱旋と呼んで良いか否かは兎も角、帰路にあるのは事実だった。

「十日を堪こらえ――」

　と、語るウルドの表情は内裏だいりで見せてきた悪辣さを想起させ、シモンや女官長などを震え上がらせる次第となった。

「腸はらわたを地に落とすカドガンを肴さかなに血の祝杯を上げる」

　◇

「輸送機による直接侵入の可能性を除外できるならば――」

　トールには、ECMを軸とした対空防衛システムを無効化する為、敢えて骨董レベルのティルトローター機を使いイリアム宮に侵入した実績がある。

　だが、土木工事を伴うグリンニスの戦術目標からすると、少数精鋭部隊による落下傘的作戦は考え難い。

「――守るべきポイントは二カ所となります」

　オリヴィア宮に設しつらえられた統合防衛本部にて、ガウス・イーデン少将が照射モニタに映し出された地図を示しながら説明をしている。

　仮設のブリーフィングルームに、現在の統合司令官を拝命するアリスタルフ中将と、本部詰めとなっているベルニク及びオソロセアの士官達が揃っていた。

「正面の中央格子門及び裏手の通用口、この二つを固めれば宜しいでしょう。オリヴィア宮は二重構造になっており──」

　低階層の窓は強化シャッターを下ろして外周部の建築物を城壁とするのだ。

「敵が重機を前面に押し出し寄せてきたなら如何する？」

　オソロセアのアリスタルフ中将は慎重派として知られる男である。

「我々にはパワードスーツがあるのです」

　現在の状況を想定した訳でもあるまいが、トールはオリヴィア宮に多量のパワードスーツを備蓄していた。

「カドガン勢としても重機類は虎の子――というより、中庭を占拠するまで出してくる事はないでしょう」

「ふむん」

　アリスタルフにも他案がある訳ではない。

　彼の習った戦争様式に従えば、防衛陣を突破され制宙圏を取られた段階で勝敗は決している。

　後は外交のテーブルにて、文官同士が沙汰を決めれば良い。

　それこそがオビタル帝国における領邦間の争いを牧歌的たらしめてきた流儀でもあった。

「さらに、もう一つ。閣下より――トール伯より授かった策も御座います」

　実際には、策というほどのものではない。

「我々の盟約、そして不文律を違えぬ形で――」

　紳士的な軍人である事を止めるだけの話なのだ。

　◇

「ええと、俺らは、これをぶん投げれば良いと？」

　オリヴィア宮外周部に位置する建物の最上階には、トジバトル・ドルゴルと彼の世話を受けている剣闘士達が集められている。

　何れの剣闘士もパワードスーツを装着済みだった。

「そうです」

　酒の匂いをさせた荒くれ者達に対して、ウルドの名代として接しているのは名誉近習のレイラ・オソロセアである。

　――昼間から飲んでいるような者達で――本当に大丈夫なのかしら……。

「なるほど――数はある」

　剣闘士達が集められた部屋にはツヴァイヘンダーなどの刀剣類がうず高く積まれていた。

「こいつらを、連中の頭上に放り投げるわけか」

　トール・ベルニクがオリヴィア宮に備えた武器類は相当量に及んだ。

　但し、今次においては兵員の数が少なく、却って装備類の方が余っている。

「余らせるくらいなら、投げちまおうって事だな」

　艦艇内だけでなく、軌道都市においても遠隔兵器の利用は禁じられている。

　無論、オビタルの有する技術力を以てすれば、容易に都市を壊滅せしめる兵器を実現する事は可能だろう。

　法と名誉に基づきこれを長らく避けてきたが、原始的な投擲とうてきという脱法行為によって、先人達が築いた栄えある紳士協定に小さな穴が穿たれたのだ。

　この点、スキピオ・スカエウォラによる軌道都市崩落と併せ、後に直面する戦いが酸鼻さんびを極めるものとなった一因である。

　サピエンスが見るのは、常に今なのだ。

　◇

「配置は整ったのだな」

　女帝ウルドは中庭に面した小さな居室でガウスの報告を受けていた。

　兵力の分散という愚を犯さぬ為、玉座が台座の傍に移されたのだ。

　粗末な椅子でも不思議と優雅に座る女帝の前には、ガウス、アリスタルフ、そして緊張した面持ちのトジバトルが立っている。

　他方、女帝の背後には、レイラとシモンが控えていた。

　――ま、まじかよ！？

　危地にあってオリヴィア宮に召喚された立場とはいえ、まさか女帝ウルドの御前に立つ事態になろうとはトジバトルも思っていなかったのである。

「格子門はベルニクが、通用門はオソロセアが固めております。上からは、トール伯の食客であるトジバトル殿が――」

　言いながらガウスは、トジバトルの背をそっと叩く。

「と、トジバトル・ドルゴル――です。ぶ、ぶん投げます」

「ほう」

　と、ウルドは鷹揚に頷いた。

「存分にかち割って参れ」

　柔とは対極にある女帝の物言いに、トジバトルは唾を飲み込んだまま続く言葉を失った。

　元より謁見での作法など剣闘士の与り知るところではない。

「そ、その──」

「陛下」

　口ごもるトジバトルは途中ガウスに言葉を挟まれて胸を撫でおろす。

　とはいえ続く彼の話は別の意味で各人に緊張感を強いた。

「只今、報告があり――天蓋ゲートに敵が取り付いた模様です」

　狭隘きょうあいな地勢を十日間守り抜けば良いと分かっていても、失した場合の損失があまりに大きい事が各自の肩へ重くのしかかる。

「些か不安な思いもあろうが――」

　女帝ウルドは眼前に立つ者達を見回し告げた。

「――幼子に聞かせる法螺ほらを作って参れ」

「ほ――ハハ――い、いえ――」

　ウルドの意を汲んだガウスが明るく応じた。

「承知しました」

　ガウスとアリスタルフが敬礼をすると、トジバトルも慌てて真似てみせる。

「うむ」

　と、頷いたウルドは、予想外な行動に出た。

「――宜しく頼む」

　そう言った後に椅子から立ち上がった彼女は、少しばかり不器用な仕草で答礼をした。