ジェラルド・マクギガンは邦笏ほうしゃくを預かるほど信頼されてきた息子である。

　故に、ランドポータル防衛の連合軍へ参画する際、一万五千の艦艇を率いる司令官を任されたのは必然だったろう。

　自身も当然の差配と思っていた。

　他領邦との小競り合いで培ってきたポータル防衛の知見と経験を活かす機会ともなる。

　とはいえ、少しばかり釈然としない思いが内奥にあったのも事実だ。

　今回の連合軍編成においてマクギガン領邦は最も多くの艦艇を派出し、尚且つ司令官は領主の息子なのである。

　だが、ポータル防衛を統括する統合司令官は、あろうことか各領邦の連番制とされた。

　弱小、辺境、アホ領主が治めるとされてきたベルニクと同列扱いである──。

　そんな司令官の苛立ちが部下にも伝搬してか否か、度々上がってくるベルニク領邦軍との乱闘騒ぎも頭痛の種だった。

　――全く、ベルニクとは上から下まで気に入らん！

　――あのアホ領主は、どんな手管を使って陛下に取り入ったのか……。

　惰弱な風貌のトール・ベルニクの顔を脳裏に描き、何度か執務机に拳を打ち付けた。

　そんな最中に彼は聞いたのである。

　――余の腹はらである銀獅子権元帥へは既に勅命を発した。己おのれら蛮族共を塵芥へ還せとな。

　蛮族討伐の勅命――。

　女帝ウルドに余の腹はらとまで言わしめた自身より年下のアホ領主は、勅命を授かり栄えある蛮族討伐へと赴く。

　他方の己は、どうか？

　補修整備に追われ当面は攻めてくるはずもないカドガン領邦を相手にポータル前の防衛陣を奔り続けるのみである。

　兵卒共の下らぬ諍いにも頭を悩ませる必要があった。

　――アホ領主との格差が拡がるばかりではないか……。

　――まったく、このままでは父上存命中の官職は望めぬ。――いや、情勢が落ち着けば、さほど功無き者として末席に追いやられかねない……。

　ジェラルド・マクギガンの最も大きな見当違いは、この点であっただろう。

　帝国が再び一つにまとまるのは、思いのほか早いと考えていたのである。

　無論、当時そう考えていたのは彼だけではない。

　女帝と玉璽を擁し、さらには教皇アレクサンデルが自身の旗色を鮮明にしていた。

　風見鶏の如く動かぬ諸侯も、蛮族討伐後には雪崩を打って駆け込んでくると目されていたのだ。

　故に、ジェラルド・マクギガンは功を焦った。

　情報部から上がって来た報告は、そんな彼の興味を引いてしまう……。

「――カドガンが残った艦艇で強襲する──という確度の高い情報が入っております」

「あん？　馬鹿を言うな」

　ジェラルドは胡乱気な目付きとなる。

「補修整備に出していない艦艇となると――一万から二万程度だろう」

　その数では連合軍の防衛陣を破れるはずもなかった。

「それが――ベルニクが裏切り手引きするそうでして――」

　◇

「ベルニクにメリットが無いのではなくて？」

　フォックスの目論見を聞いたグリンニス・カドガンは首を傾げた。

「トール伯と統帥府長官ヨーゼフの不仲を利用しました」

「嘘なのでしょう？」

「皆、己が信じたいものを信じるのです」

　フォックスが言う通り、ジェラルド・マクギガンは信じたのだ。

　日々報告が上がって来る兵卒同志の諍いも、彼のベルニクに対する憎悪を深化させていた。

　ともあれ、ジェラルドは憎きベルニクの裏切りで、カドガンが攻め入って来るのだと信じている。

　そして同時に、裏切り者のベルニクを撃滅し返す刀でカドガンを追い払えば、自身の栄達も約束されると考えていた。

「統合防衛本部のガバナンスが機能していない点も我等に有利に働きましょう」

　烏合の衆が数だけ揃えた場合、複雑な艦隊機動は行えない。

「敵防衛陣の艦隊機動は完全にルーティンになっておりますから――」

　三つの艦隊が、それぞれ交代で前面に立つよう機動している。

「ベルニク艦隊が引くタイミングで、まずは老朽艦を突入させます」

　撒き餌である。

「彼等が定石通り城を築くなら失敗です」

　フォックスの瞳が妖しく光った。

「ですが、期待通り野人の息子が功を焦ったなら──好機となりましょう」

　◇

　乗馬服姿のウルドが謁見の間に立っていた。

　銀に輝く髪を頭上へ結い上げた姿は神々しくもある。

　また、彼女の脇には名誉近習となったレイラ・オソロセアが控えていた。

「カドガンずれには刻ときが無い。故の愚策であろうな」

　謁見の間に呼ばれたガウスは、跪いたまま女帝ウルドの話を聞いている。

　――愚策と言われれば、確かに愚策……。

　フェリクスを一時的に掌握したとて、ベルニクやオソロセアから援軍が到着すれば、僅か二万の手勢では守り切れなるはずもない。

　聖骸布せいがいふ艦隊を引き連れたトールが戻ってきた場合も同様である。

「それほどに欲しておるのだ」

「畏れながら――陛下をでございますか？」

　小さな舌打ちがウルドから漏れる。

「二度は畏れるな、ガウス・イーデン」

「ハッ」

　叱責とはいえ不快ではないな、とガウスは思った。

　直截な物言いを好むようになった――という噂は真実だったのである。

「アレが欲するのは余ではない。件くだんの台座である」

「なるほど――」

　目にした事は無いがテルミナ経由でマリの話は聞いている。ベルツ家に連なる者が台座に乗ると、城塞の建つ不思議な島へ飛ばされるらしい。

「土台ごと台座を持っていくつもりなのだ」

　非常に大掛かりな土木工事になるが、永続的なフェリクス占領よりは実現可能性が高い。

　つまり、ベネディクトゥスを版図に加えるつもりなど無いのだ。

「手土産に、余を攫うか始末しようとも企んでおるかもしれぬが――」

　グリンニス・カドガンと女帝ウルドの間にある確執はガウスも耳にした事がある。

「――本筋ではなかろう」

「ならば、引かれるのも手では？」

　訳の分からぬ台座など呉れてやれば良いとガウスは考えたのだ。

　ホーク艦隊司令ギルベルトが提案した通り太陽系に逃れた後に援軍を待てば良い。

「矢を見れば背を向ける」

　腕前のほどは分からないが、ウルドの腰にはフルーレが吊るされていた。

「かような悪評を余は望まぬ」

　トールによる策謀の一環とはいえ旧帝都を脱し、それからさほどの刻ときも経たぬうちに女帝が再び帝都を追われては人心に悪影響を与えかねない。

「愚かな献策にございました。ご容赦を」

　素直な思いでガウスは頭を下げた。

「そもそも勝てる戦いくさであろうしな」

「籠城――ですか？」

　この点については、ガウスは些か不信感を抱いている。

　ベルニク蛮進前夜となる当時、軌道都市における戦闘は想像の埒外だった。宙域とポータルの制圧により全ての戦いは趨勢が決まったのである。

　オリヴィア宮とて防空設備こそ備えてはいるが、地上部隊侵攻を想定した造りにはなっていない。

「一つ。敵には時間が無い。まずは拙攻となろう」

　フェリクス宙域に到着した彼等は壁面砲に耐えつつ軌道揚陸を果たさねばならない。

　さらには、援軍到着前にオリヴィア宮の中庭を占拠し、台座を外す土木工事を終え撤収する必要がある。

「二つ。我等は守るべき場所が少ない」

　敵の狙いがウルドの推察通りであれば中庭の釣鐘状の建築物を守れば良い。

「三つ。備えが──ん？」

　ウルドの言葉が中断され、照射モニタが彼女の脇に現れた。

「陛下ッ」

　――か、閣下だ！

　ガウスの頬が僅かに緩んだ。

　――というより、陛下と直接のEPR通信――いつの間にだろうか。

「ご無事で良かったです」

　と告げるトールの表情には少しばかりの疲労が見えた。

「うむ。余は息災である」

「そ、そうなんですか。カドガンちゃまが攻めてくると聞いたんですけど」

「ちゃま？――まあ、そうだ。来る」

「急いで戻りますが、十日近くは掛かると思うんです。ですから――」

「宮にて待つ」

　何かを言わせまいとするかのように、ウルドは言葉を重ねた。

「ええっ！？　確かに今後の事を考えますと引かずに頂けるのは有難いのですが――ええと――あ――いや――」

　その時、トールは、遥かな地で乗馬服姿で屹立する少女の眼差しを見たのだ。

「――陛下」

　血が流れ過ぎた。そして流し過ぎた。

　もはや、己の身ひとつで贖える業ごうではない。

　だが、彼には――トール・ベルニクには――、

「ご武運を」

　――戻らねばならない場所がある。

「うむ」

　この時、傲然と頷く女帝ウルドの口端が緩んだと気付いたのは、レイラ・オソロセアのみである。

「伯より授かった備えもある」

　ウルドに懸念はない。

「ゆるり、安心致せ」