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第2話 狐の忠義、熊の激憤。

 女帝ウルドが広域ブロードキャストを使い、グノーシス船団国へ宣戦を布告した時──、


「フォックス、どういう事かしら?」


 観戦武官ハンス・ワグネルの書き物に目を落としていたグリンニスは、傍らに控えるフォックス・ロイドへ物問いたげな視線を送った。


「――はあ」


 彼としても唐突な展開に驚き、咄嗟とっさには返す言葉が浮かばない。


「銀獅子権元帥が執行者のようだけれど」


 トール率いるベルニク艦隊は聖骸布せいがいふ艦隊と木星方面で合同演習をしているとされていた。


 公式発表は無論の事、トールと険悪な仲になったとされる統帥府長官ヨーゼフ・ヴィルトの妻から伝え聞く情報によっても裏付けられていたのである。


「ともあれ、太陽系には居ないようです」

「――騙されたわ」


 トールは太陽系における自身の不在を、聖骸布艦隊来訪、大規模合同演習、家臣との軋轢──といった目に付きやすい包装紙で覆い隠したのだ。


 ――不在中に私が動かないようにする為ね……。


 実際にグリンニスは来たる決戦に向けた下準備として、直接的な軍事行動ではなくトールとヨーゼフを離間させる策謀に注力していたのである。


「こうなっては、トール伯と、あなたの親戚が不仲という話も怪しいものね」

「――ええ」


 とはいえ、今すぐに攻め入る訳にもいかなかった。


 準備が整って、いざ出陣――となった暁に、蛮族討伐を終えたトールが太陽系に凱旋してくる可能性もあるからだ。


「ですが、このまま座して眺めているのも愚策でしょう」


 読み違いという失態はフォックスを消沈させているが、次なる手を打つ意欲を妨げるほどのものではない。


 何より、彼が長年仕える少女――いや、幼女に残された時を考えるなら、立ち止まっているいとまなど無いのである。


 ――城塞が解決するという確証はありませんが、何も為さずグリンニス様が消えゆくなど――女神が許したとて――私が許しませんよ。


 彼には彼の忠義が在る。


 自身が幼かった頃、そして家中の全てからうとまれる存在であった頃――。


 世界を呪った少年に手を差し伸べたのは美しい大人の女性だった。かつての彼女が持っていた豊かな二つの膨らみに、思春期の彼は少しばかり鼓動を早めた記憶もある。


 ――必ず……。


 以来、フォックス・ロイドは、その胸に誓っている。


 ――姫様――グリンニス様を、自然のことわりに戻して差し上げます……。


 その為ならば、己の命など惜しくは無い。


 フォックス・ロイドは細い切れ長の瞳をさらに細め、次なる奸計に思いを巡らせる。


 ◇


 マクギガンの裏切りを知った時、憲兵司令ガウス・イーデン少将は、さもありなんと感じたのみで特段の驚きは無かった。


 ガウスのフェリクス出張は、既に半年以上となっている。


 ――俺は、ここで――オリヴィア宮で死ぬのかもしれんな……。


 テルミナから配信された執政官公開処刑の中継を手伝った為、女帝ウルドによる宣戦布告まで間近で目にする事となった。


 衝撃的な光景も冷めやらぬうち、ガウスにも優先すべき課題があり、部下からの報告書に目を通していたところである。


 ――ようは烏合の衆って事なんだよな……。


 ランドポータル防衛は、三領邦の連合軍が協力して当たっていた。


 これを統括するのが、オリヴィア宮に急遽設営された統合防衛本部である。


 統合防衛本部に統合司令官が配されているのだが、本来なら禁衛府長官あたりが適任となろう。


 だが、新生派オビタル帝国においては未だ禁衛府が置かれていないのである。


 よって、統合司令官は、各領邦の艦隊司令が交代制で受け持つ取り決めとなっていた。


 ――これもまた、実に宜しくない。


 体制揺籃期における折衷案であろうと理解できるが、軍事行動にあって確としたトップの不在は様々な弊害をもたらす。


 その最たる部分が、一般兵の間に見られる規律の緩みである。


 各艦艇に乗船する兵士達は交代で帝都フェリクスにおいて休暇を与えられるのだが、至る所で揉め事を起こしていた。


 中でもマクギガン領邦の兵士達は質が悪く、ガウスの許へ届けられる悪報の多くにマクギガンが関わっていた。

 ガウスにとって頭の痛い事に、そのマクギガンが目の仇にしているのはベルニク領邦軍なのである。


 根底には嫉妬があるのだろう。


 辺境の弱小領邦と蔑んできた相手が、自分達と同格――ともすれば格上の扱いを帝国において受け始めているのだ。


 一般兵が国勢など気にするな、と言ったところで意味などない。


 古来よりサピエンスとは、自身が帰属する集団に己の存在意義を重ねる性向を持っている。


 ともあれ、相次ぐトラブルを前に、憲兵司令ガウス・イーデンはフェリクスを離れる事が叶わなくなっていた――。


 そこへ、マクギガン離反と、カドガン襲来の報せを受けたのだ。


 ――閣下とも連絡が取れんしな。


 ガウスは、無性に呑気な領主の顔を見たくなっている。


「憲兵司令殿――ガウス少将!」


 慌てた様子の副官が、オリヴィア宮にて割り当てられているガウスの執務室に入って来た。


「――ん――なんだ?」


 ガウスは、落ち着いた声音で応える。国許からの退避命令ならば、まずは女帝ウルドにお伺いを立ててからと考えていた。


「へ、陛下がお呼びです。火急の用件とのことですが――」


 ◇


 野人伯爵ディアミド・マクギガンは、バラ園に佇みながら、ホウと静かに息を吐いた。


 屋敷の地下にしつらえた場所で、限られた使用人のみがバラ園の存在を知っている。息子のジェラルドすら知らぬ秘事であった。


「――素晴らしい」


 実のところディアミドは野人ではない。


「何と美しい事か」


 美を愛でる男、違いの分かる男、そして――バラを育てる男であった。


 無論、世間には秘している。


 己で作り上げた野人伯爵ディアミド・マクギガン像は常に粗野であらねばならないからだ。


 ピュアオビタルらしからぬ風貌も手伝い、このブランディングは成功した。


 彼の治めるマクギガン領邦には、五つのポータルが存在する。


 これは、交通の要衝として莫大な富を領邦にもたらすと同時に、五つの外敵と接している事を意味していた。


 事実、マクギガンの歴史は、周辺領邦との果てる事のない小競り合いで彩られてきたのである。


 このような地を治める領主は惰弱だじゃくであってはならない。尚且つ、事が起これば蛮族の如く戦うマチズモを示す必要があろう。


 ようは、舐められるな――という事だ。


「――また――来るからな」


 愛しいバラ達に向かい、ひっそりと語りかけた後、ディアミドは踵を返して秘密の園を出る。


「ディアミド様――」


 出た先にある通路で、傍付使用人が控えていた。


 バラ園の存在を知る数少ない使用人のひとりである。幼少期からディアミドに仕えており、最も信用している相手でもあった。


「リアム、どうした。お前も見たくなったか?」

「その栄誉は、またの機会に――。上で家臣方々がお探しになっております」


 周囲はECMを張り巡らせており、ディアミドがバラ園に在る間は誰もEPR通信で連絡が取れない。


 トラッキングシステムでも補足不可能な場所である。


「ほう――何であろうな。カドガンでも攻めてきおったかな」


 彼の推測は、ある程度の正鵠を射ていた。


 ただし、息子ジェラルド・マクギガンが裏切った結果であると知り、激憤のあまりバラ園を燃やす事態になろうとは想像もしなかっただろう。

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