斬首作戦開始より、既に三十二時間が経過していた。
執政府、
なお、民会議員についても全員の斬首を確認済みだが、一名のみ神殿前で変死体が発見されたとの報告を聞いたケヴィンはさもありなんと頷いた。
「蛮族同士で仲違いでもしたのだろうさ」
ともあれ、首船プレゼピオにおけるベルニク軍の作戦は概ね計画通りに進んでいる。
ラプラスの支援によって対象者の動向が補足可能である点と、グノーシス船団国側に敵揚陸への備えが全く無かったという点に尽きた。
「いやぁ、良く寝ました」
交代制の睡眠を終えたトールが爽やかな表情で現れた。
「閣下――お早うございます」
無論、実際に朝という訳ではない。
師団本部を訪れたトールに、全員が立ち上がって敬礼をした。
「それで、神殿の状況は如何でしょうか?」
トールは、目下の懸念事項をケヴィンに尋ねた。
残る重要拠点は神殿のみである。
トールは二連隊のみで神殿を攻めたのだが、執政府以上の堅守と判断して兵を引かせていた。
他拠点の制圧後に攻め手を増やして攻略しようと判断したのである。
「なかなか堅いようでして、ジャンヌ中佐も手を焼いております」
守るのは手練れのソルジャーと神殿兵である。
「神殿兵が厄介なんですよねぇ――まあ、一応の手は打ちましたが」
数の利が活かせない
だが、円環ポータルへ敵レギオン艦隊が迫っている情勢下で、斬首作戦のリミットは残り二十四時間を切っている。
「じゃ、急ぐのでボクは行きますね」
と、師団本部をトールが出ようとしたところで、アレクサンデルからのEPR通信が入った。
「童子」
「あ、聖下」
――か、軽い……。
トールの教皇に対する言動に、ケヴィンは常に肝を冷やしている。教理局からの召喚状から始まった一連の騒動も今となっては良い思い出に――なるはずも無かった。
「そちらの
「ポンテオさんと、ピラトさんが、まだ神殿に籠ってまして――」
「ふむん。
「異端ずれの砲台と、
アンチフェノメン・シールド――女神の盾は月面基地に戻り再整備するまで使用できない為、テュールの
「有難う御座います! ボクも頑張ってきますね」
「――いや、待て」
EPR通信を切ろうとしたトールを、アレクサンデルが切迫した様子で止めた。
「はい?」
「今、報告が入ったのだが」
戦場では想定外の事態が常に起こる。
「円環ポータルに置いた量子観測機が、とてつもない質量の存在確率を検知した」
「え――?」
◇
「しかし、兄上」
至聖所の外で繰り広げられている剣戟音が耳障りな大きさで響いていた。
――全く、ベルニク兵とは野蛮な連中だ。
雄叫びと、妙な銅鑼の爆音まで響かせ、四六時中突撃を繰り返している。
ジュリアの屍を跨いで神殿に逃げ込んだ当初、恐怖に駆られたポンテオは即座に待針の森へ向かおうとしたが大神官ピラトに引き留められていた。
「兄上の言う通りだったな」
狭隘な地勢を神殿兵に守らせれば一週間は籠城できる──と、ピラトは断言したのである。
至聖所周囲の外壁は窓もなく、十メートルの厚みがあるタングステンメタルだった。
「神殿兵がこれほどの猛者とは知らなんだぞ」
ポンテオの言葉に、居並ぶ氏族達も頷いた。
「これほどの堅守ぶりならば、ベルニクの猛攻にも耐えられよう」
重力圏内では荷電粒子砲を直進させる事が不可能な為、遠く離れた宇宙港から艦載砲の精密射撃で──という手段が取れないとは船団国側も認識している。
「馬鹿共は突撃するしか能が無い」
ベルニクの装甲歩兵達は幾度も無謀な突撃を繰り返し神殿兵の返り討ちに合うという惨状である。
至聖所の外から響く剣戟に当初は恐怖を覚えたポンテオ達も、いつしかその恐怖心が和らぎつつあった。
「神殿兵は疲れと恐れを知らぬ」
数的劣勢にありながら一時も休むことなくベルニク兵と戦っていた。
「残り二日ほど、動ければ良いのだからな」
主にはアンフェタミンとなるが──脳と肉体を極限まで酷使できるよう大神官の慈悲が彼等に施されていたのである。
廃人となったとて、大神官ピラト・ペルペルナの知った話では無い。
船団国の未来を想うなら、至聖所に安穏と潜む老人達が生き残れば良い、と心底からピラトは信じていた。
――まあ、儂はまだ若いのだがな――ん?
頭頂部に違和感を感じたピラトは思わず頭上を掌で撫でた。
「埃? ふむ、そろそろ──」
普請が必要かもしれぬ、と言おうとした矢先の事である。
「お、おい、この音は何だ?」
地鳴りの様に響く音があった。
あるいは従前から聞こえていたのかもしれないが、ベルニク兵の発する剣戟と怒号、そして銅鑼の音色に掻き消されていたのだろう。
だが、もはや至近となり
「に、逃げろっ」
と、叫んで立ち上がった氏族の背後にある壁面から、切削機のベリリウム合金製刃が生えるように露出し長方形の線を描いていく。
溶けるように切り取られた壁面が前に倒れ、当の氏族を質量で押し潰し文字通り
接地面との僅かな隙間から、濁りを帯びた朱色の液体が漏れ広がる。
「うわっ、ぺちゃんこですよ」
倒れた壁面の上に足を置いたトールが、驚いた様子で告げる。
「遅れを取るな、閣下に続けッ!!」
「ベルニク」「ベルニク」「ベルニク」
ジャンヌ・バルバストル率いる殺戮者達が訪れたのである。
◇
神殿の殺戮から話は少し遡る──。
「はぁ~、しっかし暇ね。サラ」
アドリアに成りすまして箱舟に忍んだクリスは、既にレギオン旗艦に到着している。
割り当てられた居室で寛いでいた。
「もう一度、勝負されますか?」
奴隷身分であり、ルキウスの使用人であったサラが、チェス盤から顔を上げて微笑んだ。
「やーよ。だって、あなた強すぎるんだもの」
「ルキウス様の相手をよくしていますから――あ――」
そう言って悲し気に瞳を伏せる彼女にクリスは胸が締め付けられる思いとなる。
「サラ──」
クリスが未だアドリアとして過ごしていられるのも、彼女の協力が得られたという点が大きい。
なお、この危険な依頼を受けたのはノルドマン家再興に繋げる為だが、サラの協力が得られると聞き勝算ありと判断したのである。
――それに、彼女と再会できたのは嬉しいわ。何だか友達になれそう。
「ね、ねえ」
湿った空気を払おうと、クリスは話題を変える事にした。
「サラのご両親も、やっぱり綺麗な――あ──」
だが、クリスは失態であったと直ぐに気付く。
――私の両親が攫われたのです。二人は故郷の話をよく私にしていました。
彼女が過去形で語った理由は一つしかない。
「いいんですよ」
クリスの想いに気付いたサラが、気遣うように笑んだ。
「両親は亡くなりましたが、帝国には叔父様がいるはずです」
「あら?」
「母には兄が居たそうで、とても優しくて素敵な方だと聞いています」
「まあ! 是非にも、あなたは帝国に来るべきだわ。どこの領邦かは聞いているの?」
「それは、ベル――」
サラが応えようとしたところで、天井パネルの一部が外れて海賊めいた顔が現れた。
「よう」
「相変わらず、まともな入口を通れない人ね」
「るせぇな。俺はマジの密航者なんだから仕方ねぇだろ」
そう言って、器用に体を折り曲げると、天井から床に降り立つ。
「ふぅ、とりあえずクリス。毎度お馴染みな俺様のセリフなんだが──」
手に着いた埃を尻で拭きながらフリッツが言った。
「やべぇぞ。直ぐにずらかろう」