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第41話 待針の森。

「でけぇな……」


 巨大な球体の下部から伸びた支柱が地面に杭のように突き刺さっている。


 支柱が地面と接する部分がエントランスらしき作りになっていた。


「ここに繋がる道だったわけか」


 森の中に敷かれた石畳を二時間以上も歩き続けたのである。


「大きすぎて距離感が分からなかったですね……」

「まあな。とりあえず中に入ってみるか」


 フリッツは躊躇う様子も見せず歩を進めた。


「水と食料──あるいは俺達の親父が残したお宝があるかもしれねぇ」


 ◇


 トール達が月面基地を発ってから七日が過ぎている。


 艦隊をμミューポータルから二光時付近に潜ませ、トールは小型艇に乗ってミネルヴァ・レギオン旗艦を訪れていた。


「ここで消えたんですね」


 スキピオに案内された先は神殿奥の殺風景な部屋だ。


 部屋の中央に台座があり、その裏手に下へ降りる階段も見えた。


「奴らは巫女様を人質に、待針まちばりの森へ──クッ」


 女ソルジャーのセレーナは唇を噛み、諸悪の根源であるトールを怨めしげに睨みつけた。


 無論、トールは些かの痛痒も感じていない。


 ──ベルツ家と共通する何らかの遺伝特性って事か……。


「ちなみに、そこの階段を降りると何があるんですか?」

「単なる空洞だよ。気にするな」


 口を開きかけたセレーナを遮るようにしてスキピオが早口に応える。


 トールは違和感を覚えたが、まずはフリッツ達を優先する事にした。


「ともあれ助けに行きましょうか」

「ああ。だが、まさか──」


 そう言ってスキピオはマリの方を見やった。


「ベルニクには贈歌巫女まで居ると思わなかったが……。ひょっとしてμミュー艦を動かせたのも彼女のお陰か?」

「違いますよ。仲良くなっただけです」

「あん?」


 船団国にとってμミューとは拘束した単なる道具である。


「アハッ。まあ、積もる話はまたの機会に。ボクとマリ──とブリジットさんは準備万端です。スキピオさんもそろそろ──」 

「いや。俺も案内してやりたいんだが、もう首船に向かう頃合だろう。あんたの長手ながてを連れてな」


 スキピオは長手ながて──テルミナと共にプレセビオへ先入りしなければならない。


「直ぐ戻ってきますよ?」


 フリッツ達を連れ戻すだけなのだ。


「時間の経ち方が違う。向こうは抗エントロピー場の影響下にあるんでな」

「え──?」

「場所にもよるが、概ね一時間で三日が過ぎる」


 トールは似た話をウルリヒ・ベルツからも聞いていた。


 城塞の中では、時の流れが遅いどころか遡行しているのだ──と。


 ――でも、この前は大丈夫だったけどなぁ……。


 が、今はそれを議論するタイミングではない。


「分かりました。スキピオさんは首船の方をよろしくお願いします」

「ああ。それと――ミネルヴァの大事な贈歌巫女も必ず連れ帰ってくれ」


 無意味なトラブルに巻き込んでいるが、彼女には重要な役割があるのだ──。


 ◇


「トール伯爵! アイツらですわッ!!」


 フリッツが振り向くと、大木に縛ったはずの巫女が怒りの形相で立っていた。


「おいおい大将! 何だって蛮族の拘束を解きやがったんだ?」

「スキピオさんに約束しましたからね。巫女さんは無事に返してあげる必要があります」


 巫女の案内でフリッツ達の後を追ってきたトールは、辺りの様子を興味深そうに見回しながら応えた。


 待針のような巨大な建造物の中だ。


「ベルニクの大将――いや、閣下って呼ぶべきか?」

「どちらでも。フリッツ君」

「そうかい。というか驚いたよ。来るのが少しばかり早すぎやしねぇか?」


 七日は要すると見込んでいたのだが、フリッツの感覚では一日も経っていないのだ。


「その説明は後にしましょうか。それより――」


 トールは好奇を抑えきれぬ眼差しで、彼らの眼前に存在するを見詰めている。


 他方のマリは兎も角、ブリジットはハルバードを手放し床に平伏していた。


「おもしれぇだろ」

「――ええ――実に――」


 面白かった。


 待針のように地面に突き刺さった球形は、μミューフロントの外殻部を想起させる。


 そして中には――、


「女神――いや、これがμミューなんですね」

「そうです。とはいえ、彼女は未だ目覚めていませんが――」


 幾分か無念そうな表情を浮かべ贈歌巫女が応えた。


 水槽の中で眠る巨大な黒髪の少女は、立てた膝の上に顔を埋めた状態で座っている。


 ――拘束されてない――体育座りなんだな……。


 帝国の女神像やトールが初めて目にしたみゆうと異なり、壁に無残な様子で拘束されてはいない。


「記録された幾万の贈歌を試みましたが――」


 他とは異なり目覚めることが無い。


「なるほど」


 そう言いながら、トールは透明なパネルに顔を押し当てた。


「ええと、今から変な言葉を使いますけど、あんまり気にしないで下さいね」


 みゆうと同じように意思の疎通が図れるのではと考えたのだ。


「こんにちは。初めまして!」


 不思議なトールの音節が響くが、特に何の反応も無い。


 ――あ、そっか。挨拶だけじゃ駄目だったな。


「ボクは、秋川トオルです!!」


 その瞬間、膝を抱えて座する少女の肩が揺れ、固く結んでいた指先が解かれていく。


「お、おい、動いた。動きやがったぜ!」


 フリッツが悲鳴にも似た歓声を上げつつ、逃げ去ろうとするトーマスの首根っこを掴んでいた。


 女神――否、少女の声が、広い空間に響く。


「ウ──ル──サイ──煩い────煩い──煩い、煩い、煩い煩い煩い煩煩煩煩煩」


 少女は早口にまくし立てた後、歯茎しけいをむき出しにして獣の様に咆哮した。

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