「賛成199、反対1。よって、ポンテオ・ペルペルナを執政官
執政官を冠する職位が氏族の手に戻った瞬間、議場は歓声に包まれた。
但し、執政官代理には外交専権がない。
外交専権を得るには、氏族会議を開き臨時執政官に任ぜられる必要があった。
――正統とは、これ即ち見せ方なのだ。
と、ポンテオは考えていた。
故に、焦らず巡礼祭を待って外交専権を得れば良いのである。
次いでルキウスを徹底的に貶めた後、大衆の歓呼を浴びながら条約を破棄するのだ。
目下、彼の抱える課題は、国民と奴隷共に分からせる事にあった。
「賛成票を投じてくれた賢明なる議員諸氏に感謝したい。だが──」
議場中央に立ち、周囲を囲む議員達を見回した。
「一人は
議場は笑いに包まれたが、実のところポンテオの内心は穏やかではなかった。
執政官代理の信任投票で反対者が出るとは予想だにしなかったからである。
無記名の為、誰が反対票を投じたかまでは分からないが──。
「我等に必要なのは団結なのだ」
ポンテオは裏切り者を炙り出そうとするかのように議場を見回した。
――この有様ではルキウスの甘言を信じる無知な国民も案外多いかもしれんぞ……。
批判を怖れて表立って口にはしないが、帝国と結ぶのも内心では良い面があると考えている者は一定数存在する。
「ルキウスは異端の女首領に尾を振ったうえ、略奪と奴隷をグノーシスから奪おうとした」
原理主義勢力にとって万死に値する罪である。
「引き換えに得たものは、
レオ・セントロマの持参した土産を今こそ明かすべき時だった。
「二つに分かたれた異端の片割れは、別の提案をしてきている」
復活派オビタル帝国を率いる宰相エヴァン・グリフィスは、腹心の聖レオを派遣してポンテオに約したのである。
彼等が勝利した暁には星系を――ベルニクが治める太陽系を割譲する、と。
「
己のマチズモを気取る為、ポンテオは胸を反らせ片頬を上げた。
「――我らの温情により、グリフィス領邦だけは見逃してやろうとな」
議場が、大きな拍手に包まれる。
◇
治安機構政治部に連行されたルキウスは、拘置所の独居房に押し込められている。
狭い房の中でベッドに寝転がり、何をするでもなく瞳を閉じていた。重度の情報中毒者であるルキウスは板状デバイスが手元に無い点が最大の不満である。
――皆さんのゴシップを愉しめないじゃないですか……。
仕方はなしに看守に幾つかの書籍を頼んだが、それすらも未だに届けられていない。
――ひょっとしたら、食事も無かったりしますかねぇ。
外にいるうちに拘置所の待遇を改善しておくべきだった──とは後の祭りである。
既に事態は船団国にとって悲劇的な状況へ向かいつつあった。
救いの種を蒔いてはいるが、あまりに多くの血が流れるのだ。
その罪と
「執政官」
房の外から男の声が響くが、ルキウスは己の想念に沈んだままだった。
「執政官」
「――え――」
ようやく看守に呼ばれたことに気付き、小さな窓枠の付いた扉を見やった。
――執政官なんて言うから気付きませんでしたよ。
「いやはや、お待ちしていましたよ。書籍でもないと暇で――」
先ほど頼んでおいた書籍を届けてくれたのだろう、と考えた。
「面会です」
彼の想定に無かった言葉が告げられる。
「はい?」
◇
娘のアドリアが
「ジュリア殿?」
母の会代表のジュリアだった。
「ど、どうされたのです?」
両者の間に透明な遮蔽物はあるが会話に困る事は無い。
「――あなたの大好きなポンテオ・ペルペルナが、執政官代理になったわ」
いかなる事情であれ執政官が不在となれば、民会の権限において執政官代理を決めるのだ。
「満場一致だったのでしょう」
ルキウスが議場で拘束された際、その無法を抗議するどころか、全ての議員が快く送り出したのである。
反対する者などいるはずがないと考えていた。
「いいえ」
ジュリアが首を振る。
「一人だけ反対したようね……。
「え――」
咄嗟には言葉が出てこなかったが、ジュリアの瞳を見て確信をした。
「な、なぜ?」
思わず、弁舌に生きた男の舌がもつれる。
「私に、他人の気持ちなど分かるはずも無いけれど――」
面会室での会話は当然ながら監視対象の為、ジュリアは慎重に会話を進めざるを得ない。
「――想像は出来る」
母の会代表は、全ての若者の母として思索の旅をした。
「その人物が仮に使節団に居たとしましょう。彼は初めて帝国を訪れた。些かの緊張感と敵意を抱いてね」
使節団が目の当たりにしたのは、月面基地に並ぶ多数の美しい艦隊――聖骸布艦隊だが――と、新帝都フェリクスの眩いばかりの発展ぶりである。
長い停滞を抜けて未だフェリクスは発展途上にあると聞き再び驚かされた。
彼我の国力差に圧倒されたのである。全ての次元がグノーシス船団国とは異なっていた。
「私たちを守るのは
ルキウスの利敵行為により失われた優位性だが、ジュリアの知るところではない。
「帝国を上手く躍らせるつもりで妄動するリーダーはリスクが高い――と考えたのかもしれないわ」
ここまで言った後、ジュリアはさらに声を低くした。
「若者達の血が流れ過ぎるのを――彼は――望んでいない」
たった一票の反対票には何の意味も無いのだろうか?
「嗚呼──」
否である。
解放奴隷、歯抜けの元コメディアン、軽んじられた理想主義者として、ルキウス・クィンクティは常に政治的孤立の中で足掻いていた。
――もっと、早く……。
喜びもあったが、ルキウスは唇を噛んだ。
――この人が味方となってくれていれば……。
多数派工作が出来た可能性はある。
だが、全ては遅い。
歯車は回り始めており、行きつく先の惨劇はもう定まっている。
──いや、私が愚かだったのか……。
ルキウスにも反省すべき点はあった。
彼女の若者に対する真摯な思いを軽んじていたのだ。
――考えるんです。考えるんですよ、ルキウス・クィンクティ!
――物事には常に良い側面がある……。
人生の師と仰ぐ男の言葉だ。
――私は死ぬ。それはそれで良い。
貧相な自身の肉体になど何の未練も無かった。
――この国が亡ぶのも良い。
略奪と奴隷に依存する国など滅ぶべきだろう。
だが――、
「ジュリア殿――全ての若者の母君よ。今から話す事をどうか真剣にお聞きください」
この忌々しい透明な壁め、とルキウスは思った。
今こそ、彼女を強く抱きしめたかったからである。
――私が潰されちゃいますかね?