「そうですか」

　EPR通信でテルミナから報告を受けたトールは少なからず消沈していた。

「拘束理由はやはり――」

「神権冒涜罪及び国家反逆罪。女神と国家に喧嘩を売った容疑だな」

　全ては、民会にてルキウスが答弁している最中に起きた。

　神官兵を引き連れた治安機構政治部が議場に押し入り執政官ルキウス・クィンクティを拘束したのである。

　民会法と慣例に反する蛮行だが、議員達は抗議するどころか万雷の拍手で見送ったと言う──。

「ハナから連中は話を聞く気なんざ無かったのさ」

　メディアを使い、ルキウスを国家と女神を裏切り帝国に靡なびいた罪人として印象付ける事を狙ったのだ。

　ペルペルナ家が率いる原理主義勢力は、帝国と手を結んだ場合の利益に国民の関心が向くことを望んでいない。

「行くか？」

「まだ、条約を破棄すると決まっていませんよ」

　刻印の誓いは彼等が条約を違えた場合に履行されなければならない。

　ルキウス救出を目的として逸って行動した結果、誓い破りと判断されて女帝ウルドの銀冠が失われる事態となれば新生派勢力の権威が失墜してしまう。

　――だけど、不思議だよな……。

　トールが疑問に思っているのは、どこの誰がその判断を下し、そして銀冠喪失というペナルティを与えているのだろうか――という点にある。

　――本当にそうなるのかな？

　――女神様なんてホントに居るわけないし……。

　試してみたい誘惑にも駆られるが、不要なリスクを背負う愚は冒すべきでは無い。

「ルキウスが言った通り、巡礼祭で派手にやるつもりなんだろ」

　ポンテオ・ペルペルナは執政官ルキウスを大罪人に仕立て、ベルニク敗戦の責任も彼に転嫁するつもりなのだ。

　こうして汚名を雪そそいだ後に氏族会議へ臨み、臨時執政官の立場を得る可能性が高い。

「巡礼祭は半月後ですから──」

　刻印の誓いを破らず奇襲を成功させるには、条約を破棄したという情報が速やかにトールへ届けられる必要があった。

　その役割はテルミナに任せれば良い。

　トールは艦隊を率いて誓いを履行するのみである。

「ボクも動きます」

　月面基地から首船プレゼピオまでは十日以上を要する。

　星間空間にて首船プレゼピオへ繋がるポータル近傍で待機しなければならない。

　常闇の中に大艦隊を潜ませるのだ。

「それはそうと──」

　照射モニタ上のテルミナが渋面となった。

「――もう一つ問題が起きてる」

「はい？」

　◇

　ミネルヴァ・レギオン旗艦の中心に神殿があった。

　日没――気象制御システムによるものだが――までは門戸が解放されており、誰でも中に入って祈りを捧げる事が出来る。

　その拝殿で、剣と天秤を持った女神像の前に、悲しみに暮れる女が一人祈っていた。

　――なぜ、このような悲劇を許されたのですか……。

　女には涙を拭う気力もなかった。

　――ヴィンスはあなたに忠実で優しい人でした。数え切れぬほどの畜生をグノーシスの許へ送り届けて来たのです。

　――心を改めぬ畜生には剣で報い、悔い改めた畜生には奴隷となる救いを与えてきました。

　嗚呼、と思わず女は悲嘆の声を漏らす。

　信仰心に篤く、そして義に厚い気高き男が畜生に殺害されたのである。

　行政解剖の結果によれば、ヴィンスは生きたまま眼球を潰されていた。

「セレーナ」

　と、拝殿の奥から呼びかけたのはバイオレットの髪を持つ女だった。

「──神職様」

　彼女は神官の中でも特別な存在である。

　略奪部隊を率いるμミュー艦の船付神官として聖務に殉ずる乙女なのだ。

「そろそろ夜ですよ」

　帰った方が良いと遠まわしに伝えたのである。

「――はい」

　例え悲劇のヒロインであろうとも、神殿を一晩中解放してくれなどと無茶は言えない。

　セレーナが嗚咽を堪え立ち上がった時の事である。

「へえ、広いな」

「そうですね。何だか聖堂みた――んぐ」

「馬鹿野郎。滅多な事を言うんじゃねぇ！」

　静謐を無遠慮に破る男二人が拝殿に入って来たのである。

　――え？

　その声を聴き、セレーナの全身が総毛立つ。

「――おっと――へえ？」

　果たして、これは女神の導きだろうか。

　セレーナの目前に現れたのは、元海賊フリッツと殺人鬼トーマスだった。

「聞いてた通りだな。神殿には白装束の巫女がいる」

　嬉しそうに告げるフリッツが、トーマスを引き連れ巫女の傍へと歩み寄って行く。

「あの――何か――？」

　そう応える巫女の声音に、若干の怯えが混じる。

　風体、顔付、話し方、何れをとっても、凡そ真っ当な相手とは思えなかったからだ。

「心配するな」

　警戒すべき相手が言う決まり文句である。

「少しばかり教えて貰いたい事があるだけなんだ」

　安心させる為にフリッツは片目を閉じて微笑むが、却って怖がらせる結果となった。

「城塞へ至る台座――じゃ分からんか――人が消えちまう台座を――」

「ぎゃあああああああ」

　フリッツが言い終える前に、トーマスの悲鳴が拝殿に響く。

「あ？」

　振り返ると、トーマスが床に崩れ落ち両手で顔面を覆っている。手の隙間からは血が漏れ出していた。

　止めを刺そうと短刀を振り上げたセレーナの横面をフリッツは思いきり殴り飛ばし叫んだ。

「立てトーマス！　こいつは地獄号の女だッ！！」

「いだひふぁｆだ」

　喚くトーマスの腕を引いた。

「逃げるぞ」

　が、時すでに遅し。

　拝殿の戸口には警備兵達が集まり始めていたのだ。セレーナも態勢を立て直し短刀を構えている。

「糞ッ」

　鋭く悪態をついた後、身を震わせている巫女を右腕で抱えるように強く抱いた。

「来るな。殺しはしないが――」

　フリッツは凄惨な笑みを浮かべる。

　脅すなら、本気で脅さねばならない。

「二度とは歌えないよう頬を割いて舌を刻む」

　己の人差し指に仕込んだ鋭利な刃先で巫女の頬を薄く切って見せた。

「く、腐った畜生共がッ！！」

　セレーナは怒りのあまり顔面が蒼白となる。

「トーマスの右目で、チャラにしようぜ」

「ほんなふぁｄさだ！！」

「殺す。絶対に殺す。八つ裂きにする」

　──ま、無理か。

　憎悪の連鎖はウロボロスの環の如く循環し決して途切れない。

　――ともあれ、時間を稼がねぇと。

「おい」

　巫女の耳元で囁くように告げた。

「台座に案内しろ」

　数え切れる程の帝国に住まう無辜の民たちを信仰の名の許に女神へ捧げて来た。

　だが女神は、頬に感じる小さな刃先からすらも彼女を救わない。

　故に――、

「よ～しよし、いいコだ」

　バイオレットの巫女は自身で己を救うほかなかった。