テルミナの想定とは異なり、帝都フェリクスにおける任務はイヴァンナ捜索では無かった。

「スキピオだけだ」

　そう言うと、彼の上司は珍しく暗い表情で息を吐く。

「――そうですか。ホントに誰も味方がいないんですね」

　任務の都合上、テルミナはメイド服姿となっている。

　使節団一行の身辺を世話する傍ら、言動や思想などを調査していたのだ。

　――に、似合うわね……。

　ロベニカの感想に気付いたのか、テルミナは「んだよ？」と呟き唇を尖らせた。

「まあ、基本的に奴らは帝国が嫌い──憎んでいると言っていい」

「なるほど……。これは前途が多難そうです」

　宗教、教育、報道、市井の会話、あらゆる機会を通して、選民思想と帝国への憎悪を刷り込まれていたのである。

　帝国と結んだ条約を自国民に履行するよう説得するのは、ルキウスにとっても大きな難事となるのは間違いないだろう。

「テルミナさん。この後はいよいよ船団国です」

「分かってるさ」

　ルキウスとスキピオの庇護があるとはいえリスクはある。

　何より他の使節団には正体を知られずにいる必要があるのだ。

「ミネルヴァまでは気障野郎──スキピオが気に入ったメイドのフリをしてりゃいいだけだろ。チョロいもんだぜ」

　そう言ってテルミナは自信ありげに胸を叩いた。

　◇

　厳戒態勢の中、フェリクス宇宙港の専用ロビーは帰路に就く要人達で賑わっていた。

　その中にロスチスラフの姿もあるが、オソロセアの至宝たる三人娘を伴っていない。

　――珍しいな？

　遠目に彼の姿を見たトールは不思議な面持ちとなった。

　彼自身は機嫌の良さそうな表情を浮かべているので、特段の問題がある訳ではないのだろう。

　――先に帰ったのか――いや、フェリクスで羽でも伸ばすのかもしれないな。

　G.O.Dに繰り出していた彼女達のことである。

　父親の目を逃れ、急激な発展する帝都を愉しんでいる可能性はある。

「フェリクスに存念でもあるか？」

　トールハンマーに同乗する教皇アレクサンデルが、ボウとした表情で立つトールに尋ねた。

「あるいは誰ぞに後ろ髪を――否、アレは従わねば残らず引き抜く女であるな」

「いえいえ、何でもありませんよ、聖下。それより、暫くは退屈になるかもしれませんね」

　船団国で動きがあるまでアレクサンデルはベルニクに滞在する。

　引き連れてきた聖骸布せいがいふ艦隊も、月面基地にて当面の間は駐留を続けるのだ。

「そうでもあるまい」

　アレクサンデルはベルニク領邦に引退後の屋敷を建立するつもりなのである。

「哀れな肉人形にも魂を入れてやらんとな。始祖たる大地を見せるのも良かろう」

　地球に残された大地は僅かであるので詩的な表現だろう。

「ええと、ブリジットさんの事でしょうか？」

「いかにも──。罪を全て喰ろうたら、空からになりよったわ」

「彼女も同行されてるんですか？」

「知らなんだのか。いや、行き違いになった訳だな――既に其方の屋敷で世話になっておる」

「え？」

　手筈通りであれば、クリスも屋敷に滞在しているはずであった。　

　尚且つ、トールの指示により誘拐行為に協力したマリもいる――。

　――これで、ボクとロベニカさんまで屋敷に戻ったら……。

　恐怖の天秤衆ブリジット・メルセンヌが再び蘇るのではないかとトールは少しばかり不安になった。

　◇

「お帰りなさいませ、坊ちゃま。──ただ、申し訳ございません。お客様が待っておられまして……」

　家令のセバスは多忙な領主に一刻も早く休んで欲しい。

　――遊び惚けておられる坊ちゃまも困りものでしたが……。

「え！？　まさか、カサンドラさんが？」

　――今日は疲れたし、お嫁さんの話は面倒なんだけど……。

「いえいえ。フィリップ・ノルドマン伯で御座います」

「ああ、そうか」

　さすがに会わねばならない相手だった。

　また、船団国の状況を知り得るかもしれないとの期待が湧く。

「応接室で待たれております」

　案内するのは、常のマリではなくセバスだった。

　――マリは、どうしたのかな？

　出迎えたメイド達の中にも姿が無かった。

　近頃では屋敷の客人も多くなり、彼女も忙しいのだろうと考えつつ案内された応接室に入って行くと――、

「あれ――マリ？」

「トール様」

　彼女が僅かに微笑んでいる事に気付いていたのはセバスだけである。

　他方で、彼女の隣に立つ人物が浮かべる笑みは、誰にもそれと分かる白痴の微笑みだった。

「ブ、ブリジットさん――」

　嘗てハルバードを自在に操っていた右手は、女男爵メイドとなったマリの腕を掴んでいる。

「――これは一体！？」

「アンタのせいでしょうがッ！」

　嫁に欲しいなら貰われてやろうか、などと考えた自分が許せなかった。

　高貴な修道女の無残を目にしたクリスは怒り心頭となっている。

　おまけにブリジットは、クリスを誘拐した一味の女――マリから離れようとしないのだ。

「絶対に結婚なんてしてあげないわよッ！！」

「こ、これ、クリス」

「姉さん」

　勢いよく立ち上がったクリスを、父フィリップと弟レオンが慌てて抑え込んだ。

　――結婚？――何の事だろう。

　と、疑問は沸いたが、まずは一家が生きて戻れた事を祝そうと考えた。

「フィリップさん、皆さん――ともかく無事で良かったですよ。あ、止やめましょう」

　跪こうとしていたフィリップが面を上げる。

「で、ですが――」

　フィリップは禁衛府きんえいふ長官の職を追われ、爵位すら新生派オビタル帝国における扱いが定かではないのだ。

　身分の違いを意識せざるを得ない。

　だが──、

「実に不幸な目に遭われましたが――本当に良かった」

　と、静かに語るトールの顔を見て、思わずフィリップの瞳に涙が浮かんだ。

「く――う――」

　父の様さまを見て、さすがのクリスも一旦は鉾ほこを収める気になった。

　他方のトールも今は船団国での状況を聞くタイミングではないと考えた。

「もう少し落ち着いたら事情を聞かせて下さい。当分はゆっくりと――」

　そう言って立ち去ろうとしたところでトールにEPR通信が入る。

　<< ベルニクの屋敷にクリスが来てるだろ？ >>

　テルミナは開口一番、少しばかり苛立った声音で告げた。

　<< ちょっと呼び出して欲しいんだが…… >>

「え、ええ――良いですけど」

　トールが照射モニタを出すと、応接間の様子がテルミナにも映し出された。

「――お、ちょうど居たのか」

「あ、アンタは！」

　またも誘拐犯の登場である。

　しかも、ジャンヌと共に主犯格なのだ。

　<< おっと、恨み言は今度聞いてやる。まずは―― >>

　テルミナがバヨネットを左右に振ると、照射モニタに新たな姿が現れた。

「えっ、あんた達──何やってんのよ？」

　後ろ手を縛られた元海賊フリッツと殺人鬼トーマスである。

　<< よう、クリス。結婚相手のとこに転がり込めたようだな。へへ >>

　月面基地で行方不明となった二人は、船団国の艦ふねに潜り込んでいたのだ

「馬鹿――せっかく助かったのに、またあっちへ行く気なの？」

　二人が潜んでいたのはテルミナに割り当てられた居室の上部ダクト内であった。

　<< 一応はホントの話だったわけか >>

　テルミナは人の悪い笑みを浮かべて言った。

　<< ──が、海賊なんざベルニクに戻して縛り首にしねーとな >>

　<< 待て待て。俺から提案がある >>

　提案する権利など持たない立場なのだが、フリッツは堂々とした風情である。

　<< この艦ふねに潜んだのはベルニクから逃げる為じゃない。俺が知り得た情報と月面基地に居並ぶ艦艇を見てピンと来たんだよ >>

　フリッツが器用に片目を閉じてみせたが、女を惑わせるスキピオのそれとは微妙に異なった。

　<< こいつは、蛮族どもとドンパチする気だろうってな。で、先に乗り込んで協力しようって思ったわけさ。何を隠そうこの俺は──>>

　フリッツの長広舌に対して、トールは黙したままである。

　彼が「知り得た情報」が気になっていたのだ。

　<< ──でなわけで大将。ひとつ、俺を使ってみちゃくれないか？ >>

　雇用主を探す口上としてはお世辞にも上手くはない。

「ええと、お名前は？」

　断るにしても名前は知っておくべきだと思いトールは尋ねた。

　<< フリッツ・モルトケ >>

　――も――モルトケ――？

　<< モルトケ一家の次男坊だよ。海賊なんてチンケな商売が嫌で抜け出してきたんだ。ベルニクで拾ってもらうつもりでな。随分な遠回りになっちまったが >>

　既にトールの耳に、彼の言葉は届いていない。

　――す、凄いぞ……。

　彼は感動していたのだ。

　エヴァン・グリフィスと初めて会った時と同様である。

　元海賊フリッツ・モルトケといえば――。

　銀河に覇を唱えたエヴァン公を、最後まで苦しませ続けたとある領邦の名参謀なのだ。