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第28話 頭を垂れる。

 謁見の間にて座すウルドの傍らには、教皇アレクサンデルが巨躯に似合わぬ小さな椅子に腰かけていた。


 そこに、八名の諸侯が両脇に並び立つさまも、女帝の権威付けとしては申し分がない。


 ――頭など幾らでも下げますよ。


 女帝にひざまずくルキウスを見下ろすトールは、アールヴヘイム邸のバーカウンターで彼と語らった夜を思い起こしている。


 ――女帝と会うとは、そういう事なのでしょう?

 ――まあ、そうですね。


 従来の慣例に従うなら、銀冠を戴かぬオビタルは謁見する事すら叶わなかったのである。


 ――でも、ルキウスさんの立場が不味くなりませんか?


 つまるところ、グノーシス船団国とは劣等感を触媒として存在する国家なのだ。


 そのような国柄であればこそ、却って虚勢を張りたくもなるだろう。


 女帝に跪いたルキウスが、国に戻って無事で済むとトールには思えなかったのである。


 ――いえいえ。私がこれからトール殿にお願いする事に比べたら、実に些細な問題でございましょう。


 女帝に跪くなど、ルキウスの企みにとっては序章に過ぎない。


 だが、母の会代表であるジュリアや他の使節団は、今にも金切声でさえずりそうな強面こわもてとなっていた。


 無論、それら下々の些事など、女帝ウルドが意に介するはずもない。


「名を口上せよ。許す」


 ルキウスが面を上げた。


「グノーシス船団国、執政官ルキウス・クィンクティと申します。畏れ多くも尊き陛下へのお目通りが叶い――」


 彼は胸に手を当て満の笑みを浮かべる。


「――この小さき魂も歓喜に震えております」


 追従──と決め付けるには余りに真に迫っていた。


 実際、彼は喜びに震えていたのである。


 ――来ましたよ――ついに――。


 幾夜も夢に描いた状況となったのである。万感の思いも去来しよう。


 他方で、諧謔かいぎゃく的な彼の魂はこうも考えていた。


 ――この美しさはもはや呪いかもしれません。

 ――嫉妬深く独占欲も強そうです。きっと性格も悪い――。夫となるのは人徳者か愚か者でしょうね……。


「遠路遥々の客人を歓迎しよう」


 ルキウスの想念など知らぬウルドは、常の通り頷き告げた。


「――とはいえ、ラムダの教えを異にする者共とは聞く。聖下に異存は無かろうか?」

「陛下の御心のままに為されば宜しかろう」


 悪漢は短く応えるにとどめつつ、女帝ウルドの意向である旨を強調したのである。


善哉よきかな。して、執政官殿――長旅を厭わなんだ用向きを申されよ」


 この場に居合わせた者達ならば知った内容である。


 だが──、


「国交を結んで頂きたく」


 実際に耳にすると重みが異なる。


 謁見の間に低い嘆声がさざ波の様に広がっていく。


「ふむん――」


 鼻を鳴らし、ウルドは思案気な様子を見せた。


「――元老方々はいかが考える?」


 事前に申し合わせた通り、筆頭元老のロスチスラフが口火を切った。


「仔細は後に詰める事になりましょうが、帝国にとって利の多き申し出かと愚考致します」

理由わけを」


 ロスチスラフは、希少資源の存在や略奪行為の抑止などの効用について、グノーシス船団国側の面目を保ちながら言葉を選び奏上そうじょうした。


 中でも、エヴァン率いる復活派勢力圏内では、従来通りの略奪行為が続くという点について、何名かは心の琴線に触れたようである。

 野人伯爵たるディアミド・マクギガンなどは、御前に相応しからぬ快哉を叫んだ。


「ほう――聞く限りにおいては、我が方の利ばかりであるな」

「我々にも利が御座います」


 ルキウスは、グノーシス船団国側の事情を説明する。


 略奪と奴隷に立脚した国家体制の行き詰まりについて明け透けに語った為、ジュリアなどは悲憤のあまり倒れそうになっていた。


「いかがで御座いましょうか?――ご検討頂けるならば、別の場にて――」


 と、言い残しつつルキウスは、女帝の傍に立つ男へ視線を送る。


 彼は全てを、この男に賭けたのだ。


 トール・ベルニクを巻き込む為にルキウスは全てを曝け出した。


 挙句、グノーシス船団国の核心的秘蹟を彼に託している。


 容器の中で回転し続けるモノリスをベルニクに渡した事が露見したなら、ルキウスは四肢を切断されたとしても一切の抗弁を許されないだろう。


「そうですな。以降は別の場にて――」


 ホクホク顔のロスチスラフが言を引き継いだ時の事だった。


「待て」


 ルキウスが──否、誰も想定していない人物からの横槍が入った。


「気に入らぬ」


 女帝ウルドである。


「――は、はい?」


 戸惑いの言葉を返したのは、ルキウスではなくロスチスラフであった。


 彼の賢しい計画には無かった筋書なのである。


「気に入らぬ――と申したのだ」


 幾分か華やぎつつあった謁見の間に沈黙が下りる。


「これまで数多の臣民が攫われ、未だ奴隷とされておろう」

「誠に不幸な次第であると認識しております。ですから、先ほど申し上げました通り、長期計画に基づき段階的に――」

「野盗、やつがれの言い分であろ」


 ロスチスラフは瞳を閉じて天を仰いだ。


うぬらが攫った者達を全て解放せよ。また、以後は帝国のいかなる場所であろうとも不逞行為は許さぬ。不忠の輩が根城にしておる星系であったとしても、だ」


 復活派勢力圏における略奪行為も止めよと告げた訳である。


「それでは、我が国が立ち行かなくなりましょう。陛下のお怒りは理解できますが――」

「できるものかッ!!」


 ついにジュリアが雄叫びを上げた。


「偉大なるグノーシス船団国は、異端者共を奴隷にする権利を女神ラムダより与えられている!!」


 国許の原理主義者達が見れば、感涙にむせび泣く光景であったかもしれない。


「この様な茶番は――はぐ――げふぅ」


 おくび音を漏らし、ジュリアが床に崩れ落ちた。


 怪訝な表情を浮かべ振り向いたルキウスに、スキピオは手元で指を弾く仕草をした後に片目を閉じてみせる。

 彼の掌に怪しげな黒い錠剤が数個残っていた。


「失礼致しました。お見苦しいところを――長旅の疲れでご婦人が倒れてしまったようで御座います。どこぞへ運んで頂けますと――」


 衛兵が二人がかりでジュリアを運んでいく。


「とまれ──野盗の言い分には飽いた」


 グノーシス船団国側の事情など知らぬという意味である。


 相手側の利もかんがみつつ、新生派オビタル帝国の利を最大化しようとしていたロスチスラフからすると目を覆いたくなる状況であった。


「余が求めるは、先に言うた通り」


 奴隷解放と、さらなる略奪の禁止である。


「だが、他方で与えてやらんでもない」


 この提案は女帝にしか出来ない。


「我等に与し、不忠の輩を滅せば──呉れてやろう」

「は──、な、何をでしょうか?」

「領地よ」


 帝国の一領邦として生き残る道を示したのである。


「不忠が居座る領地を、追い払った後に一つやる。その地で、臣下となって大人しゅう暮らせ」


 女帝ウルドがルキウスを詰める役を演ずる次第となり、トールが一計を案じたのだ。


 この提案ならグノーシス船団国の原理主義勢力を大人しくさせ、ルキウスを救えるやもしれぬと考えたのである。


 経緯を知らなかったルキウスは、驚きを以って女帝の申し出を聞いた。


 帝国に臣従するならば、船上暮らしを抜け出し、まともな国家運営に至る道が眼前に示されたのである。

 多くの国民が心密かに願う夢でもあった。


 但し、そこへ至る障壁は無数に存在する。


 ニューロデバイスに適合しないグノーシス船団国の民は大きなハンデを背負う。


 解放した奴隷達の受け入れ先も難題となる。


 そして、何より最も大きな問題は――、


「互いを異端と見なす者同士が同じ屋根の下で和せましょうか?」

「笑止。帝国とは本来かようなものであろうが――のう?」


 異民族、異文化、異教を、白鯨の如く呑み下し、力と権威で抑え込むのが帝国というものの本来的な在り方なのである。


 話を振られたアレクサンデルは、己の顔をひと撫でした後に口を開いた。


「うむ、相違ない」


 ルキウスの賭けた男は、期待以上の土産を用意してくれていたのである。


 だが、それでも──それでも、ルキウスは信じていない。


 船団国の民を、氏族を、議員を、神官を、ソルジャーを、そして何より奴隷達を信じていなかった。


「仔細と調印は後日となりましょうが――」


 トール・ベルニクへ僅かに視線を送った後、ルキウスは言葉を続けた。


「奴隷を解放し、略奪せぬという条件は忍んで受けさせて頂きます」


 この場でがえんずるとは思っていなかった諸侯達は息を飲んだ。


「ですが──、このまま私が戻れば、反対する勢力に潰されるのは必定で御座いましょう」


 星系の下賜を約されたとはいえ、奴隷と略奪は船団国の理念に通底している。


 ルキウスを廃して条約も反故にしようと動く可能性が高い。


「その場合は、どうなさるのか?」


 これこそがトールに約させた一事である。


「討つ」


 と、端的ないらえがあった。


「トール・ベルニク伯の功によりグノーシスへ至る道は既に開かれておる。余に代わり、銀獅子権元帥が万艦率いて己らを根絶やしにしてくれるわ」


 そこまで言ってないですけど、という様子でトールが小さく咳払いをした。


「――素晴らしい」


 表にしてはならぬ本音が、思わず執政官ルキウスの口から漏れてしまう。


 歴史は何によって動かされて来たのか。


 ルキウスが学んだ限りにおいては美しい理念や理想などでは無かった。仮にそう見えたとしても、勝者が上書きした死化粧に過ぎない。


 いわんや、力のみである。


「陛下、誠に厚かましき儀ながら、今ひとつ――今ひとつの願いが御座います」


 おや、という表情をトールが浮かべる。


「民に信じさせて頂きたいのです」

「ほう、疑うか?」


 ルキウスが欲するのは確信であった。


「陛下が条約を違えられるとは申しませんが、他方で我が方が違えた場合――」


 討つ、という話しを約してくれ、と言いたい訳である。


 条約を破れば攻め滅ぼすなどと書面に出来るはずも無いが、ルキウスは帝国の力を利用して国柄を変えようとしている。


 強者からの明白な脅迫が必要なのだ。


「うむ、相分かった。トール伯――」


 ルキウスの望みが刻印の誓いであると察したトールは、聖剣を抜き放つと自身の髪をひと房掴んだ。


「――余に渡せ」

「え?」


 戸惑うトールの許へ、玉座を立ったウルドが近寄り、彼の聖剣を取り上げた。


「貴方らが約を違えたなら――」


 ウルドは自身の結い上げた銀髪にトールの剣を添えて告げる。


「――母の腹よりでた事を後悔させてくれよう」


 ひと房切ると、結いのほどけた銀髪が少女の輪郭を覆う。


「余の刻印に誓う」


 地に着くほどにこうべを垂れたルキウスの肩が震える。


 かくして、男は大事だいじを成した。

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