目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第26話 仮面舞踏会。

 諸侯会議で議論の俎上に載せられているのは帝国中央銀行設立に関わる事案である。


 勢力圏内に徴税可能な公領を保持し、諸侯が軍役と税の一部を負担する──だけでは帝国の力の源泉たり得ない。

 貨幣経済以降における力とは徴税ではなく通貨の発行権にある。


 軍事力や徴税とは、発行した通貨の信認を裏書きする為の舞台装置に過ぎない。


 つまり、帝国CBDCの発行こそが、新生派オビタル帝国にとっての急務だった。


「故に、我が方の提案で良かろう」


 苛とした様子でロスチスラフが告げる。


「──大変結構な御提案ですが、資料を拝見しますと総裁及び役員会の選定基準に恣意性が見られ、一部の領邦が非常に有利になるのは間違いありません。無論、この場で特定名を出す事は差し控えさせて頂きますけれど──コホン」


 正面切って反意を述べたのは、ベルニク統帥府補佐官のリンファ・リュウである。


 ──噂通りの古狸ね。同盟だの何だの言って、隙さえあれば美味しいところを総取りしようとするんだから!


 他方のロスチスラフは、


 ──常の通り惚けた顔で何時の間にやら小煩い家臣を加えておるわ。全く抜け目のない男よ。


 リンファの隣で、ボウとした表情で座るトールを、小憎い思いで見やる。


 だが、この時のトールは、全く別の考え事をしていた。


 先の式典中にロベニカから耳打ちされた件である。


 ──も、申し訳御座いません、トール様。私が聞き洩らしておりまして……。


 珍しく実にしおらしい様子で頭を下げた。


 ──仮面舞踏会!? ええと、お面を着けるんですか?

 ──ええ、面なり何なりを着け、身分や身元が分からないようにするのが作法となります。


 おかしな舞踏会もあるものだ、とトールは訝しく感じつつも、作法ならば従えば良いかと考えていた。


 ──私が責任を持って手配致します。お任せ下さいっ!


 ◇


「んまああ」


 イヴァンナはしなを作り男に寄り掛かった。


「さすがは、フェリクスで最も偉大な先生ですわぁん」

「き、君──ここは──僕の執務室──」


 と、言いつつも緩んだ表情を見せる男は、ハイエリアで富裕層向けの心理療法を長年営んできた。


 昨今では侍従長シモン・イスカリオテも顧客となっている。


「シモン様ばかりかオリヴィア宮の女官長まで先生を頼っておられるなんて──わたくしなど畏れ多すぎて──何だか疼いてきましたわよっ」


 イヴァンナという肉感的な果実を前に、心理療法士の職業倫理は彼方へ消えていた。


 彼女は吐息混じりに男の耳元で囁く。


「宮の仮面舞踏会へのお誘い、ホントに感激ですのよ」

「末席ながら僕も招待を受けてね。伴うなら君と決めていたんだ」

「あぁん、でもでも、心配事がありますわ……」


 イヴァンナが欲するのは、女帝ウルドがいかなる装いで参じるかである。


「ほほう、なるほど。万が一にも仮装が被った際に叱責されまいかと気に病んでいるのだな」

「ええ……。わたくしって心配性なんですの……」

「うむ! 僕に任せたまえ」


 惚れた女の欲する情報は、女官長から聞き出せるだろうと男は考えていた──。


 ◇


 ──夜。


 オリヴィア宮の大広間は、多くの招待客で賑わっている。


 大広間の中央は踊りを楽しむ為に広く空けられているが、周囲には丸テーブルが配されており、給仕が運んで来た食事を楽しんでいる者達もいた。


 仮面を着けるだけでなく、幾分か奇抜とも言える装いで参加している客もいる。


 ──仮面舞踏会って、ようはコスプレパーティって事なのか。


 かくいうトールもロベニカが用意してきた黒の燕尾服に目鼻が隠れる仮面を被っている。


 鼻先が尖った面をロベニカから渡されたトールは不思議そうに尋ねた。


 ──天狗ですか?

 ──テング? いえ、鷹をイメージした面と聞きました。

 ──へえ……。まあ、口が隠れないので、息はし易そうですね。


「とりあえず、まずは座りましょうか。席次も決まってませんので本当に無礼講のようです」


 空いている席へとトールをいざなった。


「トール様、仮面舞踏会と言えど、昨日お伝えしたマナーは変わりません」


 テーブルに座るなりロベニカの舞踏会講座が始まった。


「同じテーブルになった人とは踊る。女性からの誘いは断ってはいけない。ハンドキスは真似だけする」

「あと、私と練習したのはワルツだけです。123のワルツだけです。ウィンナーもフォックストロットも──ともかくワルツだけなんです」

「はい」


 ワルツ以外なら相手の足を踏む前にお手上げしろという意味である。


「はぁ……。陛下をお誘いする約束をしてたんですけど──弱ったな」

「ええっ!?」


 ロベニカが驚愕の声を上げた。


「何だか自信無いなあ」


 と、トールが消沈している頃、オソロセア三姉妹は父ロスチスラフに怒り心頭であった。


「お父様、伯の仮面をそれとなく聞いておく約束だったではありませんかッ!」


 長女フェオドラが詰め寄っている。


 彼女の後ろに控えるレイラとオリガも、仮面越しであれ機嫌の悪さが伝わってきた。


「す、すまぬ。すっかり失念しておったわ。今から儂が聞いて──」

「それでは、あざとすぎますっ!!」


 娘達の剣幕に押されたロスチスラフは、じりじりと後ろへ下がる。


「い、いや、しかし──おっと──失礼」


 背後を通った相手に背が当たってしまい、ロスチスラフは振り返り詫びを入れたが、あまりに肉感的な女と気付き思わず眼尻が下がった。


 紫紺のドレスを纏い蝶を象った仮面を着けた女は、覗かせた口許に会釈を浮かべ足早に去って行く。


 黒いトリコーンハットに隠され、髪色までは分からなかった。


 ──これは、なかなか……。


 誘うように尻と腰を振って歩く後ろ姿にロスチスラフが見惚れていると、


「お・と・う・さ・まッ!!」


 三人娘の声が重なった。


 その声を背中で聞きながら、肉感的な女はほくそ笑んでいる。


 ──オホホ、居ましたわねぇ。可愛い得物ちゃんが。後は、女帝が本当に同じ衣装かを念の為に確認しておきませんとね。


 心理療法士の情報通りであれば問題は無い。


 この姿で三人娘の誰かを少々痛めつけて姿をくらませば良いのである。


 女帝が三人娘を傷付けたという噂話に上手く育てれば、小さな一歩とはいえ離間の萌芽となろう。


 やがては血で血を洗う大輪の華とするのだ。


 ──ホントにわたくしってば美しすぎる策士なのですわ~。


「あ、陛下!」


 ──え? え? どこですの?


 声の主を求め、イヴァンナは立ち止まって辺りを見回した。


「やっぱり、仮面を着けて来たんですね」

「え、ええ?」


 目の前に、鷹の面を着けた男が立っていた。


 銀色の頭部は露出しているのでピュアオビタルとは分かる。


 ──声も聞き覚えがありますわね──何だか嫌な予感が……。


「じゃ、約束通り踊りましょうか! あ、これじゃ作法が──ま、でも曲が始まっちゃいました。ワルツ、ワルツですよ。ボクが唯一踊れる曲なんです」


 そう言うとトールは、強引にイヴァンナの手を取り、大広間の中央へ向かった。


 ──な、なんて強引なんですの~。でも、こういうのにわたくし弱いのですわ……。


 不幸な勘違いでトールとイヴァンナがワルツを踊り始めた頃、女帝ウルドの苛立ちは頂点に達しつつあった。


 ──どこにもおらんではないかッ!!


 彼女はトールに告げた通り、仮面など着けず素顔のままであった。


 ──まさか来ておらんのだろうか……。


 女帝と重臣は、直接にEPR通信などせず、傍付を介してやり取りする仕来りである。


 ──考えてもみれば、かような仕来りなど守る義理お無いな。次にうた時は、デバイスに触れて吸ってやろう。


 そうなれば、オリヴィア宮で日がな連絡を待つ必要も無いのである。

 周囲に知られると面倒となる為、二人の秘事とするべきではあろう。


 こうして──、


 ワルツ曲が終わろうとする頃、ウルドは自身と同じ色のドレスを纏い、蝶を象る仮面を着けた女の姿に気付いた。


 鷹の仮面を付けた男と踊っていたが、最後のステップを間違えた拍子に女が床に倒れてしまう。


 その弾みで、女の仮面が外れた。


「あれ?」


 トールにしてみれば驚きの連続である。


 女帝ウルドと踊っているつもりでいたが、仮面の外れた女は似ても似つかぬ相手なのだ。


 おまけに、当のウルドは恐ろしい形相をして向こう正面に立っている。


 ──確かに……胸の様子が随分と違うと思ったんだよな。


 互いの想念が通じたなら、さらなる惨劇が起きただろう。


 ──それに、この人は……、


 倒れたイヴァンナに手を差し出しながら告げた。


「イヴァンナさんじゃないですか」


 その声に、慌てて仮面を着けようしていたイヴァンナの手が止まる。


「ええと、ボクですよ。あっ」


 トールは仮面を取り、微笑んだ。


「トール・ベルニクです。お久しぶ──」


 疾風の如くイヴァンナは走り去った。


 俊足の猟犬であれ、彼女には追い付けなかったかもしれない。


 ──そりゃ逃げるか。あっと、それより──陛下を──。


 だが、既にウルドの姿は消えていた。


 ◇


 なぜ、逃げるように出て来たかは己でも判然としていない。

 気が付けば、常となったテラスにいる。


 ──あれは、勘違いなのだろうか。


 トール・ベルニクは、自身が伝えた衣装と同じ女と踊っていたのだ。


 ──それとも、あの女を気に入っておるのか……。


 自分とは異なる肉感的な身体である事は分かった。


 ウルドとて、トールの嗜好に関する噂は耳にしている。


 性根こそ腐っていると自覚しているが、外見には絶対的な自信を抱いていた。


 だが、例の噂が真であるなら、実に由々しき問題となるのだ。


 ──困ったのう……。


 と、息を吐いたところで、閉ざしたテラスの窓を叩く音が響いた。


 呼び戻しに来たシモンかと思い振り向くと、所在無さげな様子の男が頭を掻いて立っていた。


「──」


 ウルドは口を閉ざしたまま、人差し指を上に立てて前後に揺らしトールを手招いた。


「申し訳ありません。すっかり陛下なのかと──」

「うむ」


 彼女をウルドと違えていた点は理解した。


 ──まず、そこは良い。


「が、なぜ面を着けた。素で参る約であったろう」


 だからこそ、ウルドは面など着けずに参加したのである。


 他方のトールは、最初から勘違いの連続だったのだ。

 仮面舞踏会とは知らずにウルドと会話をして、当日にそれと知り仕来りに流されたのである。


 とはいえ、筋から言えば、不審な点はあろうとも約は守るべきであった。


「誠に申し訳あり──いや──ホントに、ごめんなさいっ!」


 礼儀も必要だろうが、己の言葉で謝ろうと決めた。

 頭を下げ、珍しく真剣な表情でウルドの瞳を見詰める。


「ボクが色々と勘違いをしてしまったんです」

「二度は無い」


 その言葉に、トールは黙して頷いた。


「許す」


 ようやく、ウルドの面から険が消える。


「しかし、ようここまで至れたな」

「ええ。色々と権力を使いまして」


 銀獅子権元帥などという妙な役職は、平時であれ役立つ時もあるらしい。


「では──」


 戻るか、とウルドが言いかけたところで、トールは再び頭を少し下げてから告げた。


「踊ってくれませんか?」


 申し込むならば今であろうと考えたのだ。


 以降は、作法である。


 数舜の躊躇いを見せた後にウルドが右手をつと差し出す。


 トールは、紫紺の手袋を嵌めた手を握り手の甲を表へと回した。その手を持ち上げ、顔を甲に寄せた後にそっと手離すと、ウルドは少しだけ笑んだ。


「曲は?」


 ウルドが問いかけると同時、テラスの向こうに立つ衛兵が背を向ける。


 気が利く男であるな、と彼女は褒美を与えると心中で決めた。


「ボクは不慣れなので──」


 指を振ると照射モニタが現れてワルツを流し始める。


「──踊れるのはこれだけなんです」


 フェリクスの月が、二人を照らした。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?