「お子さんですか？」

　と、問われたテルミナは、飲みかけのコーヒーを真新しい執務机の上に吹いた。

「マリから聞いてねぇのかよ？」

「ええと、何をです？　あ、どうも」

　少年からコーヒーを受け取り、トールは礼を言った。

　──小学生──じゃなくて、ベルニクの学制だと幼年学校か。

　ベルニクに限った話ではないが、幼年学校で過ごす十年間は無償で教育を受ける事が出来る。

　とはいえ、その教育の質は領邦間の格差が大きい。

「ディオだよ。ねーちゃんの世話になってる。けーざいを学ぶ予定だ」

「ははあ、なるほど。テルミナ室長の弟さんですか」

　トールは、少年の差し出した小さな手を握り返した。

「ふん。ま、まあ、そんな感じだ」

　説明するのが面倒――というより照れのあるテルミナは適当に応えた。

　バスカヴィ地区で出会った少年は、「けーざい」を学びたいという意思を示したのだ。

　テルミナは後見人登録を進めた後、ガウス・イーデンに相談をしている。

　──で、どこに、ガキをぶち込めば「けーざい」野郎に出来るんだ？

　──急がば回れという信頼できる故事がある。金とコネは必要だがまともな幼年学校に入れろ。

　と、ガウスに勧められたのが、名門私立とされるヴォルヴァ幼年学校である。

　──なんだか、苛められそうじゃねぇか？

　氏素性がモノを言う世界にバスカヴィ地区で拾った子供を入れても大丈夫なのか、との懸念がテルミナにはあった。

　プロヴァンス女子修道院や憲兵学校で味わった疎外感は、今も彼女の記憶に焼き付いている。

　──当然リスクは有る。世界は冷徹だ。──が、お前はそれなりの権力を得た事も忘れるな。

　──あん？

　──つまりだな、子供同士の諍いさかいであろうと使える力は全て使え。俺達の──憲兵を辞しても憲兵隊の部隊訓を胸に刻んでおけ！

　憲兵学校で幾度も復唱させられたエゴイスティックな言葉を思い起こす。

　『正義は我に在り』

　こうして浮浪児ディオは、テルミナという後見人を得た。

　幼年学校の寮に入るまでの短い期間を、後見人の職場──特務機関デルフォイの丁稚として過ごしている。

「で、テメェは何の用があって来たんだ？」

　およそ領主相手とは思えぬ態度である。

　統帥府長官のヨーゼフが同席したなら、朝まで続く説教が披露されただろう。

「頼み事があったのですけど、弟さんが寂しくなっちゃうかもしれませんね〜」

「あん？　いやいや、気にするなよ。アイツは一人で生きられる男だ」

　男──と言われた事に気を良くしたのか、ディオは機嫌良さげに口笛を吹いた。

「そうですか。う〜ん、じゃ、お願いしようかな」

「おう」

　行方不明のイヴァンナとかいうアバズレを探す任務だろうか、とテルミナは考えつつ返事をした。

「まず、明日からボクは帝都フェリクスへ行きます。テルミナ室長も同行をお願いしますね」

「フェリクスか。分かった」

「で、そのあとは、グノーシス船団国に行ってもらいます」

　テルミナは飲みかけのコーヒーを再び真新しい執務机の上に吹いた。

　◇

「まあ、私達まで！？」

　オソロセア三人娘の長女フェオドラは、喜色を浮かべて父に告げた。

「嬉しい。トール伯も来られるのでしょう？」

　末娘オリガも華やぐ様子を見せる。

「うむ。勿論だ」

　そんな娘達の様子に眦まなじりを下げつつ、ロスチスラフはふと次女の様子に気付く。

　次女レイラのみが、少し考える様子を見せていたのだ。

「どうした。気が進まぬか？」

「いいえ。お父様」

　レイラは首を振り応えた。

「帝都にお招き頂けたのは嬉しく思います。ただ、詳しい事は分からないのですが、今回は重要な外交事なのでしょう？」

　グノーシス船団国から使節団が来る旨は三姉妹とて与り知らなかった。

　とはいえ、新生派に与する領邦領主が一同に会する上、新教皇アレクサンデル・バレンシアの訪問まであると噂されているのだ。

　社交のみで集える時勢でない点を鑑みると重要性は明らかだった。

「ほう」

　その点に思い至った次女をロスチスラフは頼もしく思う反面、娘にとって幸か不幸かについては悩ましいところである。

　得てして世事に疎い愚物ぐぶつの方が幸せな老い楽を迎えるものだ。

「ところで、マクギガン家の御子息ジェラルド様は招かれておりますの？　それに、サヴォイアのアントニオ様はヴォルヴァ幼年学校から──」

「いや、聞いておらんな」

「まあ──。私達だけですのね……」

　領主の血縁者まで招かれているのはオソロセアのみである。

　その点はロスチスラフも一抹の不安を感じていた。

「女帝陛下自らが所望されたという点も気になります」

　故に、無碍むげには出来ない。

　女帝と筆頭元老の間に不和が有れば、産声を上げたばかりの新生派という枠組みなど容易く瓦解してしまうだろう。

「私の見立てでは──」

「待て、レイラ。みなまで言うな」

　と、ロスチスラフは危険な領域に話が及ぶのを避けた。

「安ぜよ。儂が在る限り、お主等の羽で舞えぬ空は無い」

　ドミトリに命じ、既に複数の長手を帝都フェリクスに忍ばせていた。

「都を愉しめば良いのだ。銀河で最も勢いのある場所となったのだからな」

　そう言って娘達を安心させる傍ら、ロスチスラフは内心でひっそりと呟く。

　──真に、面倒な話だ。

　トール・ベルニクの呑気な顔が浮かんだ。

　──あの朴念仁がさっさと身を固めぬのが全て悪い。

　こうしてロスチスラフは、フェリクスでトールに説教をしようと腹を決めた。

　◇

「ち、畜生と同じ船ですって！？」

　執政官専用であるμミュー艦のタラップを上がりつつ『母の会』代表の女が文句を言った。

「ジュリア殿、大事な手土産なのですよ」

　国事としての渡航許可は得たものの、民会からは様々な条件を課せられている。

　使節団の中に民会の各派閥代表を含めるのもその一環だった。

　クリス達が乗船していると聞き及び、民会議員のジュリアは大いに気分を害している。

「他の船があるじゃありませんの。多数の輸送艦を連れて行くのでしょう？」

「あちらは荷物で手一杯でしてね」

　グノーシス船団国の国威と重要性を示す為、多種多様な希少資源を積載している事にな・っ・て・い・る・。

　──ふう、どうにか無事に積み込めましたが……。

　その秘事を成す為、ルキウスはさらに多くの私財を投じる必要があった。

　結果、彼の個人資産は底を尽き掛けている。

「ぎゅうぅっと押し込めばいいんです。ぎゅうぅっと」

「それは、まあ、あなたの様に、細身の方ばかりであれば可能でしょうが」

「んま」

　歯抜けのルキウスは人の悪い笑みを浮かべると、民会で最も豊満とされる女性の脇を逃げるようにタラップを駆け上がった。

　二角帽子で口許を隠しつつ、スキピオがその後を追う。

「さあさ、神職様」

　入口で待っていた、船付神官に告げる。

「例のお歌を頼みますよ。常闇の宙を駆け、異端の大地へと旅立ちましょう！」

「ええ、承知しました」

　不信心と問責されかねない執政官の言葉に動じる様子もなく船付神官は微笑んで答える。

「では、私はμミューフロントに参ります」

　そう言って、船付神官はバイオレットの髪を揺らし踵を返した。