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第17話 民会にて騙る。

 オソロセア領邦から、首船プレゼビオへ戻るまで三週間を要する船旅となった。


 タウ・セティ星系の未知ポータルを抜けた星間空間を奔り、さらに別のポータルから繋がる円環ポータルを目指す。


 円環ポータルとは多数のポータルが集積している場所で、各レギオン艦隊が航行する宙域と首船プレゼビオを結ぶ結節点である。


「毎度の事ながら、徒労感の蓄積する距離ですよ」


 執政官専用であるμミュー艦のタラップを降りながら、背面を歩くスキピオに語り掛けた。


「確かに暇だったな」


 ルキウスの護衛官は、旧友として気安く応えた。


「──が、プレゼビオにもお楽しみが待ってるんでね。久方ぶりというのも悪くない」


 首船の色街で名を馳せる男は軽やかにうそぶく。


「スキピオ君はそうかもしれませんが、私の方はこれから直ぐに民会へ赴き、欲深く揚げ足取りに長けた議員連中を説伏しなければならないのです」


 舌から先に産まれたと評される歯抜けのルキウスだが、民会という討議の場を信用していない。


 笑いも無ければ知恵も無い──とは、ルキウスによる民会評である。


「ともあれ、まずは最新情報を得なければ」


 そう言ってルキウスは、板状のデバイスを取り出した。


「情報に飢えていますのでね」


 EPR通信を持たない彼らの航海は孤独な旅路となる。


 コミュニケーション可能なのは船内と宙域を奔る僚船のみであり、首船プレゼビオに集まる情報にもリアルタイムに触れる事が出来ない。


 無論、首船プレゼビオに集まる情報も光速の壁を乗り越えられないのだが──。


「わわ、スキピオ君、大変ですよ」


 板状デバイスに目を落としながら、ルキウスが頓狂な声を上げる。


「あん?」


 スキピオは不審な表情でルキウスのデバイスを覗き込んだ。


 長年の友人は屈強な戦士では無いが、滅多な事で動揺する男ではないと知っていたからである。


「私、破産するかもしれません」


 ◇


 民会とは選挙により選ばれた議員達による立法の場である。


 民会の決定に対して執政官は拒否権を持つが、拒否権が発動された場合、レギオン総督で構成される氏族合議に裁可が委ねられる。


 また、任期が二十年という制約もあり、執政官の権力基盤はさほど強くはなかった。


 つまるところ有力レギオンの後ろ盾が無ければ、何も事を成せないのが執政官という立場である。


 ルキウスが理想とする社会へ至る道は、執政官の力では切り開けぬほどに狭く険しい。


 そこで彼が利用しようとしたのが、執政官の外交専権だった。


 外交専権を利用してルキウスは帝国との国交締結へと邁進するつもりだが、それを阻止しようとする勢力は依然として民会の多数派を形成している。


「遥々、奸賊の領土へと秘かに出向かれたそうですな。今回はいかなる企みを講じておられるのか?」


 嫌味な口調で問うたのは、神官達の利権を代表する派閥の長である。


「企みなんてありませんよ。使節団派遣に向けた梅雨払いというだけです。あちらの女帝──と称する者に会う前に、好きな下着の色などを尋ねた程度の話でしてね」

「し、下着?」

「私に惚れちゃうかもしれないでしょう?」


 そう言ってルキウスが欠けた歯を見せると、何人かの議員は嘲り交じりの笑声を上げた。


「その使節団とやらですが、我らは未だ認めていませんぞ」


 国交締結に反対する勢力が目を付けたのは、ルキウスを代表とする使節団への渡航許可権であった。


 正規の外交事を成そうとするならば、国家が認めた使節団でなければならない。


 訪問を受け入れる側の新生派オビタル帝国側としても当然ながら同じ認識となる。


「何度も申し上げた通り、今が最も有利な時なのです」


 トール達との密議で語ったように、帝国が割れた事による政治情勢を説いた。


「彼らが一枚岩に戻る前に与して、船団国の立場を盤石としなければなりません」


 蛮族ではなく、対等な国家としての関係性を構築するのだ。


「ふん。異端の者と結べるとは思えんし──そもそも、我らの奴隷を返せと言われたら、貴方はどう応えるつもりなのだ?」


 ほとんどの奴隷とその子孫は、オビタル帝国から攫われた人々なのである。


「当然ながら断りますよ。奴隷は国家と、誇り高き国民にとって重要な資産なのですから」


 ルキウスは常の笑みは消し、真摯な表情で応えた。


「尚且つ、割れたもう一方の勢力圏では、従来通り荒らし回れば良いのです。敵の敵は味方と感謝されるに違いありません」


 オソロセアのロスチスラフは、その点にも利があると考えていた。


「とはいえ段階的な奴隷解放は謡う必要がありましょうな。より有利な通商条件を引き出す餌となりますから」


 通商という側面については、反対派も有意性を否定できない。


 略奪と密貿易に依存したグノーシス船団国の経済的停滞は誰の目にも明らかなのである。


 だが──、


「執政官殿、尻の尾が隠せておりませんぞ。奴隷解放などと、また世迷言を」


 奴隷とは船団国にとってドグマに等しい。


 星系を追い払われた惨めな負け犬ではなく、自分達こそが選民であると実感させてくれる存在なのである。


と伝えるのです。つまりは、遠大な長期計画にしておけば誰も気に留めなくなるでしょう」


 光速度の谷に隔てられた距離にある他人の境遇など、幼子の気まぐれに叩き潰される羽虫に等しい。


「我々は利益のみを享受し、国家としての影響力を強め、やがては──いや、この先の大事だいじは梵我党の方々が語られるべきかもしれませんぞ」


 梵我党とは、福祉と慈善活動を旨とする社交団体であるが、先鋭的な原理主義者の集まりでもあった。


 民会を構成する幾つかの派閥にとって、重要な票田であり資金源でもある。


「執政官殿の御高説、大層興味深く伺いましたわ」


 神経質そうな声音を上げたのは、「母の会」と呼ばれる派閥の代表だった。ソルジャーや兵士の母親を票田としており、梵我党とも蜜月関係にある。


「異端の姦婦をたぶらかし、我が国に富をもたらす妙案──と、理解致しました」


 ええ、とルキウスは笑顔で大きく頷いた。


「大いにたぶらかしますとも」

「ですけれど、この点だけは約束して頂きたいのです」


 母の会が懸念するのは、略奪や戦争で子息の命が奪われる事だけでは無い。


「決して、姦婦に跪かぬ事を女神ラムダに誓って頂けませんと、死んだ息子や娘達が浮かばれませんわ」


 彼等が迎えた死の価値に、疑義が生ずる事を恐れている。


「おお、この素晴らしき母君方に祝福を!」


 ルキウスは幾分か芝居掛かった仕草で天を仰いだ。


「お約束しますとも。誇り高きグノーシスの民として、姦婦に跪くこうべなど持ち合わせていないと、ここに堅く申し上げておきます」


 衆目が無ければ、相手を強く抱きしめたに違いない。


「女神ラムダに誓って」


 そう言ってルキウスは、祈るように瞳を閉じた。

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