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第39話 背中。

「――て来ます」


 そう告げるロベニカの背後には、小型艦艇に乗艦するタラップがある。

 既にタラップに足を掛けていたテルミナが、早くしろよ、といった表情で振り返った。


 旗艦の格納庫は、移乗して来た白兵部隊、そして出艦作業スタッフの声で騒がしい。

 ロベニカの声が良く聞こえなかったので、トールは半歩近付いた。


「なんですか?」

「あ、あの、い、行って来ます」


 唐突にトールが距離を詰めて来たせいか、ロベニカの口調が滑る。

 そもそも、大した話では無かったのだ。


 重要な打ち合わせは全て終わっている。


「はい、行ってらっしゃい」


 だが、トールは律儀に答えた。


 ロベニカ、テルミナ――またロスチスラフも、パトリック艦隊の艦艇に移乗するのである。

 叛乱軍を討ち掃ったため、フェリクスポータルから太陽系に戻れるのだ。


 ロスチスラフは、さらに火星ポータルを抜け、自領であるオソロセアへ向かう。

 出撃体勢を整えたオソロセア艦隊を引き連れてくる手筈であった。


 カドガン領邦軍に抗するには、オソロセアの力が必要である。

 だが、ベネディクトゥス星系へ艦隊を出すには、ベルニク領を通過するほかない。


 ロベニカは領邦へ戻り、特例措置を取る段取りをつけるのだ。

 また、他領邦の艦隊を通すにあたり、領民の不安も解消すべきだろう。


 パトリック艦隊とトール艦隊の一部は、木星ポータル前にて築城し、オソロセア艦隊の合流を待つ。


「トール様もお気をつけて――本当に――本当に――」

「心配しなくて大丈夫ですよ」


 などと、呑気に言うが、トールと多数の白兵部隊を乗せた旗艦である重弩級艦は、このままフェリクス宇宙港への揚陸を強行する。


 カドガン領邦軍の目論見が何であれ、ウルリヒ捕縛を邪魔させる訳にはいかなかった。


「カドガン領邦より早くロスチスラフ侯が来てくれれば良いだけです。それが無理でも、ゲートを閉じれば時間を稼げますから」


 トールは、管制センターが、万年続く太古の灯台になった事実を知らなかった。


「そうですけど――あの――」

「おら、行くぞッ!待たせてんだろうが」


 焦れたテルミナが、ロベニカの腕を引いた。


 ロベニカは、彼の主人が選んだ道を知っており、その危険性も把握しているのだ。

 部下に任せて欲しい――という言葉を、彼女は飲み込んでいる。


 それゆえに、ロベニカは人材登用強化の決意を新たにした。


 今は役割を確実に果たすことね――と考え、彼女はタラップを登っていく。


 ――閣下!


 二人の背中を笑顔で見送ったトールに、ケヴィン准将からEPR通信が入った。


 ――フェリクス宇宙港、敵増援部隊が確認されました。


 話の途中で、弾かれたように、トールが駆ける。


 ――それと――燃えています――管制センターが。


 困ったな、とは思ったが、それより優先すべきものが彼にはあった。


「ケヴィン准将。小型艦艇の発艦と同時、強制揚陸を開始して下さい」


 ゲートが空いているならば、壁面砲の放つ荷電粒子砲に耐え揚陸は出来る。

 みゆうと乗員にとって、些か荒々しい船旅とはなるだろうが――。


「後、白兵部隊の降下準備をお願いします」


 ――承知しました。では、手近な耐衝撃シートのご案内を――ええと――。


 強制揚陸では慣性制御が乱れるため、耐衝撃シートへの着席が必要だった。

 格納庫からブリッジでは、遠すぎると考えたのだろう。


「不要です」


 ――は、はい?


「ボクも、行きますから」


 ――え、そのう、何処いずこへ?


「下です」


 ◇


「ほう、メイドも残るか」


 テルミナの忘れ物を届け、通路を戻るマリに声を掛けたのは、実に意外な人物であった。


「――陛下」


 シモンを引き連れた女帝ウルドである。


 本来ならば出会わず、恐らくは出会ってはいけない二人だろう。

 これが、宮中であったなら、ウルドが頸を刎ねるか、マリの肉切り包丁による政変となったかもしれない。


 だが、幸いにして、トール・ベルニクの旗艦である。


「ええ、役目がある」


 マリが頷き応える。


 ウルリヒ・ベルツを殺す――というだけでなく、トールが気にしたのは、ベルツを伴わねば入れぬ場所という件であった。

 ウルリヒが、そこに逃亡した場合を想定し、民間人を連れ立つという苦渋の決断に至っている。


 とはいえ、マリとしては本望であっただろう。


「余とて、役目があるのでな」


 張り合っているのか否か不明であるが、女帝ウルドは一介のメイドにそう告げた。


 実際には、トールからは移乗を薦められている。

 ロスチスラフと共に、大艦隊を率いて来てくれ――と。


 ――断る。余は残る。

 ――え、何でですか?


 言下に拒否された事に驚いたトールを見て、少しばかりウルドの溜飲が下がる。

 こちらが驚かされてばかりでは不公平であろう、と考えていた。


 ――理由など無い。が、敢えて申すなら、余がそう思うたからである。


 危ないんですけどねぇ、と言いながら頭を掻く男に、ウルドは言葉を重ねた。


 ――守れ。臣下の務めであろう。


 そう言われたトールの表情は、なぜかウルドの脳裏に残った。


「で、お前の役目とやらは――」

「静かに」


 ウルドの話を遮り、マリは口元に人差し指を当てた。

 ベルニクには不敬不遜な輩が多い、と傍に居たシモンは心中でおののく。


 とはいえ、戦時におけるマリの行動は、あながち間違いという訳でもなかった。

 艦内アラートが鳴動したのである。


 ――緊急。百二十秒後、強制揚陸開始。耐衝撃シートに着席せよ。繰り返す――。


 通路壁面に備えられた耐衝撃シートが、機械音を放ち一斉に倒れた。


 マリは傍にあるシートに腰かけ、手早く八点式シートベルト装着する。

 手順自体は、乗艦後に乗組員から説明を受けていたのだ。


「早く」


 未だ通路に立つ二人に、マリが声を掛けた。


「手順は教える」


 その物言いに、ウルドは瞳を閉じ、三度みたびほど静かな呼吸を繰り返した。

 シモンは、その背中を怯えた眼差しで見詰める。


 数舜後、彼女は黙って腰かけて告げた。


「頼む」


 ◇


 ジャンヌ・バルバストルは絶体絶命の危地にある。

 下衆熊は斬り捨てたが、その刹那の背中は、あまりに無防備であった。


 迫る槌頭づちあたまと穂先に装甲が耐えたとしても、立ってはいられない。

 数的不利にある乱戦で、地に臥せば終わりである。


 だが、今――彼女は臥せた。地に臥せてしまった。

 数多の槌頭づちあたまで打たれ、数多の穂先で突かれ、ジャンヌは地に倒れている。


「隊長」

「猛れッ」

「駆けろ!」


 ホワイトローズの部隊は、皆――駆け、跳ね、剣を振るい、殴打し、彼らの戦乙女を救うため血路を進む。

 だが、乙女に至る道は遠く、往路には路傍の大石がある。


「うわああああッ!!」

「いけええええ」


 路傍の大石――ジャンヌを囲む敵兵が雄叫び、装甲を砕こうと再び得物を振り上げた。


 その時――、


 天より下った一本の矢があった。


 自由落下にほぼ等しい落下エネルギーの衝撃で、モルゲンステルンを振り上げた督戦隊の脳天を装甲ごと貫き、その身を文字通り真っ二つに斬り裂いた。

 破裂音と共に、血と臓腑が辺りに飛散する。


「うわぁ」


 光景の凄惨さと比するなら、不謹慎なほどに呑気な声音であった。

 パワードスーツに、朱色の縦縞が出来ている。


 ――エアボーンシステムって、難しいなぁ……。


 とてつもない速度で降下してしまった、トール・ベルニクである。


 あわや自身が激突死するところであったが、パワードスーツの耐衝撃性能の限界値を確かめられた、と前向きに考える事にした。


 ――クッションのお陰かもしれないけど。


 砕けた頭骨を踏んでいる事に気付き、そろりと脇によける。


「え、援軍だッ!!」


 トールに続く矢が、続々と飛来する。

 こちらは、適性な速度で降下してきたのであろう。


 斬り裂く事はなかったが、ジャンヌの周囲にあった兵達を、上空から次々に打ち据えていく。


 その数――二百余名。

 叛乱軍艦隊との戦闘で、敵艦揚陸に備えていた部隊である。


 数的不利は大いに改善された。

 なおかつ、督戦隊を率いる男は既に絶命している。


「少佐ッ」


 ジャンヌの傍で蠢いていた敵兵は、上空からの襲撃に怯え引いたところを、背後のホワイトローズ部隊に襲われていた。

 戦闘の形勢は、完全にベルニクに傾いている。


「ご苦労様でした」


 その声に――、


「――閣下」


 ジャンヌは立ち上がり、再びツヴァイヘンダーを強く握る。


 頭部装甲と背面装甲の一部が破損している。

 脚部の対数フィードバック機能も低下していた。


 再び槌頭づちあたまで打たれれば、己の脳漿も散っていただろう、とジャンヌには分かる。

 だが、生きていた――。


 立ち上がったジャンヌを確認したトールは、すでに敵中で聖剣を振るっている。


 その背中を見て、ようやく彼女は理解した。

 己が、かつえ、焦がれ、欲したものが何であったのかを――。


 ゆえに、ジャンヌ・バルバストルは淑女と思えぬ咆哮を放った。


 血と肉に彩られた、歓喜の剣舞が始まる。

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