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第7話 道化乱舞。

 剣闘士トジバトルは、剣闘士である事に誇りを持っている。


 彼は、ダウンタウン地区にあるヴィブリンゲン修道院で育った。

 帝国及び諸侯は、福祉制度の構築に熱心ではなく、ラムダ聖教会が孤児や貧民の受け皿となっているためだ。


 孤児、モンゴロイド系という二つの差別に苦しむのだが、剣闘士で身を立てるという博打に全てを賭けた。


 帝国の剣闘士制度について詳細を記すには頁が足りないが、さほど恵まれた生業なりわいでは無い点については伝えておこう。


 多くの剣闘士は極潰しかならず者であり、八百長試合を繰り返す。

 死なない程度の生傷で、いかに観客を満足させるかに心血を注ぐのである。


 また、八百長試合ではなくとも、世間の印象ほど命のやり取りなども無かった。

 特に人気の高い剣闘士となれば、負けたとしても易々とは殺されない。生きていた方が利益を生み出す為だ。


 剣闘士トジバトルは、そんな世界に生きている。


 そして彼は、剣術云々より、この八百長制度にこそ大きな誇りを抱いていた。

 社会的弱者が、より長く、そして効率的に分け前を掠め取るための知恵であろうと考えたのだ。


 トジバトルが三十週連続勝者でいられるのも、剣闘士界における彼の政治力によるところが大きい。


 彼は利権と利益を決して独占しない男である。

 彼が儲かる時は、敵対勢力も含め利益が出るよう努めた。


 勿論、この闘いにおいても、彼にはプランがある。

 女帝ウルド、トール・ベルニク、両者の面目を潰さず、そして何より自身が利益を得られるよう進めるつもりであった。


 あったのだが――、


「あひゃひゃ、道化は二振りの短刀を所望しまするうううッッ!!」


 当然ながら、宮廷道化師である彼には帯刀の権利など無かった。

 トールの助っ人に指名された事で、さすがに徒手空拳では不味かろうとなったのである。


 衛兵が適当に見繕って持ってきた刀類には目もくれず、道化は短刀を希望したのだ。

 身の丈を考慮するならば、妥当な選択であろう。


 ――しかし、どういうつもりだ?


 希望通り二振りの短刀を得て、はしゃぎ回る道化を見ながらトジバトルは考える。


 ――助っ人などと意味が分からん。


 これまでも、トジバトルはウルドの児戯じぎに何度か付き合わされていた。

 不運な廷臣や貴族相手に、程の良い剣闘を演じ全てを丸く収めて来たのだ。


 適度に痛めつける事で、ウルドの癇気かんきを鎮め、不運な相手も多少の傷はあれど命は助かる。

 そうして、トジバトルは双方に貸しを作った。


 ――どうも勝手が違う。道化の目論見も読めん……。


 かつてない逆鱗に触れたのであろう事は分かっている。

 先ほどのやり取りを見て、そこまで至ったウルドの心理的経緯も読み取れていた。


 ――アホ領主殿は、つゆほども陛下を恐れていない。


 ウルドとしては、そこが最も腹立たしいところなのであろう。


 ――ま、それは良いとしても、アイツが、あまりに不確定要素だな。


 剣闘士を生業なりわいとする者として考えて来た筋書き――。

 それが大きく狂わされそうな予感に、トジバトルは不安を募らせていた。


 元来が、繊細な男なのである。


 ◇


 特段のステージがある訳では無かった。


 大広間の中央を人々が囲っており、すでに剣戟けんげきは始まっている。 

 雛壇に座るウルドが肉眼で観戦できるよう、一方は通路のように開け放たれていた。


 ――この距離だと、短刀を投げても無理だよね。


 トジバトル同様に、トールにも道化の意図は分からない。

 ただ、彼が武器を手に入れる機会を得て、それが実現した事だけは確かであった。


 とはいえ、女帝ウルドまでの距離はまだ遠い。

 いかなる投擲の名手であったとしても、殺傷できる距離では無かった。


 走って駆け寄ろうにも、途中で衛兵に捕らえられるだけであろう。

 さらに、目視できないだけで、人力以外のセキュリティも存在するはずなのだ。


「でああッ」


 気迫に満ちた声と共に振られたトジバトルの剣を受け流す。


 このような闘いを繰り広げつつ、道化の思惑に考えを巡らせる余裕があるのも、開始早々にトジバトルの意図を察したからである。


 傍目には迫力満点に映ろうとも、その剣筋に殺意が無かった。

 揚陸戦で本気の殺し合いを経験したトールからすれば、時折ジャンヌと行う模擬戦のように思えたのだ。


 ――失礼だけど、見かけと違ってクレバーな人なんだなぁ。

 ――機会があれば、少し話しをしてみたいけど……。


 この時期のトール・ベルニクは、人材集めに腐心していた。

 多少なりとも気になる人物と出会えば、自陣営へと招き入れるべく動いている。


「なかなか――やる」


 つばり合いとなり、体躯が接近したタイミングでトジバトルが囁く。

 これまでの児戯じぎで相手をした貴族連中とは明らかに異なっていた。


 流派は不明ながら、きっちりとした基礎を積んでいる節がある。

 また、揚陸戦に参加したのも事実であろうと思わせる実戦味があった。


 何よりトジバトルを驚かせたのは、恐怖心の欠如であろう。

 こればかりは、トールの特殊な現実認識によるところが大きのであるが――。


 問題となるのは、やはり道化であった。


「あひゃあ、おひょ、うひぃ」


 訳の分からぬ雄叫びを上げながら、闘う二人の周囲を右往左往しているのみである。

 助っ人というより、道化としての役回りを果たしているだけにも見えた。


 大広間に集う人々もそのように解釈したらしく、声援を送る傍ら、道化に野次などを飛ばしていた。

 女帝ウルドも興が乗ってきたのか、椅子から立って面白げな様子で見守っている。


 こうして、三十分ほど打ち合うと、トールの方は息の乱れが出始めていた。

 さすがに本職であり、場慣れもしているトジバトルは、外見上からは何の変化も見られない。


 ――ここらが決め時か。


 痛め過ぎぬ程度に派手な剣術を決めて、トールを床に打ち据えれば良かろうと判断した。


 ――アホ領主、いやトール殿なら分かってくれよう。この呼吸――。


 トジバトルは軽くトールに目線を送り、反身の剣を大きく振り上げた。


 ――ボクも多少の怪我は――まあ、痛いのは嫌なんですけど……。


 とはいえ、今回の失態を無かった事にするには、もはや痛い思いを自身がする他ないと理解している。

 教皇逝去による宴の中断が無いのであれば、有耶無耶に流すなど不可能なのだ。


 覚悟を決め、トールは相手の剣を受けるべく、己の隙を開けたままとした。


 その時である――。


「お助けしますぞおおおおおおッ!!!」


 唐突に道化が叫ぶと、両手に持った短刀を構え、意外な跳躍力を見せ飛び掛かって来た。


「な――」

「あ、あぶ――」


 期せずして、トールとトジバトルの声が重なる。


「シッ」


 喉切り音を鳴らし道化の小さな体躯が、両者の間に割って入った。


 そこに奔ったトジバトルの剣戟けんげきを、道化は大きな左手に握った短刀で弾く。

 瞬間、甲高い金属音と火花が散り、トジバトルのかおに驚きの表情が浮かんだ。


 ――道化が、短刀で弾くだと!?


「トジバトルさんッ!」


 意外な使い手と見切ったトールは、敵であるはずの相手に叫んだ。


 トジバトルは弾かれた剣を構え直す体勢に入れていない。

 一方の道化は、弾いた左手はそのままに、右手に持った短刀の握りを変えている。


 ――殺す気だ。


 だが、トジバトルとて修羅場を潜って来た男である。

 すかさず後ろに下がると、反身の剣を横に流し道化に向け軌道を描いた。


 再び道化はその剣戟を弾いた後、少しばかり奇妙な動きを見せる。


 トジバトルの剣圧に押されたかの如く身体を回転させ、そのままトールの方に舞い戻って来たのだ。

 道化はトジバトルに背を見せた。


 隙ありと見たのか、そこへトジバトルが踏み込もうとする。


 だが、それこそがトールには罠に思えた。

 トジバトルを制する為、口を開こうとした矢先、トールは道化のかおを見る。


 ――え?


 道化の昏い瞳は、泣き笑いの仮面を張り付けたままトールを見詰めていた。


 ――こっちか……。


 トールは、ようやく理解した。彼の獲物が、自分であった事を――。

 だが、些か遅きに失したかもしれない。


 無情な、道化の右手が奔った。

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