目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第41話 みゆう。

 大聖堂や会議室で目にした女神像と、何らたがわぬ存在に見える。

 異なる点と言えば、その裸体が生きているかのように艶めかしい点だろうか。


「そんな――」

「嘘だろう――」


 呆然とする二人を置き、トールは女神の前へと進み出た。


 指先で透明なパネルを何度か叩き、首をひねっている。

 次に、飛び跳ね、そして手を打ち始めた。


 ついには――、


「やあやあやあ、朝ですよおお。女神さまッ!」


 ――などと大声で叫び始めている。

 敬虔な女神ラムダの信徒が見れば、許しがたい行為であったかもしれない。


 幸いこの場に居合わせたのは、忠誠が信仰を上回る女と、贖罪意識が異様に高まっている男だけだ。


「か、閣下?」


 気が触れたかのような動きを繰り返すトールに、ジャンヌが声を掛ける。

 ケヴィンはと言えば、跪いて祈りを捧げていた。


 ――閣下と領邦への裏切りを御許し下さい。女神ラムダよ……。


「駄目か――。う~ん。困ったぞ」


 勝手な乱痴気騒ぎは止めたトールだが、今度はブツブツと呟き考え込み始める。


 ――このままだと、最悪の選択が必要になってしまう。

 ――破城槌はじょうついは、さすがに嫌だな。


 と、その時、彼の脳裏に瞬くモノがあった。


「あ、そっか」


 何を閃いたのか、笑顔でジャンヌ達を振り返る。


「驚かないで下さいね」


 十分に驚いている状況だったのだが、忠実な二人は健気に頷いた。


「ボクもすっかり忘れてましたよ。ええとコホン」


 軽く咳払いをして、女神に向き直り胸を張った。


「こんにちは!いや、お早うございます――かな?」


 ジャンヌは怪訝な表情を浮かべたままだ。

 祈りを捧げていたケヴィンは、オヤという様子でトールを見た。


「初めまして!」


 久方ぶりのためか、上手く話せている自信は無い。


「ボクは、秋川トオルです!!」


 その声が響いた時――。

 ジャンヌやケヴィンには決して理解できぬ音節が響いた時――。


 女神は、その瞳を開いた。


「――か、閣下――危な――」

「大丈夫」 


 前に出ようとしたジャンヌを、トールは腕で制した。


「――く、悔い改めます。女神よ。お、お御許しを――ご慈悲を――」


 いよいよケヴィンの祈りは、心の中に止まらなくなったようだ。

 だが、きっと彼の祈りは女神に届かないだろう。


 視界にすら入っていないのではなかろうか。

 なぜなら、女神の瞳はトールだけを見詰めていたのだ。


 女神の声が、広い空間に響く。


「だ、誰?」


 ◇


 巨大な体躯とは釣り合わぬ、それは少女の声音であった。

 怯えと――さらには諦めが混じっている。


「ですから、秋川トオルです!」


 問い掛けたはずの女神は言葉を失い瞳を大きく見開いた。


 ――誰?


 それは、女神が何度も発してきた問いなのであろう。

 だが、誰も答えなかった。そもそも、答えられる者などいなかったのだ。


 いつしか諦め、口を閉ざすようになったのかもしれない。


「おっと、話しを続ける前に――」


 呆然としているジャンヌとケヴィンへ、先に伝えておく必要があった。


「お二人には分からない言葉で話しています」

「――え?」


 オビタルであれ、地表人類であれ、共通の言語が使われる。

 例え、グノーシス異端船団国であったとしてもだ。


 あらゆる記録は共通の言語で残されており、異なる言語という概念すら失われつつある。

 それは、合理性を追求した先史文明の遺した遺産――あるいは弊害であったのかもしれない。


「閣下はいったい――し、失礼」


 ジャンヌは何かを問いかけようとしたが、彼女にEPR通信が入ったようだ。

 ニューロデバイスに触れ、厳しい表情を浮かべた。


 一方で女神にとっては、ジャンヌの声など、どうでも良いに過ぎない。


「わ、分かるの?」


 喜色混じりの声で、トールに語り掛ける。


「はい」


 観戦武官には、この言葉は全く理解出来なかった。

 だれ――という音のみが、度々聞こえたという記録が残っている。


「日本人ですからね。ちょっと、そうは見えないでしょうけど」


 ――銀髪の日本人なんていないしね。


「日本人?ええと何のこ――」


 女神が言葉を継ごうとした時、移乗攻撃への警告を発していたアラートが変化する。


 ――μフロント異常検知――μフロント異常検知――。

 ――相転移網のトラフィック上昇――通信レベル低下――担当技官は――。


「こ、この音――あぅ。怒られる」

「待って下さい」


 瞳を閉じようとした女神を、慌ててトールが止める。


「もう少しです。多分」


 トールは唇に人差し指を当て、ジャンヌを振り返った。


「閣下」


 ちょうどEPR通信を終えたようだ。


「ブリッジの制圧が完了した模様です」

「良かった。とりあえず艦内の騒音を――」


 トールが言い終える前に、艦内に静寂が落ちる。

 揚陸してからアラートを聞き続けていたせいか、異様な静けさにも感じられた。


「あれ?静かになった」

「怖い人たちを黙らせたんですよ」


 壁に繋がれた女神――これでは奴隷ではないか。

 傍目には分からなかっただろうが、トールはかなり本気で怒っている。


「――秋川トオル――さん?」

「はい、そうです。えっと、あなたの名前も教えてくれませんか?」

「わ、私は――みゆう」


 そう聞いて、トールは怪訝そうな表情を浮かべた。

 彼の想定しない応えだったのかもしれない。


「うん――。でもトオルは何をしに来たの?」

「ボクは――」


 大聖堂や会議室の女神像を見るたびに、思っていた事を伝えるのだ。


「――あなたを助けに来たつもりです」


 勝つためでもあった。


 だが、観戦武官の記録を読んだ時から考えていた事でもある。

 女神なのか否か、その存在の正体は不明だが、救うべき対象なのではないか、と。


「ただ、軍事用語では鹵獲ろかくって言うんですけど」


 ◇


 グノーシス異端船団国は帝国とは異なりEPR通信を持たない。

 その事実は、艦隊運用において、本来なら帝国側との埋め難い戦力差を生んだはずだ。


 宇宙空間で一糸乱れぬ艦隊運用を図り帝国と戦うなど、光速通信のみでは不可能だろう。

 だが、彼らはそれを成し遂げていた。


 となれば、他の通信手段があると考えるのが妥当である。

 その答えを、トールは屋敷の地下で見つけたのだ。


 μフロントで瞳を閉じた女神が、EPR通信に代わる手段を提供している。


 つまるところ、女神とは生体通信ハブなのだ。

 眼球と舌を抜かれていないだけでも、グノーシス異端船団国は良心的だったのかもしれない。


 だだ、これが、EPR通信やポータルのような、量子テクノロジーの産物であるかは分からない。人型である必要性も不明であった。


 ――そこは、戻って調べるしかないよね。

 ――助ける方法だって知りたいし。 


「みゆうさん」

「うん」

「ボクの家に来てほしいんです。まあ、当面は宇宙港になりますけど――」


 二乗三乗の法則で、女神の自重じじゅうは大変な事になっているはずだ。

 壁から解放したとしても、浮力の存在する水中か、局所的に慣性制御を調整した空間でしか暮らせない可能性がある。


 ――屋敷にプールなんてあったかな?


「う、うん。うん。行きたい。お話ししたい。行きたい、絶対」


 誰にも想像できないほどの飢えが、女神にはあったのだろう。


 己の言葉に耳を傾ける存在を、己の言葉を解する存在を、何より己の問いに応える存在を欲し続けていたのだから――。


「ボクが今から言う事を、みんなに伝えるってできますか?」

「音って事でしょ?」

「オビタル語なので、まあ、そうなりますね」

「大丈夫」


 女神が瞳を閉じた。


「全艦、砲撃停止」

「――うん――伝えた」


 ――旗艦は勿論だけど、戦闘艇一隻はグレンさんに譲ってもらおう。


 女神だけでなく、受信側をも調べる必要があると考えたからだ。


「ありがとうございます」


 旗艦については、ブリッジ制圧部隊が既に砲撃を停止させている。

 ルチアノグループへの手土産を壊さぬため、ジャンヌを振り返った。


「こちらも砲撃停止を。商船は戦域から離脱させましょう」


 呼びかけるが、不思議そうな表情を浮かべたままだ。


 ――言葉の切り替えは、馴れるまで意識してかないとなぁ。


「ジャンヌ少佐」

「――は、はい」


 非常に珍しい事だが、この時ジャンヌ・バルバストルは動揺していた。


 意味不明な言葉を発し「女神に見える何か」と自然な会話をする領主に――。

 敬虔な信徒にとって、信仰を揺るがしかねない光景であった。


 事実、ベネディクトゥス星系における戦いの記録は抹消されているのだ。

 屋敷の地下にあった書籍を除いては――。


「こちらの砲撃も止めて下さい。残った商船も戦域から離脱させましょう」


 トールの落ち着いた声を聞きながら、ジャンヌは考えた。


 ――全く意味が分かりませんけど、確かな事は一つだけですわ。


 信仰は揺らいでも、トール・ベルニクへの忠誠は揺るがない。


 ――閣下についてゆきます。


 それどころか、彼女の中で新たに都合の良い仮説が形成されつつある。


 ――仮に本当のラムダ様ならば、ラムダ様と会話をする閣下は……。


 彼女は自身が思い至った結論に、文字通り身体を震わせた。


 ――乱れた領邦、い、いえ――いっそ帝国を律する為、女神の使わされた御子みこに違いありませんわッ!!


 この結論は、彼女の忠誠と信仰のバランスにとっても好都合なのであろう。

 内的矛盾を抱える事なく、これまで通りの人生を歩んでいける。


 そんな妖しいジャンヌの様子に、トールは少しばかり怯えていた。


「じゃ、ジャンヌ少佐、あのうボクが言った事――」


 怯えるトールに構わず、今こそ正式な忠誠の誓いをとジャンヌが考えた時の事だ。


「――緊急?」


 この場にいた、トール、ジャンヌ、ケヴィンに緊急EPR通信が入った。

 つまりは、生死に関わる事態――という事になる。


「タイタンポータルより、新たな敵影確認ッ!繰り返す、タイタンポータルより――」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?