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第38話 突貫、接舷、殺せ、滾(たぎ)れ。

 老将パトリック・ハイデマン大将は、その一報を火星軌道基地の執務室で受けた。


 ――我、敵影確認せり。


 オリヴァー捕縛からの動きは迅速だった。


 火星方面管区艦隊司令長官の任は、副司令長官に移譲される。

 パトリックは、即座に艦隊を出撃準備態勢とし、パトリック自身も基地に入った。


 最高度の警戒態勢下にあったので、平時よりは出撃までの時間は短縮できるだろう。

 とはいえ、彼の中にあるく気持ちは高まっている。


 ――死なせてはならん。


 オリヴァー・ボルツのような奸物かんぶつが、領邦を腐らせていくのを歯痒く見ていた。


 いや、最も歯痒く感じていたのは、何も成し得ぬ己の無力さであったろう。

 彼に出来たのは、怪しげな企みに関わらぬ事と、たまに牽制球のような口を挟む程度であった。


 退役間近いパトリックは、残された日々を忸怩じくじたる思いで過ごしてきたのである。


 だが――、


 領邦最大の危機にあって、全てが変わった。


 ――これを渡さねばならぬ。


 憲兵隊によって、急ぎオリヴァーの自宅から回収させたのだ。

 女帝より下賜かしされた邦笏ほうしゃくが机上にある。


 この短いバトンこそが、ポータル通行権の証しでもあり、領邦軍総司令官のしるしでもあった。


 落日の星系は、遂に邦笏ほうしゃくの相応しい持ち主を得たのである。


 ◇


 パトリックが無事を祈っている頃、邦笏ほうしゃくの正統なる持ち主と目される人物は、深刻な状況にも関わらず秘かにたぎっていた。


 まだ小さいが光学的に認識できる敵艦隊、轟沈する商船の群れ、周囲をほとばしる荷電粒子砲の光跡――。


 トールにとってブリッジ上で見る光景は、命を対価とした至福のひと時であった。

 己の命だけでなく、他者の命まで含まれている点に、彼はまだ思い至っていなかったのだろう。


「と、とりあえず、敵はまだ陣が整っておりませんな」


 この状況を楽しむかのような領主に怯えつつ、ケヴィンは言った。


 ――初陣が、怖くないのか?


「副司令のお陰かもですね」


 敵艦隊からすれば、困惑する状況ではあった。


 未知であるはずのポータル面で奇襲され、多数の商船が質量兵器となって迫って来ている。

 また、駆逐艦十隻を敵進行方向の前面に展開しているのも判断を迷わせていた。


 騎兵たる駆逐艦の役割は、いわゆる決戦兵器である。

 相手の陣形が崩れた部分へと、その機動力を活かし雪崩れ込んでいくのだ。


 残念ながら中央管区艦隊の艦数では決戦兵器足り得ない。

 ならば、いっそ陽動として使うというのがケヴィンの提案であった。


「そこまで長くはたないでしょうが――」


 陽動としたベルニク軍の駆逐艦部隊は、円筒陣の前面にいる艦から斉射を受けている。

 すでに二隻大破との報告が上がって来ていた。


 ともあれ、それら諸条件が重なり、艦首の旋回もせず横腹を向けたままだ。    

 円筒陣外周からの側面砲による迎撃のみであるため、特別支援船団は瓦解を免れていた。


 本来であれば、立体雁行がんこう陣を築き射線を開け、火力の優位を確立すべきであったろう。


「特別支援船団、残艦多数――敵陣営と交差」


 生き残った商船が、円筒陣の中に押し入ったのだ。

 何隻かは質量兵器となり、重力場シールドの生み出す斥力に打ち勝って敵艦を大破させていた。


 後に続くホワイトローズも、よもや旗艦とは思われていないだろうが、多数の砲撃に襲われている。


 機動では回避不可能な距離だ。


 ホワイトローズを覆う重力場シールドで、荷電粒子を反らせるのみである。

 とはいえ、生み出される斥力とて無限では無かった。


「いつまで持つか――」


 ケヴィンが呟いた時の事だ。


「光学映像出ますッ」


 ホワイトローズの遠距離光学センサが、ようやくその全容を捉えた。


「うわ」


 トールも思わず声を上げる。 

 それは、あまりに巨大なふねであった。


 守護するように周囲を並走する艦艇の大きさと比すれば、さながら蟻を統べる女王蟻といった風格がある。


 全長も長いが、最も大きな特徴は、艦の中央が大きな球体になっている点であろう。

 帝国の艦艇とは、設計思想が根本的に異なっていた。


「交差まで、残り十分」


 オペレータの声にジャンヌが反応した。


「接舷用意――では、閣下」

「え、は、はい」

「参りましょう。準備を」


 彼女はトールの手を引く様にして、地下格納庫に向かった。


「お、おい、私も――待ってくれ」


 ケヴィンが慌てて後を追う。


 ここから接舷までは、副艦長が指揮を行う事になる。

 艦長と揚陸部隊隊長が兼任という、ホワイトローズ固有の事情であった。


 いずれにせよ、この先は重力場シールドがつ事を祈り、最短距離を進むほか無いのだ。


 ◇


 すでに百名の揚陸部隊は準備を済ませ待機している。

 決死の表情を浮かべたケヴィン准将の姿もあった。


 ジャンヌは、彼女専用である純白のパワードスーツを、軍服の上から装着していく。

 胸部装甲のセンターフックがキツイらしく、吐息を漏らしながら装着を終えた。


 勿論、トール・ベルニクは、その様子をチラチラとうかがっている――。


「さあ、皆さんの出番ですわ」


 部隊に答礼しながら口を開く。 

 左腕で頭部装甲を抱え、右手にはツヴァイヘンダーを握る。


「本日は閣下が観戦される旨、ご承知おき下さいね」


 壁際に立っていたトールは軽く頭を下げた。

 それに応ずるかのように、部隊全員が身体の向きを変え敬礼をする。


 トールも慌てて答礼をした。

 お世辞にもさまになっているとは言い難いのだが、彼の魅力だと言い張る人間もいる。


「また、ケヴィン准将もゲスト参加されます。討伐艦隊時代の雄姿が楽しみですわ」

「い、いや、私は死に場――」


 そう言いかけて、違うと首を振った。


 生きて償え――。


 そのつもりでトール・ベルニクは、自分を揚陸部隊に参加させようとしているのだ。

 戦いに勝ち、そして戻って裏切りの代償を償わねばならない。


 茨の道である。妻や娘に軽蔑され捨てられるだろう。

 だが、己の心に恥じる必要は無くなる。


 誰に何と言われようとも悔恨を刻みつけ、なおも胸を張って生きよ、と。

 そうして初めて自分は死ぬ資格を得るのだろう。


 ――そうですよね――閣下。


 不退転の決意を秘め、彼は壁際のトールに視線を送った。

 相変わらず呑気そうな顏をしているが、恐らく揚陸部隊の緊張をほぐすためであろう。


「若い頃のようにはいかんだろうが、全力を尽くす」

「頼もしいお言葉ですわ」


 微笑むジャンヌを見ながらトールは考えていた。


 ――このパワードスーツのデザインは再考の余地があるぞ。

 ――ジャンヌ少佐の素晴らしいおっぱいが――ううむ――。


 この場にメイドのマリがいなかったのは、各人にとって幸いだったのかもしれない。


「各員――」


 ジャンヌが頭部装甲を装着する。


「――抜刀ッ!」


 規則正しい金属音と共に、全員がツヴァイヘンダーを柄から抜くと、刃先を上に向け構えた。


「これより敵旗艦に揚陸し、機関室及びブリッジを制圧する」


 優雅な口調は消え、揚陸部隊長らしい裂帛れっぱくの声音となっている。


「蛮族どもは――」


 ――さすが、TPOを弁えてるんだなぁ。

 ――艦隊に指示する時もカッコよかったもんね。


「――ひとり残らずヴァルハラへ叩き込めッ!」

「ベルニクッ!」


 揚陸部隊が剣を掲げ応える。


「貴様らの刃先に朱色しゅいろ以外を残す事、断じてまかりり成らんッ!!」

「ベルニクッ!!」「ベルニクッ!!」


 ――え、じゃ、ジャンヌさん?みなさん?


「殺せ。殺せ。殺せ。殺せ」

「ベルニクッ!!」「ベルニクッ!!」「ベルニクッ!!」「ベルニクッ!!」


 あまりの怖さにトールが気を失いかけたところで、艦内アラートが鳴動し、直後激しい揺れに襲われた。


「突艦指示請う」


 副艦長の声が格納庫に響く。


びょう打てッ!」


 トール以外の全員が、ツヴァイヘンダーで床を打った。


「突艦ッ!!」


 ジャンヌが叫ぶと同時だった。


 先ほどとは比べるべくもなく揺れた後に、トールは瞬間的な無重力を体験する。

 慣性制御に乱れが発生したのだろう。


 他の揚陸部隊は馴れたもので、ツヴァイヘンダーを床の掛け金に差し微動だにしていない。


 ――なるほど、びょうってそういう事なんだ。


「衝角部解放、接舷。30秒以内に揚陸空間を確保」


 衝角で穿うがった穴の周辺を、リカバリージェルが埋めていく。


「――完了しましたッ」

「よし」


 ジャンヌのツヴァイヘンダーが、格納庫奥にあるハチの巣を指し示す。


「皆殺しだ」

「ベルニクッ!!!」


 ジャンヌ・バルバストルは、その生涯を戦士として生きた女である。

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