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第35話 女王様と伝書鳩。

 ――話は少し遡る。


 ちょうど、トールが月面基地へ向かう前日の事だ。


 火星軌道の中心都市、アレス。


 憲兵司令部特務課テルミナ・ニクシー少尉は、高級アパートメントのクローゼットルームにいる。

 ハイエリアに位置し、オリヴァー・ボルツが妻には言えない秘事で使用する場所だ。


 皮肉なことにアパートメントの名義は彼の妻となっている。


「しかし――似合わねぇな」


 姿見に映る自分を見ていると、妙な笑いが湧いてくる。


 テルミナは他人の性的嗜好について寛大だった。

 彼女の短くも数奇な人生において、様々な人間を見て来たせいだろう。


 そんなテルミナでも、会うたびにオリヴァーの嗜好が分からなくなってくる。


 光沢のある黒いエナメル質のワンピースが、彼女の幼い身体を拘束するかのようにまとわっていた。

 ノースリーブのため、肩口から覗く肌色とのコントラストが印象に残る。


 ハイネックから脚部まで続くファスナーは、オリヴァーの要望で鳩尾みぞおちまで落としていた。

 豊満な女性であれば、艶やかな効果をもたらしたのだろうが――。


 仕上げに、人肌であれば刺し貫けそうなピンヒールブーツを履き、少し歩いてみると床が子気味の良い音を鳴らした。


「女王様――なんだよな?」


 憲兵隊とは異なる妙な形状の制帽を、少し斜めに傾けて呟く。


 この姿を、憲兵司令官であるガウス少将あたりが見れば、腹を抱えて笑ったかもしれない。


「チッ」


 とはいえ、四の五の言ってはいられない状況だった。

 未だにオリヴァーの反逆行為について確証が得られていないのだ。


 ――ゴミクズの癖に女以外には慎重だからな。


 テルミナが最初にした事は、オリヴァーのニューロデバイスへのワーム挿入だった。

 多少の痛みを伴うのだが、ドーパミンが放出されるタイミングを狙っている。


 こうして彼のEPR通信は全て傍受可能となった。


 だが、オリヴァーは、EPR通信では決定的な事を決して話さない。

 オソロセア領邦やグノーシス異端船団国とコンタクトを取っている形跡も無かった。


 では、EPR通信を使わずして、どのように情報のやり取りをするのか?

 周囲を洗ったが、連中と繋がる交友関係は出て来ない――。


 行き詰まりかと思われたが、つい先ほど連絡があったのだ。

 オリヴァーと、月面基地司令ケヴィンの会話で気になる名前が出て来たらしい。


 ――明後日は前祝いだ。猊下げいかもいらっしゃる。おっと生誕祭の前祝いだぞ、ククク。


 猊下げいか――つまり教会の大司教である。

 教会のヒエラルキーでは、教皇、枢機卿すうきけいに次ぐ立場だ。


 辺境領邦の将校ごときでは釣り合わない相手だった。


 そんな相手と、このタイミングで前祝い――。

 裏があるとしか考えられない。


「ミーナちゃぁん」


 クローゼットルームの外から甘えた声が響く。


 ――アホが。


「はぁい☆」


 可愛く答えながら、テルミナは手に持ったムチのしなり具合を確かめた。


「今行くお~」


 扉を開けると、目隠しをしたオリヴァーが顔を上気させて待っている。

 戦場には、もう決して出られないであろう体型になり果てた男だ。


「遅いよ。ミーナちゃん。まちくた――」

「黙りなッ!!」


 テルミナは、ムチを激しくしならせる。

 微細な空気振動が伝わったのか、自慢のカイゼル髭が揺れた。


「さあて――」


 自然と笑みが浮かんだ。


「醜い豚を調教する時間だよッ!」


 可愛いミーナより、こちらの方が落ち着く気がするテルミナであった。


 ◇


 こうして――、


 水を得た魚のごとく、テルミナは醜い豚を――いやオリヴァーを調教し終えたのだ。

 満足気に睡眠を取るオリヴァーを残し、音も無くアパートメントを出た。


 付近に待機していた特務課チームの車両に乗り込む。


「よう、女王様」


 着替えもせずに出てきたのだ。


「殺すぞ」


 同僚を軽く小突いてから、ガウスにEPR通信で状況を報告した。

 この事案については、憲兵司令官が直轄する事になっているのだ。


「つーわけで、連中の連絡手段は分かった」

「――だが、逆に困ったな」


 困る理由はテルミナにも理解できる。

 オリヴァーの連絡手段は、司祭と告解室だったのだ。


 司祭から司教、そして大司教へと話が伝わり、大司教はオソロセア領邦へ伝える。

 複数の星系を巡回する大司教であれば、火星ポータルとタウ・セティ星系を頻繁に往来したとて不自然ではない。


 グノーシス異端船団国と交渉しているのはオソロセア領邦なのだろう。

 ポータルを介した遠大な伝言ゲームで、今回の謀略は進められていた事になる。


 EPR通信や周辺人物を洗っても、オソロセア領邦との接点が出て来ないのは当然だったのだ。


「教会も噛んでるってわけだな――」


 テルミナが腕を組んで呟いた。


「それは早計だ。猊下げいか単独か、あるいは一部の関係者だけの可能性が高い」


 グノーシス異端船団国が絡む謀略に、教会全体が関与しているとはさすがに考えられない。


猊下げいかを締め上げるわけにもいかんし――まずは閣下に報告だな」

「ふうん。で、アイツ――トール様は何してんだ?」

「お前は――まったく、ふぅ。明日には月面基地へ移動されるご予定だ。この件は早朝にでも報告しておく」

「そっか」


 地下に秘密を隠し、異端を恐れない男――。


「あとさ、そのゲーカも来る前夜祭ってのに誘われてんだけど」


 オリヴァーが誘ったものの、ケヴィンが断った前夜祭だ。

 女帝陛下生誕の前夜祭とは言っているが――。


「なにいいいッ!なぜ、それを先に言わん」

「言っただろうが、今」

「これは大変だ。遅い時間だが、閣下に起きてもらうほか無さそうだな」


 ◇


 EPR通信で起こされ、まだ眠そうなトールが空間照射モニタに現れた。


「ふわぁ、どうしたんですか?」


 大きな欠伸をしながら、目をゴシゴシと擦っている。

 ようやく視界がはっきりしてきたのだろう、テルミナの映像を見て驚きの声を上げた。


「じょ、女王様ッ!?」

「殺すぞ」

「すみません」


 などというやり取りがあった後、改めてガウスから一連の報告を受ける。


「なるほど。うまく考えましたねぇ」


 聖堂の告解室へ行く事は不自然では無いし、話が漏れる心配も無い。


 また、万が一盗聴されたとしても、証拠としては採用されないのだ。

 告解室での言葉は、司祭による仲介で、女神ラムダに赦免された事になる。


 教会が赦免を否定しない限りはだが――。


「女神ラムダへの冒涜にも等しい行為です」


 ガウスは、信徒として模範的な回答を言った。


「大司教が伝書鳩か。面白いですね、アハハ」


 信徒としてまったく模範的ではない男は笑っている。


 ――大聖堂で妙な演説をしたのも、伝書鳩のついでだったのかな。


 いつの間にか勝利宣言までさせられた日を思い出した。

 トールが無謀な戦いに出征するよう、外堀りを埋める目的もあったのかもしれない。


「それで、彼らは女帝陛下の生誕祭前日に集まるそうなのです」


 オリヴァー・ボルツ、大司教、そして謀略に関与する高官達が一堂に会する。

 女帝陛下生誕の前夜祭という名目らしいが、謀略成功の前夜祭といった趣も感じられた。


「そこに女王様――い、いやテルミナ少尉も招かれている、と」


 使えそうな状況ではあった。

 何より、トールに残されている時間は少ない。


 敵艦隊がタイタンポータルに出現する直前までには、火星軌道の主力軍は抑えておきたい。

 保険とはいえ、敵に増援部隊があった場合を考えると、主力軍というカードは持っておくべきだろう。


「テルミナならば、証拠に出来そうな言質げんちは取れるはずです。ただ――」


 ガウスが言い淀む。


「教会が絡むと面倒だという意味ですね」

「はい」

「確かに、現時点では教会関係者とドタバタするのは嫌ですね」


 現時点で無ければ良いのか、という問いをガウスは飲み込んだ。


「ボクらが欲しいのは、オリヴァー大将だけだしなぁ。う~ん」


 トールには考えがあった。


 教会全体では無いにしろ、その一部がグノーシス異端船団国と手を組んでいるのだ。


 ――となると、アレと関係しているとしか思えないよなぁ。


 ただし、読みが外れた場合は、火星軌道の主力を諦める事になるだろう。

 それどころか、教会全体を敵に回しかねない――。


「テルミナ少尉」

「あんだよ」


 女王、女王とからかわれ、少しばかり機嫌が悪いのかもしれない。


「オリヴァー大将の言質は必ず取って下さい」


 いつになく真剣な眼差しで見詰められ、テルミナは軍服に着替えておけば良かったと後悔する。


「わ、分かってるよ」


 だが、それだけでは十分では無い。


 単なる音声記録では、帝国基本法、ベルニク領邦刑法、軍法、何れに照らしても証拠能力を持たない。


「あと、もうひとつ。大司教にはボクからの伝言をお願いします」


 そう言うと、彼にしては珍しく些か人の悪い表情を浮かべた。

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