巨乳戦記で明かされているベルニク領の敗因は三つある。
1.領主の逃亡
2.軍事力の不足
3.火星軌道基地の主力軍が動かなかった
グノーシス異端船団は、主力不在のベルニク軍をあっさりと殲滅させてしまう。
当然ながら、この動きには全て裏があるのだ。
「た、確かに怪しいとは思いますが――」
眼前に表示された名前を見つめ、ロベニカは僅かに震えた。
文官、武官を問わず、有力者の名前がズラリと並んでいる。
その中には、軍の要職にある人間の名前もあった。
火星方面管区 司令長官 オリヴァー・ボルツ大将
緊急対策会議で、皮肉めいた事を言ったカイゼル髭の男だ。
火星軌道基地とベルニク軍主力は、オリヴァー・ボルツの指揮下にある。
「ええ。絶対的な証拠ではない事はボクも自覚しています」
トール自身は、巨乳戦記によって、火星軌道基地の主力軍が動かなかった事を知っている。
また、オリヴァー・ボルツ自身がどうなるかも分かっていた。
ベルニク軍迎撃部隊が殲滅された後、ようやくオソロセア領邦から援軍が到着する。
オリヴァー・ボルツはこれと協力して、グノーシス異端船団を撃退するのだ。
その功により帝国は、太陽系のオソロセア領邦への併合を認めた。
領主のトールが、反体制派のテロにより既に死亡していた為でもある。
オリヴァー・ボルツは、オソロセア領邦の家臣となり一代爵位を授かる。
そして最後に、オリヴァー・ボルツは併合地総督として送り込まれるのだ。
星間空間を住処とするグノーシス異端船団は、星系に対する野心など持ち合わせてはいない。
オソロセア領邦から多額の報酬を提示され、蛮族としての道化を演じただけであろう。
グノーシス異端船団、オソロセア領邦、オリヴァー・ボルツ一味は裏で手を組んでいる――。
「ですが、この危機を乗り越えるには、信じてもらうほかありません」
グイとトールは身を乗り出した。
素晴らしい艦隊戦を実現するためには、裏切らない協力者が必要である。
領主のアクセス権は絶大で、首席秘書官についての資産状況も調べておいた。
その結果として――、
全てが成功裏に終わった暁には、彼女の報酬を上げる必要がある事は分かった。
彼女の努力と能力、そして何よりも清廉さに。
もちろん、それまで夢から覚める事が無ければだが――。
「そんな――急に――」
トールはロベニカをジッと見つめる。
――何だか、さほど親しくない同級生に告白したような気分だな。
彼の抱いた感想は正しい。
忠誠心と、恋心という違いはあれど、まさに似たようなシチュエーションなのだ。
ロベニカは揺れていた。
思い返せば、今日は一日中この男に揺さぶられ続けている。
逃げたかと思えば戻って来た。
戦うと宣言したのは立派だが、強襲突入艦に乗艦するなど正気の沙汰で無いだろう。
そして今度は裏切り者がいると言い出している。
だが、それは、ロベニカとて奥底で疑って来た事でもあったのだ――。
この時――彼女が「拒」と答えれば、歴史はトール・ベルニクの評価を迷う事は無かっただろう。
だが、ロベニカは選択をした。
不確実な未来を、彼女にとって苦労の絶えぬ未来を。
「ふぅ」
自身を落ち着かせるかのように、彼女は深く息を吐いた。
「信じて――いいんですね」
本心を言えば、信じさせて欲しかった。
人が一夜にして変わるなど有り得るのだろうか?
天下のアホ領主が、まともな領主に――。
いや、ひょっとしたら多少は使える男に――。
「はい。もちろんです。信じて下さい」
あまりに真っすぐな瞳に、ロベニカは少しばかり照れが出て視線を反らした。
なぜ、これほどに邪心が感じられないのか――。
「わ、分かりました」
トール・ベルニクには邪心が無い。
それは当然だったろう。
「――信じます」
この時の彼は、ただひたすらに艦隊戦を見たかったのだから。
◇
ロベニカが、緊急対策会議の中止、そして延期する旨を告げると、幾つか懸念を示す声が上がった。
状況を考えれば、それは当然の反応だろう。
だが――、
「ま、仕方ありませんな。各自の職責を全うせよという閣下のご英断でしょう。はっはっは」
オリヴァー・ボルツ大将が妙に機嫌よく会議室を出て行くと、他の重臣達も諦め顏で後に続く。
本当にこれで良かったのだろうか、という一抹の不安を抱えながらロベニカは執務室に再び戻った。
「な、何?」
部屋の壁面が見えなくなるほどに、空間照射モニタの映像で埋め尽くされていた。
それを見ながら、セバスとマリがトールに何かを説明しているようだ。
「あ、ロベニカさん」
「――会議は中止しましたが――これは?」
「いやぁ」
トールが呑気な声で頭をかいた。
「色々と物忘れをしているようでして――」
「い、色々?」
脳内でアラートが鳴動し始めたロベニカは、セバスとマリに目をやった。
二人が重々しく頷く。
「私の名前も当初は忘れておられたのですぞ――お労しや――」
「これの使い方も」
耳の後ろを触りながらマリが言う。
「そんな、馬鹿な事あるわけが――」
「お二人には屋敷の様子を聞いてたところなんですよ。広すぎてトイレの場所も分からず……ハハ」
ロベニカ・カールセンは、信じると言った事を後悔し始めていた。