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第2話 目覚めれば逃亡中。

 目覚めると座り心地の良いシートに座っていた。


 窓の外では、見慣れない景色が後ろへと流れていく。

 雲ひとつない空に、幾万もの星が瞬いている。


「どうされましたか?坊ちゃま――失礼しました――トール様」


 秋川トオルに話しかけたのは、隣に座っている老人だ。


「え、あ、いや――」


 トールと呼ばれた秋川トオルには、トオルと聞こえているため違和感は無い。


 これ以降、彼の事をトオルと呼ぶ人間は、一人を除き存在しない。

 ゆえに本書においても、トールと記載する事とする。


「――えっと、ここはどこですか?」


 そう言いつつも、トールは車内のあちらこちらを見回している。

 元来が好奇心は旺盛なのだろう。


 不安よりも、見慣れないものへの興味が勝っているようだ。


「ど、どこと申されますと?」


 狼狽えているのは老人の方だった。

 彼からすれば、トールの指示に従っているだけなのだから当然だろう。


「いや、というより――」


 トールが真っすぐに老人を見つめる。


「――どなたですか?」

「――!!」


 いよいよ老人の顔に衝撃が走る。

 額に薄っすらと汗が浮かび、胸ポケットからチーフを取ると素早く拭いた。


「お、お労しい――きっとご心労のせいで――混乱を――」


 額を拭いたチーフを目元に持っていく。

 彼の中で、事態を解釈する術を見付けたようだ。


「家令のセバス・ホッテンハイムで御座います」

「セバスさんですか」


 トールは丁寧に頭を下げた。

 礼儀をわきまえた彼にとっては、初対面の相手に対する当然の所作なのだろう。


「ぼ、坊ちゃま?」


 だが、セバスにとっては衝撃的だったらしく、再び狼狽えるような様子を見せる。

 彼が知るトールは、家令に頭など下げない。


「で、ここはどこですか?」


 何と答えれば良いのか迷う質問ではある。


 車中であり、ハイウェイであり、地球の軌道都市であり、ベルニク領邦の首都であり、オビタル帝国辺境であり――。

 どのレベルで問われているのか分からないのだ。


「バスカヴィ宇宙港に向かっております」


 そこで、行く先を告げる事にした。


 主人の記憶の呼び水となればと期待したのかもしれない。

 それは、セバスの思惑とは異なる形で実現した。


「――バスカヴィ――宇宙港――?」


 彼が愛する物語『巨乳戦記』において太陽系は、うらぶれた辺境に過ぎない。


 序盤で蛮族に殲滅され、以降はあまり出番が無い。

 ひょっとすると、偉大な他の宇宙戦記物と差別化を図りたかったのかもしれない。


 とはいえ、バスカヴィ宇宙港には覚えがあった。


 辺境ベルニク領は、無能なモブ領主が治めている。

 蛮族接近を聞き、戦う前に逃亡しようとしたところを、バスカヴィ宇宙港で反体制派に殺されるのだ。


 その後、タイタン静止軌道上にあった未知のポータルから侵攻した蛮族によってベルニク軍は殲滅される。

 火星軌道基地の主力が動けなかった事もあり――。


 というような事を、女帝ウルドが、宰相から報告を受けるシーンを覚えている。

 女帝ウルドは、自らの生誕祭を敗報で汚された事に激怒したのだ。


「なるほど」


 ようやくトールは合点のいった表情を浮かべる。


 ――夢か。


 この世界の夢を見る事は、最近の彼にとってもはや日常となっていた。

 夢から実際の創作――正確には盗作――にフィードバックする事すらあるのだ。


 ――でも、辺境かぁ。


「ところで、バスカヴィ宇宙港からどこに行くんです?」


 トールとしては帝都に行きたい。

 帝都の様子を、もっともっと肉付けしたかったのだ。


「インフィニティ・モルディブへ――」


 セバスが言いかけところで、ヴォンという音と共に眼前に映像が現れた。


 ――おお、これが空間照射か。


 嬉しくなったトールは、思わず手を叩く。

 夢の中とはいえ、映像として認識できた事に心が湧いたのだ。


「何が――面白いのでしょうか」


 映像に映る胸の豊かな女性は、険しい表情を浮かべている。


「この非常時に、どこに行かれるおつもりで?」

「ロ、ロベニカ殿」

「いやぁ、インフィニティ・モルディブだそうですけど」


 緊張感に欠けた声でトールが答える。


「ほほう」


 首席秘書官ロベニカ・カールセンのこめかみがピクピクと動く。


「グノーシス異端船団の迫る中、領主殿はリゾート地へ行かれると?」

「待たれよ、ロベニカ殿。トール様はご心労が重なり――」

「え、待って――待って下さい。グノーシス異端船団?」


 トールの中で大きく事情が変わったらしい。


「来るんですか?ここに?」

「何と白々しい――異端船団に蹂躙され、多数の領民が死に、私のような美女は奴隷として言語に尽くせぬ――クッ」


 ロベニカは拳を握り瞳を閉じた。


「それは素晴らしいッ!!」

「え?」

「はああ?」

「あ、いや、蹂躙とかの方じゃなくて――」


 トールは慌てた様子で手を振った。


 ――艦隊戦が見れる!!!


 彼にとってリゾート地など何の興味も湧かない。

 リゾート地を舞台にした、水着を出すためだけと思われる閑話休題も記憶にあったが、さほど惹かれなかったのだ。


 水着巨乳 < 軍服巨乳 <= 艦隊戦。


「これは大変です。戻りましょう!戻してください、セバスさんッ!」


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