『まず大前提として。魔術と神術は、基本的に同じものです』
『え……そうなの? マルゼスさん』
『ダメですよ。修行の間は師匠と呼ぶように、といったでしょう。フラムくん』
『くん、って。なんか背中ムズムズす……しますよ、師匠』
『ふふ。よくできました。それじゃあ話を戻して――』
寝台に横たえたフェレシーラへと『体力付与』の術効で自身の活力を注ぎ込みながら、俺は『隠者の塔』にいた頃、師匠から教わったことを思い出していた。
魔術と神術は、同じ術法の系統上にある。
前者には破壊の力やアトマを操る術が数多く存在し、後者は癒しと守りの力に優れる術が多いという差はあれど。
術法そのものを構成する術法式の組み方、操り方に関しては両者は全く同じ手法を用いている。
『いまよりずっとずっと、大昔。人族、竜人族、獣人族、鬼人族、兎人族……こちらはいまはラビーゼと呼ばれていますが。これら五種族の長たちが神となる以前の時代には、術法という技術は細分化されていなかった、と言われています』
『ふぅん、そうなんだ――じゃない。そうなんですね、師匠』
『ええ。そこから術法は、陣や術具の原型となる物を軸に扱う術法と、使い手自身を軸とする二つの流派に別れました。魔術と神術はその後者に類する、というわけです』
『なるほど……だから道具に頼らずに使える魔術と神術は、根っこは同じってことなんですね。ということは……用途によって使う人が偏って、結果教える人もどんどん偏っていって。結果、いつの間にかカテゴリー分けされてしまった、ってとこですか?』
『うんうん、そういうことですね。大変良くできました。優秀ですね、フラムくんは』
『もう。からかわないでくださいよ、マルゼ――師匠』
行使する者たちの都合で、いつの間にか二つの名に分かたれいてしまった術法。
それが魔術と神術。
初めて師匠からその話を教えてもらったとき、俺は内心で「昔の人たちは、なんて無意味なことをしたんだろう」と思った。
思いはしたが……結局俺も『師匠と同じ魔術士を名乗りたい』という理由から、魔術に類する術法ばかり練習していた。
そしていま現在、そんな自分の偏った修行の日々を振り返り、後悔しまくっていた。
「くっそ……同系統だってわかっていたんなら、なんでもっと神術の勉強もしてなかったんだよ……阿呆か、俺は……っ」
不定術としては初めて試みたこともあり、俺が発動させた『体力付与』は、その術効自体どれほうどのものなのか、いまいちわかりづらい代物だった。
これが『熱線』のような攻撃魔術を再現したものであれば、結果は非常に分かり易かっただろう。
しかし癒しの力……特に外傷を塞ぐ『治癒』のように目に見えて効果があるわけでもない、この『体力付与』という術法は、とくに効能がわかりにくい代物だった。
「効果なし、って感じならセレンさんを呼びにいったほうがいいんだろうけど……一応効いてるよな、これ」
アトマを手甲の霊銀盤へと注ぎ込み、術法の効果を持続させつつも……寝台に横たわるフェレシーラの様子を確認する。
診療所を立ち去ろうとして倒れ込んだときの彼女は、真っ青に血の気の引いた顔をしていた。
しかしいまは顔色も良くなっており、呼吸もしっかりとしている。
石床に崩れ落ちそうになった彼女の身体を抱えたときは、息も浅く、ぐったりとしていた。
それからすれば、持ち直した状態だといえるだろう。
「よし……応急処置ぐらいにはなったみたいだな。あとはセレンさんを呼んで任せないとだ」
付け焼刃の神術もどきが、なんとか効果を発揮していた。
フェレシーラが、今すぐどうにかなってしまうという事態だけは、どうにか回避できていたようだった。
「少しここで待っていてくれ。すぐ戻るから」
そのことに安堵しつつ丸椅子から立ち上がろうとすると、不意に抵抗を感じた。
抵抗は、合皮のベストの下側からやってきていた。
「え――」
「まって、ください……」
そのことを理解出来ずにベストの裾、自分の腰の辺りに伸びてきていた白く細い腕をぼけっ眺めていると、弱弱しい、しかし確たる意志に満ちた声がやってきた。
「フェレシーラ……」
「いかないでください、フラム……このままわたしのそばに、いてください……」
すとんと、腰が落ちた。
「わかった。行かない。俺はどこにもいかない」
ふたたび椅子の上から体を前に乗り出して言う。
ベストを握りしめていた少女の右手が糸の切れた人形のように落ちて、とまった。
フェレシーラの手は、まだ冷たかった。
「どこか、痛むところとかあるか?」
問いかけをしつつ、即座に『体力付与』の式構成に移る。
感覚はもう掴めている。
術法式が耐えきれるギリギリの、ありったけのアトマを俺はそこに注ぎ込む。
「だいじょぶ、です……てを、そのまま……」
「わかった。でも胸当てを外すのが先だ。他の防具もだ。いいな?」
「……はい」
一瞬の躊躇いの後に、フェレシーラがこちらの要求に応えてきた。
いつまでも金属製の防具を身につけていては、体も冷えるし呼吸も楽にならない。
術法を維持したまま、俺は作業を進めていく。
はやくフェレシーラを楽にしてやらねばならない。
彼女の手を、すぐにでも握ってやらねばならない。
焦りからか留め金を外す手が震えてしまい、全ての防具を外し終えるのに普段の倍は時間がかかった。
すべての作業を終えると、ほぅ、と息が漏れる音が重なった。
みればフェレシーラが、微かに瞳を開きこちらをみつめてきている。
「ごめん、フェレシーラ。手間取った。苦しくないか?」
「だいじょぶ、です……ありがと、ございま……フラ、ム……」
「無理して喋ろうとすんなって。首、動かしてくれればわかるからさ」
言いながら俺は彼女の手を握る。
わずかながらもその指先は、先ほどまでより温かくおもえた。
しばらくの間、介抱に努める。
そうしながらも、俺は突然、何故フェレシーラが倒れたのか、ということについて思考を巡らせていた。
急性アトマ欠乏症。
術士にとっては、風邪に並ぶほど有名な病の一つだ。
その名の通りにアトマの欠乏からくる症状であり、人体からなんからの原因で多量のアトマが一気に失われた際に発症しやすい傾向にある。
症状としては、貧血からくる眩暈・立ち眩みに、極度の倦怠感、動悸に息切れ、場合によっては頭痛を伴う場合にあるとされる。
これは人のアトマが血液を媒介にして体内を循環していることに起因しており、それが血中から一気に失われることで平時からのバランスが乱れた結果、貧血に至る……という仕組みらしい。
貧血そのものに関しては俺は詳しくないが、この急性アトマ欠乏症に関しては、魔術士を目指していたこともあり、それなり以上の知識がある。
フェレシーラが倒れてからの症状をみても、まずこれに罹患したとみて間違いないだろう。
アトマを急激に失うことで発症する。
彼女の場合、それが先ほど試合場で俺とやり合ったことが原因であることは明白だった。
もっといえば、彼女の放った『光線』に対して、俺が無駄に不定術の『熱線』での撃ち合いを挑んでいなければ、こんな事態には陥っていなかった筈だ。
いまさら今回のこと、どちらが悪かっただのと言うつもりはない。
しかし、アトマとアトマのぶつけ合いという形に持ち込めば、勝機はあると。
そんな考えが俺の頭の片隅になかったかといえば、嘘になる。
「ふぅ……」
気がつくと、大袈裟な溜息が洩れていた。
通常、アトマの回復には休息を要する。
全力疾走でスタミナを使い切ったあとに、体を休めるのが効果的なのと同じだ。
もっといえば、しっかりとした睡眠が効果的だ。
頭の中で俺なりに計算をする。
無論、アトマ欠乏症からの回復についてだ。
当たり前だが、このまま彼女には休み続けてもらうのが効果的ではある。
無理をさせて体調を崩したりすれば、それこそ影人討伐依頼にも支障がでかねない。
だが――
「フェレシーラ。一つ、試したいことがある」
その言葉に、彼女は首を縦にふって応えてきてくれた。
それを確認して、俺は覚悟を決める。
成功させる自信はある。
感覚に関しても『体力付与』を実行し続けたことでコツは掴めている。
条件は違えど、いままで何度となく繰り返してきたことだ。
アトマを失った者への……言い換えれば、アトマを必要とする者への対処法。
「これからアトマを失ったお前の身体に、俺のアトマを注ぎ込む。それで回復して落ち着いたら、セレンさんを呼びにいく」
ホムラに対しても、契約術のありきとはいえ繰り返していたことだ。
「だから、一度任せてくれないか」
それを目の前の少女に伝えると、彼女は繋ぎつづけていた俺の掌を、ぎゅっと握りしめてきた。