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第182話 特訓初日終了

 参った。


「それだけを、っていうけどなぁ」


 不意に通路で足を止めてきたフェレシーラに対して、俺は参ってしまっていた。


「パトリースには三大術法詞以外のことも教えてはあるよ。基礎的な部分をかなり省いたのは確かだけど」


 たったいまフェレシーラが口にしてきた、術法用語。

 その総称を述べつつ、頭の中で現状を整理してゆく。


 構成詞と発動詞、そして増幅詞。

 三大術法詞、または三術詞とも呼ばれるそれは、その名が示す通りに術法を行使する上でそれぞれ重要な役割を担っている。


 構成詞は術法式の構成全般を。

 発動詞は術法自体の発動を。

 そして増幅詞は術法発動後の拡張強化を。

 術者がアトマを糧として詠い捧げることで、可能としているのだ。


 詠唱短縮や無詠唱といった高等技術を扱いにしても、これら三大詞の習得及び習熟は必須と見做されている。

 中には己の才覚、センスのみでやり遂げてしまう者もいるにはいるのだが……

 そうした規格外の化け物とも呼べる存在を例えにしたところで凡人にはなんの参考にもならないので、取り立てて語る意味もない。


「んー……あのさ、フェレシーラ」

「なんですか」 


 やや遠慮がちに声をかけると、夜着用の法衣に身を包んだ少女が少しむくれた表情で応じてきた。

 うん。

 本当に参った。


 一体なぜ参っていたかというと……いまの俺には、彼女がなぜ、先程まで寂しげな面持ちを覗かせてきたのかも、いまどうして憮然となっているのかも、その理由が皆目見当もつかなかったからだ。


 ただ、わかっていたことが一つだけある。


「この籠、入口に出し終わったらさ。あとの話は俺の部屋でやらないか? 外でするには、ちょっと肌寒くなってきたし」


 初夏とはいえ、ミストピア近辺の夜は意外と冷え込む。

 そしていまの俺は、無性にフェレシーラと話がしたかった。

 それもこんな肌寒い場所ではなく、二人で暖を取り互いしっかりと向き合いながら。


 こちらの誘いに、彼女は無言で頷いてきた。





「よーし、ホムラ。今日はここがお前の巣だぞー。毛布三つも使って贅沢なヤツだな、お前もさ」

「ピ? ピィー……ピピッ!?」 


 ぐるぐる巻きにした手持ちの毛布の下に、更に追加で二枚。

 厚手の毛布で床に巨大な巣を拵えてやると、それに気づいたホムラが喜び勇んでダイブしていった。


 ちょっと自分で使うには暑苦しい感じもあったので、ありがたく利用させてもらったが……ちゃんと洗って返しておくので許してください、神殿の皆さん。

 まあ手持ちの毛布を貫通して汚したり、匂いが移ってるようだったら――


「ピィ……?」

「いやだから睨むなって。ほんとお前、そういうとこ無駄に鋭いよな……!」

「フラム」


 いつもの調子でホムラとじゃれていると、後ろからいつもの感じではない呼びかけがやってきた。

 急ぎ俺は振り向く。

 すると寝台の傍らで、フェレシーラが拗ねたような面持ちで立ち尽くしていた。


「や、わるい。先にホムラを寝かしつけておこうと思ってさ」

「べつに、おこってはいません。それも大事なことですし。ただ、今日はセレン様たちと同じ部屋で就寝するよう、お誘いを受けていたので……あまり遅くなっては、その」

「うん、夕食の後にそう言ってたし、セレンとパトリースに無駄に心配させちゃうもんな。なら、手短に済ませるよ」

「……お願い致します」


 微かな逡巡を挟み返されてきた、しかし頷きを伴わぬ要望。

 それに俺は寝台の淵へと腰を下ろして応えると、手招きを付け加えてみせた。


「搬入品、椅子が不足していてさ。どうせ俺一人ならベッドに寝転がればいいかなって、他に回してた。皆集まるところが足りてないのも不味いしさ」 

「な、なるほど。それでテーブルだけが置いてあったのですね……そういうことであれば、失礼します」


 丸テーブルと寝台のみという部屋を見て、一体どこで寛げばいいのかと困り果てていたであろうフェレシーラだったが、こちらの誘いにはすぐに応じてくれた。


 いやまあ、いまはホムラの巣もあるけどさ。

 もうすっかり寝に入ってしまってるあたり、早朝からの場所移動やら、荷物を運ぶ皆の後をついていっての大冒険やらで、きっと疲れ果ててしまっていたんだろう。


「それでいったい、お話したい事とはなんだったのでしょうか」

「あー……それなんだけどさ」


 ちょうどこちらの肩幅分ほどの距離を置いての問いかけに、俺は半ば無意識に頬を掻く。

 いや、不味いなほんとコレ。


 彼女はべつに怒ってない、とは口にしてきたけど……

 どう見てもフェレシーラは何らかの理由でこちらに不満を持っている。


 不満を持たれる。

 それ自体は構わない。

 当然こちらに直すべき点があれば、見直していきたい。


 フェレシーラは、基本的にストレートだ。

 俺に問題があればそれをはっきりと伝えてくるし、改善のための指摘もしてくれる。

 だからこちらは、それを受け止めて自らの行いを振り返っていけばいい。

 それがこれまでの俺とフェレシーラの基本的なやり取りであり、向き合いかただった。


 だが、先ほどからのフェレシーラは少しばかり様子がおかしかった。

 これまで口調と態度が変わりはしても、そういうことはあまりなかった……筈だと思う。


 言いたいことはある。

 だがそれを上手く言えない。

 言いたくない、という気配すらあった。


 「うん。ここはやっぱり、はっきりお前の口から聞いておくことにするよ。うやむやにするのもヤだしな」


 彼女がストレートに来ないのであれば、そこはもうこっちがいくしかないだろう。

 そんな安易な思いつきから俺が口を開いた、その直後――


 フェレシーラの肩が、びくりと跳ね上がった。


「え――」

「し、失礼します……!」


 同時に、白い法衣が遠ざかっていく。

 やらかした。

 それだけが理解できた。


 しかしその内容までは――フェレシーラがなにを考え、なにを思い、離れていくのかまではわからなかった。

 わからないままに、俺は彼女の手を掴んでいた。


「あ……!」


 あがる、悲鳴にも等しい短い少女の声。

 一瞬、ホムラが薄目を開けて、すぐに閉じるのがわかった。

 法衣の裾が寝台の上で跳ねる。


「わるい、フェレシーラ」


 謝罪の言葉を口に昇らせつつも、やめはしない。

 こりゃあ明日の特訓では地獄を見るな、なんて考えが頭の片隅を掠めはしたが、しったことか。


「なんにお前が腹を立てていたのか、俺のどこに不満があったのかはわかなくて、わるいけどさ。続きはちゃんと言わせてくれ。かもしれなんけどさの続きは、このままここで言わせてくれ」


 唐突な感のある、だが確実に彼女のなかで尾を引いていたその言葉を口に、俺は只管に頼み込む。

 間近にあった青い瞳の中では、水晶灯の淡い輝きが微かに映し出されている。


 フェレシーラは無言だった。

 泣きそうな顔をして、ただ押し黙っていた。

 ただこちらの言葉を待ち構えていた。


「俺にもし他人を指導する才能があろうと、パトリースに幾ら自分の姿を重ねていようと」


 それを確認という名の決めつけで済ませきって、後を続ける。


「お前の出番が減るとか、絶対にないぞ。残り三日間、死に物狂いでついていかせてもらうんだからな?」


 大真面目に発したその宣言に、青い瞳が見開かれてきた。

 水晶灯の輝きが、目の前で大きく揺れた。



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