水色の法衣の裾口からレースの刺繍を覗かせながら、術ペンがちょこまかと卓上を踊ってゆく。
「ええと、構成詞に、発動詞に。あとはなんだっけ……あ、ゾウフクシ、増幅詞……っと!」
「パトリース嬢、食事の間にメモを取るのはマナー違反だと私は思うよ」
食堂に配された長方形のテーブルの上座より、紫紺の法衣を纏ったセレンが苦言を呈してきた。
その足元では、一足先に満腹となったホムラが黒い尻尾で円を描いて眠りについている。
「すみません、合間合間の時間で俺が勝手に教えてしまっていて……彼女ちょっといま、術法関係でやる気になっているみたいで」
「あら、一人だけ先生ぶるなんてズルいわね。私だって一緒になって教えていたけど?」
こちらがセレンへと向けて助け船じみた言い訳を送ったところに、正面で黒パンにナイフを入れていた白い法衣の少女が絡んできた。
その袖口からもまた、レースの刺繍が見え隠れしている。
パトリース、フェレシーラ共に寝間着の上から聖伐教団の支給品である法衣を羽織っているいる形だ。
「うん、アドバイス助かったよ。神術関連は俺もそんなに詳しくないし……あ、ラード足りてるか? 薄塗りにして茹で野菜と豚ハムでイケるぞ。野菜に塩が効いてるからな」
「へー……ウインナーとトマトソースもいいけど、そっちも良さそうね。ちょっと組み合わせてみようかしら」
「オッケー、じゃあこっちと具材交換な。あ、セレンさんもどうですか?」
「ふむ。黒パンの酸味には黒胡椒が効いたサラミと夏野菜の組み合わせが鉄板なのだが……折角のお誘いだ。試してみるとしよう」
「
「うん。パトリースくんは、書くか食べるかのどっちかにしなさい。後でまた教えてやるからさ」
主食と副菜を兼ねた、堅焼きの黒パンに具材の肉野菜。
そこに灰汁を丁寧に取り除いた濃いめコンソメスープと、香辛料を練り込んだたっぷりのラード。
特訓初日の晩餐会は、手早く取れるものながらも楽しめるメニューとなっていた。
ちなみにこれも神殿料理長のお手製の品、
どんだけ世話になるの俺。
「ふぅ……ごちそうさまでした、っと」
四人でアーマ神への食後の感謝の祈りを捧げ終えてからの、食後の一服。
セレン持参の香り豊かな紅茶を皆で味わいつつ、俺たちは思い思いに会話を交えていた。
ちなみに今回の紅茶は昼間淹れてもらったものより上質なようで、スッキリとした味わいとフルーティーな香りが飲む者の気持ちを落ち着かせてくれる。
まずはこちらを食後の一杯としていただき、あわせて用意された搾りたての
これまたコクとまろかやかさがグッと増して、まったくの別物、満足感たっぷりの一品に生まれ変わっていた。
おそらくだが、以前シュクサ村で供されたものよりランクは上かもしれない。
こういうのって、品種と原産地、製法や保管方法でガラッと変わってくるものなんだろうな。
「パトリース嬢に術法の資質があるのであれば、それを伸ばしつつ神殿従士として在籍し続ける、か……」
「はい。無理に武技だけを鍛えて他の従士の方々に追随するよりは、そっちの方が向いてると思うんです。あまり術士が神殿に勤めている例はないようですが」
「いや、わかるよ。嬢に白羽根殿との手合わせを観戦させていたのはその為だろう? 手本とするには些かどころではなく難度が高いが……理解できる」
セレンの言葉に、俺は力強い頷きで応じた。
明日以降の特訓内容について軽くフェレシーラとの打ち合わせを終えた後。
俺はパトリースの件について、話を進めていた。
「嬢が神殿に残る為には、術戦士として修業を積むのはありだろうね。しかし話を根底から覆してしまうが……そんな暇が君にあるのかね、フラム君。言っておくが私の教え方には嬢はついて来れぬし、教えるつもりもないよ? ホムラ君にかかりきりなのでね」
「それは……」
「私は彼の案も良いと思います、セレン様」
セレンの筋道だった指摘に窮していると、フェレシーラがティーソーサーの上へと音もなくカップを据えてきた。
「ふむ。というと?」
「教えることで学べるものは多い。私自身、それを感じる日々を送っていますので。フラムの成長のためにも、術法の基本に立ち返りつつ特訓を進めていくという線で……どうでしょうか」
「なるほど。そういうことであれば得心もゆく。いや、余計な口出しだったね、これは」
カチャリとカップとソーサーを打ち鳴らして、セレンが瞼を伏せた。
「そんな、余計だなんて……こっちのスケジュールを気にしてくださってのことですし」
「気にしないことだ。単なる老婆心という奴だからね。それよりも、時間は有効に使った方がいいと思うよ。折角の白羽根殿の気持ちを無下にしない為にもね」
「……はい。ありがとうございます。フェレシーラも、ありがとう」
「いえいえ」
セレンに続けてフェレシーラにも礼を述べると、妙に満足げな微笑みで返された。
まあ、あれだろう。
こんな時間もないときに、要らぬお節介を焼いて仕方のないヤツだと思われたに違いない。
自分でもわかっちゃいるんだけどさ。
……なんて考えていると、フェレシーラが口を動かしてきた。
そこに声は付随していない。
あるのは唇の動きと澄ました面持ちだけだ。
セレンはといえば、何故だかそっぽを向いている。
パトリースに至っては搬入物資の中から見つけ出してきた術法関連の本を開きっぱなしにして、羊皮紙の束へと術ペンを走らせ続けている状態だ。
ええと……あとで説明、しなさい、よ……か?
フェレシーラの口の動きからなんとかその内容を読み取るが、こちらは到底同じ真似は出来ない。
仕方ないのでこくこくと頷きを返してみると、いきなり脛に衝撃がきた。
「いっ……!?」
「それじゃあ今日はこのまま、術法のお勉強会にしましょうか。はい、フラム先生。それじゃ頑張ってね」
いやいやいやいや……!
なんでお前いきなり、人の足蹴ってきてるんだよ!
こっちの意見に賛同してくれてるんじゃなかったのかよっ!
そう声に出して言いたいが、痛さでそれどころじゃない。
向う脛にブーツでガツンとはダメだって、マジで。
ふつーに涙出るぞ。
しかもやり変えそうにも、こっちからだと微妙に届かない気もする。
いや、べつに俺の脚が短いわけじゃないぞ?
フェレシーラのほうが、ちょっと脚がスラッとしていて長いだけの話であり、断じて俺の脚が短いわけではないのだ。
なんてどうでもいいことを考えていると、パトリースが筆を止めてこちらをみつめてきていた。
「え、えと……なにかありましたか? いま、すごくテーブルが揺れたんですけど……」
「なんでもないわよ、パトリース。それよりもフラムが貴女に術法の授業をしてくれるそうだから。聞いてくれると嬉しいわ」
「あっ、はい。すみません、今日聞いたこと、書くのに夢中で……フラムさん、よろしくお願いいたします……!」
「あ、あぁ……任せてくれ、パトリース……!」
フェレシーラからの強引なフリを受けて、俺はパトリースに向けて親指を立てて応えてみせる。
ぶっちゃけ訳が分からない流れだが、ここで断るとまたフェレシーラに脛を蹴り飛ばされかねないであろうことは明白だ。
色々説明不足だった俺が悪いんだろうけどさ……!
即座に治療が飛んでくるわけでなし、
「あ、いや……ええと、術法についてですが。パトリースは自分でも勉強してくれてるんで」
流石にちょっと今度二人きりになったとき、なんか仕返ししてやろう、などと邪念を巡らせつつも――
「わるいけど、基礎的なことはブッ飛ばしていきます。たぶん彼女、天才だと思うので」
俺は頭の中にて、急ぎいま話すべきことを纏めにかかっていた。