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第166話 自由区画へ

 石壁の上を悠々と飛び越えてきたホムラが、その最頂点より翼をたたみ滑り降りてくる。


「うおっとぉ……!」

「ピィ! ピピィ♪ ピピピピピ……ぐる、ぐるぅ」


 こちらを見つけるなり文字通りの滑空で距離を詰めてきたホムラを、俺は両腕でもって歓迎していた。

 既にホムラも結構な体重があるため、吹き飛ばされるかもと一瞬焦ったが……


 真正面から受け止めたというのに、さしたる衝撃もない。

 どうやら風のアトマをコントロールして制動をかけることで、勢いを相殺しているようだ。


 成長期に入ったとはいえ、見違えるほどの育ちぶりだ。

 日々逞しくなってゆく腕の中の友人に驚嘆しつつも、俺はベストの隙間に潜り込もうとしてくる頭を撫でまわした。


「よぉ、ホムラ……! 朝の散歩はどうだった? あ、おま、尻尾で顔はたくのやめろって……めっ、だろ!」


 尻尾のさきっちょの黒い部分でこちらをペシペシと叩いてくるホムラにダメ出しをするが、テンションが高いのはなかなか治まる気配がない。

 最近になってよくやり始めた、ホムラなりの愛情表現だ。


「ふむ。どうやらホムラ君はキミの位置を把握しているようだな」


 そこに、やや低めの女性の声がやってきた。


「壁の向こうからでも、角度を一切変えずに向かっていったところをみるに、だがね」


 続けて、既に開け放たれていた修練場の門をくぐり姿を現してきたのは黒衣の女史。


「セレン・リブルダスタナ魔幻従士……」

「一々やめ給え。セレンでいい」

「はい、セレンさん。朝からホムラの面倒をみてくださり、ありがとうございます」

「なに、気にする必要はないよ。代金は既に白羽根殿から頂戴しているからね」

「いやぁ……それとこれは、やっぱ別かなって」


 こちらが軽く頭をさげると、セレンが微かな笑みをみせてきた。

 微笑みというには、含みのある代物だ。

 しかしそこに陰湿さはなく、どちらかといえばからかうような色が浮かんでいる。


「本当に良かったのかね。私はともかく、パトリース嬢を特訓の場に同席させて」

「はい。ちょっと考えがありまして……フェレシーラには、俺から説明します」 

「ふむ……まあ、時間がないことは君も重々承知しているだろうからね。私がとやかくいうことではなかったな」


 やや歯切れの悪い返答を気にする風もなく、セレンが踵を返して修練場の奥へと進み始めた。

 こちらもそれに倣い、後を追う。


 見習い神殿従士の少女、パトリースを特訓の場に同席させる。

 それには二つの理由があった。


「問題は、どうやってフェレシーラを納得させるかだなぁ」

「む? そこが手付かずなのかね。呆れた話だな」

「そう言われても、昨日はアイツがいきなりどこかにすっ飛んでいったんで。伝える暇がなかったんですよ」


 セレンと言葉を交わしつつ、肩乗りとなったホムラと共に目的の場所を目指す。

 向かうは修練場の外れにある自由区画フリースペース


「まあそこは、パトリース側の事情をしっかりと話した上で、本人希望の見学、ってことでゴリ押してみようかと」

「一人前の神殿従士となるため、かね。例え手本になるようなことが転がっていたとしても、あのお嬢様がそう簡単に拾いにいけるとは思えんが……そこも見物、ということにしておこうか」

「見物って。そんなに気になるのなら、助け船を出してくれてもいいんですよ? 気風のいい出資者パトロンの機嫌を損ねるのは避けたいところでしょ」

「生憎、好き好んで若者の輪に混じってゆく趣味はなくてね。遠慮しておくよ」


 広場の中央から響いてくる神殿従士たちの点呼の声……それが遠ざかってゆく中の、暫しの語らい。

 それが一段落した頃には、俺たちはフェレシーラの待つ『特訓場』へと辿り着いていた。





 四方を囲む、鬱蒼とした背高い木々の群れ。

 方々に生え茂る野草と、あちこちに転がる剥き出しの岩塊。


 広場から歩くこと五分ほどで辿り着いたそこは、俺の予想とはかけ離れた荒れ地だった。


自由区画フリースペースっていうよりは、これって放置区画の間違いなんじゃ……フェレシーラからは整地済みって聞いてたんですけど?」

「その通り整地済みだよ。ただし、修練場としてね。ここが何のために設けられているかを考えれば、すぐにわかることだろう?」

「……野外戦闘に習熟するための場所、ってことですね。つまりわざわざこの地形を用意した、ってわけか。どんだけ訓練に力入れてるんだよ、神殿従士の人たちは」 


 さも当然といった口振りのセレンに、俺はついつい呆れ気味に返してしまう。

 ていうかこの人、思ってたより動ける感じだな。


 先ほどからこちらの前をいくセレンの足取りは、意外なほどにスムーズだ。

 起き抜けに診療所で顔を合わせるなり、水先案内人を買ってでてくれた彼女だが……


 魔獣使いは本業ではないとの言葉は、おそらく謙遜に過ぎないだろう。

 それが彼女の仕草の端々から見てとれた。


 この分だと、この人もここで訓練を――


「おっと。やっぱ先に来てたか」


 余計なことに回しかけた思考を切り替えて、俺は一旦荒れ地の上で立ち止まると、視線の先で待ち構えていた人物へと向けて手をあげてみせた。


 燦燦と降り注ぐ陽光を照り返す、金属製の白い胸甲。

 打撃面の反対側が鋭いピックとなった、片手用の戦鎚ウォーハンマー

 鈍く硬質な光沢を放つ、楕円形の小盾ラウンド・シールド


 そこにいたのは言うまでもない。

 比較的、手入れの行き届いた平地で完全武装でこちらを待ち構えていた、一人の少女……『白羽根神殿従士』フェレシーラ・シェットフレンその人だった。


「おはよう、フェレシーラ。その様子だと随分と待たせちまってたか?」

「遅いですよ」


 おおう。

 今日は同行者がいるのにそっち・・・が来たか。


 なんとなく、戦闘モードだと姉御肌な口調になると思ってたんだけどな。

 そこはやっぱり、気持ち的な部分の影響によるものなのだろうか。


 これまで多くの場面でそうであった、強気で自信たっぷりの彼女と。

 時折顔を覗かせる……いまこの場にも姿を見せている、たおやかで大人しめな彼女と。


 二重人格とまではいかないが、明らかに性格も立ち振る舞いも異なるフェレシーラの在り様に関して、俺は結局は聞けず終いでいた。


「まあ、事情があるのかもだしな。そこは焦らずおいおい、か」

「なにをブツブツと言われているのですか。準備が終わっているのでしたら、すぐにでも始めますよ」

「へーい。ただいま馳せ参じますよ。お姫様……っと」


 フェレシーラの催促に応じる形で、小走りとなり彼女の元へと向かう。


 ていうか、めちゃくちゃ既視感あるな、この状況。

 アレだ、アレ。

 コイツと初めてペアを組んで行動し始めたとき……


 たしか『隠者の森』で影人の捜索に出向く直前に、シュクサ村の屋敷の裏庭に呼び出されたときも、こんな感じだったっけか。

 時間的にはついこの間、まだ一週間かそこらしか経ってない筈なんだけど、なんか随分懐かしい話に思えるな。


「? な、なんですか、そんなに人の顔をジロジロとみられて。私の顔に、なにかおかしいところでもありましたか?」

「あ、いや。そういうわけじゃないんだけどな。いつもどおりに綺麗だし」

「な――っ!?」


 前方からの質問に間髪入れずに返事をすると、後方から「ぶぷっ!」と盛大に息を吹き出す音がやってきた。

 一体なにごとかと思い、俺は背後を振り返る。


 するとそこには若干前屈みとなり、右手で口元を、左手で腹部を押さえるセレンの姿があった。



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