こちらが自らの頬を叩き気持ちを入れ替えるのを目の当たりにして、フェレシーラは呆気にとられている様子だった。
「いま話してた『声』についてだけどさ」
そんな彼女に向けて、俺はある提案を申し出る。
「もう一度似たようなことがあれば、内容もしっかり覚えるようにしておいて……またあらためてお前に話させてもらうからさ。いまはいったん頭の片隅に置いておくに留める、ってことにしないか?」
原因不明どころか、もしかしたら俺の気のせいにすぎないかもしれない。
そんな話に彼女を延々と突き合わせるのは、あまり良い選択とは思えなかった。
勿論、警戒の必要はある。
しかし、フェレシーラは俺に特訓を受けさせるために神殿を訪れているのだ。
そのための手間も払っているし、頭をさげた相手も多いだろう。
パトリースから聞いていた話では、俺がこの診療所に運び込まれてから丸一日は経過している。
いまは窓すらない部屋の中なので、正確は時刻を測ることは難しいが……
神術も併用した治療を受けたとはいえ、今日中に訓練開始、とはいかない筈だ。
それはフェレシーラの態度をみていてもわかる。
そうでなきゃ、のんびりご飯を食べてお喋りなんてしている場合じゃないしな。
「それは……たしかに、その方がいいかもですが」
「自分から相談しておいてなんだけど。優先順位ははっきりさせておくべきだと思う。『声』について対策を練るにしても、また聞こえてきたときか、そうでなければ特訓が終わったあとに余裕があればまた相談、ってことにしてさ」
逡巡する様子をみせてきた少女に、俺は尚も提案を重ねた。
影人の討伐依頼開始までの猶予は五日間。
その内、もう二日は潰れるとなると……残り三日は集中して特訓に臨まないといけないことになる。
ぶっちゃけ、付け焼刃もいいところだが……そこに関しては、俺にも少し考えがあった。
「……わかりました」
こちらの言いたいことを粗方察してくれたのだろう。
フェレシーラが、不承不承といった面持ちながらも首を縦へと振ってきた。
「ですが、少しでもその『声』が聞こえてきたらすぐに私に報せてください。対抗術法をかけて、情報を得られるように試みますので」
「わかった」
その要求に、俺もまた承諾の頷きで返す。
そこに続けて申し訳なさと感謝の気持ちを口にしたくなるが、そんなことを繰り返していては堂々巡りがすぎるというものだ。
そうした想いは、彼女の期待に応えることで返してゆく。
それが本道であり、誠意というものだ。
「それにしても、貴方ほどのアトマの持ち主に干渉可能な術者がいるとなれば。やはり油断は出来ないですね」
「干渉可能って……」
とはいえ、すぐに気持ちを切り替えるのも容易ではなかったのだろう。
フェレシーラの呟きに、俺は軽く応じておくことにした。
「もし『遠見』や『念話』を使ってきた相手がいたとしてもさ。いきなりすぎてとくに抵抗する用意も出来てなかったし……油断もなにもなくないか?」
「なにを言ってるのですか」
不意打ちで術をしかけれれば、成す術もない。
そう思い言葉を返すと、フェレシーラがまたも呆れ顔となってきた。
「標的のアトマが強ければ強いほど、それだけでアトマによる外部からの干渉は難しくなるのは当然ですよ。私が貴方と初めてあったとき、『鈍足化』の術法にわざわざアレンジを加えていたことを、もうお忘れになったのですか?」
「いや、流石にそれは覚えているよ」
白羽根神殿従士、フェレシーラ・シェットフレンとの邂逅。
その瞬間を忘れたことは一度足りとてない。
森を彷徨う俺の前へと、愛馬フレンと共に姿を現し……こちらを『影人』だと断定するや否や、
そしてその後に、やってられるかとばかりに逃げの一手に出たこちらに飛んできた『鈍足化』の術についても、当然覚えている。
「あの、こっちが逃げ出したところに足元に集中的にやってきたヤツだろ? 一応こっちも抵抗するつもりで気合入れてみたけどさ。さすがにあんな使い方されるとも思ってみなくて、物の見事に引っかかってしまったというか……」
「零秒です」
……ん?
「持続時間、零秒。それが私があの『鈍足化』にかけた制限です。この言葉の意味は、おわかりになりますよね?」
ふたたび椅子に腰かけつつ、フェレシーラが言ってきた。
術法の使用における、効果時間の設定。
それは術法の効能を発揮するにあたり非常に重要なポイントであり、同時に術法式の構成、ひいてはそこに注ぎ込むアトマの消費にも影響を及ぼす要素の一つでもある。
例えば術者の周囲に、局所的な猛吹雪を発生させる魔術を行使したとしても……
それが一瞬で収まるものか、はたまた一分間絶え間なく吹き荒れるかでは、周囲に与える影響は天と地ほどの差が生じることとなる。
俺が以前に術法式を手甲で抽出して放った全力の『熱線』にしても、効果時間に関してはほんの数秒しか設定していない。
その分のアトマの消費を……術法式にあてるリソースを、火力と効果範囲に重点的に振り分けていたからだ。
とは言えあのときは、発動された術法の反動に耐えきれずに意識を失っていたっぽいけど。
ともあれ、術法の行使時における『持続時間』の設定が重要であることは変わりはない。
ちなみに使用中の術法の効果の延長は、そこまで難しいものではない。
当然最初から術法式にしっかりと組み込んでおいた方が、アトマの消費効率的には上になるのだが……
例えば『防壁』や『治癒』のように、状況に応じた持続的な使用が求められる術法に関しては、「とりあえずの時間設定」を設けた上で持続させたほうが有効となるケースも多いからだ。
特に『治癒』に関しては、傷の具合に応じてアトマの消費量を犠牲にした回復力の増強のみならず、持続即座を抑えてでも素早く回復させた方がいい状況が多々あるだろう。
内臓にまで達しようという深手に対して、「様子を見て延長しながら、ゆっくりじっくり治します」なんて処置ではお話にならない、というわけだ。
塔で読んだ本の中には、人は多量出血状態となるとそのショックで死に至ることもあるという。
そうなってしまえば、幾ら後から『治癒』を試みようと手遅れとなる。
少し話が逸れてしまったが――
「持続時間を零にして放ってきたあの『鈍足化』は、それだけ効果を高めていた……ってことなのか?」
「そのとおりです。加えていえば、効果範囲も足元のみに絞っていましたので。というか、あの『鈍足化』の術法はですね」
そこまで言って、フェレシーラは言葉を区切りこちらを見つめてくると、
「
大仰な溜息と共に、わりととんでもないことを口にしてきたのだった。