「いや……いやいやいや。ちょっと待ってくれよ、フェレシーラ」
可笑しいだろ、と心の中で付け加えながらも俺は尋ね返す。
「マルゼスさんが森に来たとの話って……それって14年近く前の話だよな? そこに俺が一緒にいたっていうのなら、もう2歳近いわけでさ。流石に、乳飲み子……産まれたばかりの赤ちゃんだったっていうのは、なにかの記憶違いじゃないか?」
そう、必死になって舌を回しつつも……俺は「それなら納得もいく」と考えてしまっていた。
「公都から森に辿り着くまでの道のりには、乳母が同行していました。私の先生が手配して下さった者です」
淡々と発されてきたフェレシーラの言葉が、それをより強固なものへと変えてゆく。
「私も、あの赤子がフラムだったと断定できるわけではありません。一つの可能性として、その子にすぐ不幸があり、新たに迎え入れた子に同じ名をつけたということも、決してありえなくはないですから」
「それは……さすがに俺の年齢が、本当は13歳だっていう方がしっくりこないか?」
自分と同じ名をもった……いや、自分に名を継がせた者の存在を仄めかされて、無意識のうちに不快げに顔が歪むのがわかった。
なにかの記憶違いではと口にしておきながら、結局はそれを否定するしかない。
そのことに、心と体が拒絶反応を示してしまっている。
例え可能性があるにしても、スマートではないのだ。
単純に、俺が15ではないと仮定した方が余程自然なのだ。
フェレシーラが俺の実年齢を疑ってきたことも、納得がいってしまうのだ。
ただ一つ。
ならばどうして、「マルゼスさんが俺に対して、長年嘘をつき続けていたのか」という疑問と戸惑いを除いて、だが。
「あの子がフラムであるとすれば、何故マルゼス様がフラムに……真実を伏せていたのかまではわかりません」
母親代わりであり、尊敬する師でもあった者を嘘つき呼ばわりしては、こちらを傷つけかねないという配慮からだろう。
フェレシーラの物言いはあくまでも静かであり、その響きは哀しみで満たされていた。
先程から続く、一連のやり取り。
それは単純な好奇心から俺の過去を暴き立て、悪戯に心を乱すつもりで行われたものではない。
彼女なりに、覚悟を決めた上での問いかけなのだ。
それを念頭に置き、深く息を吸い込む。
吐き下ろす吐息は、可能な限りゆっくりと。
「……ふぅ」
それだけのことで、目の奥に走っていたズキズキとした痛みが治まってくれていた。
「この際、なんで、どうして、って疑問は一旦置いておこう。マルゼスさんの行動を……判断を憶測するには、情報が足りなすぎるからさ」
「はい。他ならぬフラムがそう仰るのであれば。追及するつもりはありません」
「サンキュ。ちゃんと覚えておくよ、どっちの可能性も。正直いって、まだ話が上手く飲み込めなくって混乱してるけどさ」
「申し訳ありません……」
「いいっていいって。お前のことだからさ。もしかしたら俺が術法式を起動できないことに、関係してるんじゃって思ってくれたんだろ? ありがとうな」
会話の最中、いまにも消え入りそうな表情で瞳を伏せてきた少女の手を手で包み込み、俺は感謝の言葉を口にした。
「その内、こっちもなにか思い出すかもだしさ。いまは俺って実は13歳でした! ってことで良くないか? あ、でもそれだとお前と四つも歳の差があるのか。もう完全に、出来の悪い弟みたいなもんだな」
「フラム」
陽気な口調で捲し立てていると、彼女はその名でこちらを呼んできた。
おそらくは意識して、先ほどからずっと。
「どうして、私を責めないのですか。こんな不躾で心無いことを口にしてくる女を、どうしてフラムは責めてこられないのですか」
「どうして、って……そう言われてもな」
どこか拗ねたようなその物言いには、ついつい苦笑で返してしまう。
きっと師匠との過去に踏み入ったことで、俺が腹を立ててしまうと思っていたのだろう。
「ま、たしかに俺が怒るって思われても仕方ないよな。俺っていま13だからな。まだまだガキだし、お姉ちゃんのいうことも素直に聞けないかもだからな」
「……むぅ」
わりと真剣に思ってみたことを口に昇らせてみると、今度は不満げな声がやってきた。
「さっきから黙って聞いていれば、弟だの、お姉ちゃんだのと好き勝手に……そのような言い方、ちょっと意地悪ですよ、フラム……!」
「あっ、たぁ!? お、おい、手をつねるなって! お前結構、力が――ぁ、あだだだだだだ!? え、マジでい――てぇって、お前なぁ!」
「私の名は、お前ではありませんよっ!」
「わ、わかった! わかったから! フェレシーラ! フェレシーラさーん!」
「……!」
「え、ちょ、なんで右手まで――ギ、ギブ! ギブアップ! おれがわるかった! もう弟とか、お姉ちゃんとか言わないって!」
バンバンと寝台を叩いての完全降伏。
それでようやく、彼女は溜飲を下げてくれた。
まあ、いまのは俺が完全に悪い。
普段と違ってしおらしすぎるフェレシーラを前にして、ついついからかいが過ぎた。
「巡りゆく鼓動、瞬く命のしるべ。癒しの光よ……」
暫しのじゃれあいを終えて、やってきたのは神術の輝き。
「まったく。次はもう、許してあげませんからね」
「いやほんと、わるかったって……あー、やっぱりお前の『治癒』は効くなぁ。マルゼスさんより上手いんじゃないか?」
「調子のいいことを……はい、次は右手です。出してください」
「へーい」
言われるままに白い法衣の袖へと向けて右手を差し出すと、再びの詠唱が場に響く。
さて。
予想外だったフェレシーラの質問に対して、保留という形ではあれ、返答は済んだ。
おそらくではあるが、マルゼスさんは僅かであるにしても俺の年齢を誤魔化している。
自分が15歳なのか、はたまた13歳なのか。
証明する手段は俺にはない。
もしも後者であるなら、この先もう少し身長も……なんて冗談も浮かんでくるぐらいには、気持ちも落ちついてきている。
別に冗談じゃなくてもいいが、いまは真剣な話をしているのだ。
そこは涙を飲んで置いておくしかない。
それよりも、だ。
「ありがとう、フェレシーラ」
「いえ、いまのはこちらの――」
返事の途中で、彼女も気づいたのだろう。
フェレシーラが居ずまいを正して俺の元から離れてゆき……寝台の横に置かれていた椅子へと腰かけて、こちらに向きなおってきた。
「なにか、そちらからもお話があるのでしょうか」
「ん」
どう切り出したものか。
神殿従士の少女に頷きで返ししながらも、俺は思案する。
まあ、細かいことを考えすぎてもここは仕方ないだろう。
ありのままを話す。
それしか道はなさそうだった。
「実は折り入って、フェレシーラさんに相談がありまして……」
「え」
こちらが寝台から身を乗り出して、ぐいと距離を詰めると、フェレシーラが動揺する気配を見せてきた。
そんな彼女の耳元に、俺は尚も唇を近づけて――
「最近、聞こえるんですよ。なんか、ガラの悪いおっさんの声がですね。これってなんか、悪い霊とか、呪いの類ですかね」
ひそひそ声でそう尋ねると、ものすごーく、残念なものを見るような目が返されたきたのだった。