「ピ?」
途切れ途切れでやってきたその声に、ホムラの首があがる。
「あ、わるいホムラ。ちょっとだけ静かに――って、あ、おい!」
「ピー♪」
うおお……しまった、一緒に寝転がっていたせいもあって、完全に油断していた。
ホムラのやつ、飛んでいっちゃったよ。
とはいえこの神殿にいるのは、魔幻従士のセレンや事情を知る従士たちばかりだ。
夢の中の出来事みたいなこともそうそう起こらないだろうし、近くで鳴かれまくるよりは、話声も聞き取りやすいかもだけど……
「それにしても、ちょっと聞き取るには遠いか……部屋の外で話してるかな、これ」
未だ響いてきていた話声は、二つ。
そのどちらもが女性の声だ。
おそらくは話し方のリズムとトーンからして、セレンと……フェレシーラだろう。
「わざわざ遠くで話してるってことは、まあ、理由があるんだろうしな」
意味を成してはくれない話声にそれこそ理由をつけて、俺は寝台から身を起こすことを放棄していた。
ペースオーバー。そして、オーバーワーク。
そんな単語が頭を過ぎる。
次にやってきたのは、このままずっと寝ていたいだとか、ダルいだとか、腹減ったなだとかいう、自堕落かつ当然の想い。
「どうにも甘ちゃん根性が抜けないな、俺ってヤツは」
わかっていた。
わかってはいるのだ。
自分がいま何をすべきか、ということと同時に……自分がなにを求めているのかは、とっくにわかっていた。
身体を丸めて大きめのシーツを抱きしめるようにしていると、自然、意識が外へと向かってゆく。
話声が気になった。
瞼を閉じて、神経を耳だけに集中する。
でも当然その程度の真似で、明確な内容までは――
「こちらのアトマ視では、多少の揺らぎが確認されている。貴方であればはっきりと視えているはずだが?」
「はい。それは私も気になっていました。元々、『隠者の森』を離れた頃から兆候はあったのですが……」
「ふむ。となれば、やはりタイミングとしては被るか。ホムラ君との契約を結び、定期的に外部へのアトマの供給を開始した影響とみるのが妥当だろうね。断定するには情報が不足している感は否めないが……」
「いえ、魔幻従士である貴女の意見を聞けて良かったです。ホムラ共々診ていただき、ありがとうございます」
……え。
なんだこれ。
不意に音量を増した話声に、俺は驚き身を起こす。
起こすが……やはりと言うべきか、病室内に俺以外の人の気配はなかった。
気になり、間仕切りの布にも手を伸ばす。
が、フェレシーラたちの姿は見当たらない。
そろそろと起き上がり全体を確認するも、結果は同じだった。
「二人していきなり、めちゃくちゃデカイ声で話始めたとかか……?」
なんてアホな想像をしていると、既に話声は元の大きさに戻っていた。
今話しているのは、たぶんホムラを窘める内容のものだ。
「駄目よ」とか「いま大事な話をしているから」とか……そんな感じの言葉が、なんとか聞き取れる程度に過ぎない。
セレンに至っては言葉を発してすらいないだろう。意味ありげに笑ってはいるかもだが。
「てか、いまなんの話してたんだ……? 突然すぎて頭に入ってこなかったぞ。なんかフェシーラが色々頼んでたぽいけど……」
ぶつくさと文句を言いつつも、俺は再び寝台の上へと舞い戻る。
多分だけど、もう少しすれば二人とも……少なくとも、フェレシーラはこちらにやってくるだろう。
ていうか、来て欲しい。
無性にフェレシーラの顔を見たい気分だった。
もうずっと、何年もあいつの顔を見ていない気がする……って、逢ったこと自体、ついこの前だっていうのに、なんか滅茶苦茶だな俺。
「はぁ……なんなんだこれ、マジで……頭おかしくなったか、俺。そりゃ元々、余裕のある性格とかじゃないにしてもさ……」
うだうだとした文句ばかりが枕に集まってゆく。
自分でも驚くばかりのネガティブモードだ。
こんな有様を、もし彼女に見られでもしたら、と――
「フラム」
そんなことを考えていたところに、声がやっていた。
おもわずビクンと体が跳ねる。
まるで悪戯を仕出かしたことがばれた小さな子供ように、俺は手にしたシーツに身を隠そうとしていた。
そこに溜息がやってきた。
「よかった……」
安堵の溜息。
フェレシーラが発したその声と吐息に、我知らずのうちに丸めた背中がぐんぐんと伸びていった。
「……フェレシーラ」
「ええ。意識もはっきりとしているようね」
シーツを握りしめたまま恐る恐る振り向けば、そこに彼女がいた。
ゆるくウェーブのかかった亜麻色の髪。
飾り気の少ない、しかし胸元には白羽根を乗せ傾く天秤の金の紋章があしらわれた純白の法衣。
勝気な印象のあるぱっちりとした青い瞳は、今は温かな微笑みと共に嬉しげに細められている。
「あ……あのさ、俺」
「大丈夫。貴方の容態と話したことは、セレン様から伺っているから。もう少し休んでいても大丈夫よ」
「で、でも……これから俺、訓練が」
普段よりもゆっくりとした口調で語りかけてきたフェレシーラに声を返そうとするも、何故だか焦りで上手く声がでない。
「もちろん、それはやっていくけれど」
フェレシーラが、寝台の傍へとやってくる。
視界の片隅には、前にいこうといこうと床を引っ掻くホムラと、その脇にかがみ込んで制するセレンの姿。
ぎしりという木材の軋む共に、反射的に視線が引き戻される。
見れば法衣の少女は、既に寝台の縁に腰を降ろしていた。
「フェレシーラ……」
「ええ」
半ば無意識で漏らしてしまっていたその呼びかけに、瞼を伏せて彼女は応じてきた。
「模擬戦、お疲れ様。試合場の片づけは、噂を聞きつけたミストピア自慢の石工職人が我こそはって感じで集まり始めてるから。安心して任せていればいいわ」
「……うん」
フェレシーラが告げてきた言葉は、殆どが頭に入ってこなかった。
ただその始めの部分だけが、どういうわけだか頭の中でリフレインしている状態だった。
「駄目だったかしら」
「え……ダメって、なにが」
不意にやってきたそんな問いかけに、俺は混乱する。
まだ寝起きなせいで、思考が上手く回せていないのだろうか。
彼女の言わんとすることがまったく察せない。
もどかしさを抱きつつそんなことを考えていると、フェレシーラが小首を傾げてきた。
「貴方が、私とお話するの。もしかして、嫌だったかしらって」
「そ、そんなわけ」
「こら。だーめ。ストップ。停止よ」
予想外の内容に慌てて返事を返そうとすると、区切り区切りにされた制止の言葉と、白い指先がこちらの口元へとやってきた。
その細く小さな指先に、俺はあっさりと動きを封じられてしまう。
声どころか、身じろぎ一つ出来ない始末だ。
しかし不思議なまでに、そのことに対する抵抗も戸惑いもない。
あるのは、総身をじんわりと包み込んでくるような、温かさだけだった。
暫し、無言のまま時が進む。
気づいた時には、セレンはホムラと共にどこかに姿を消していた。