「あー……ごめん、パトリース。わるいけどさ」
寝台の端にうなだれかかる従士見習いの少女に、俺は聞き返す。
返ってくるであろう言葉を予想しつつも、聞かずにはいられなかった。
「いまの部分、少し詳しく聞いていいかな? その、神殿従士を諦めて神官になれってやつ」
「うん……お父様がね。私には術士の才能があるんだから、なにも危険な神殿従士を目指さなくても、ミストピアにはいられるからって……そう言ってカーニン従士長や新官長に、私を移籍させろって命令しているみたいなの……」
まるでこの世の終わりとばかりに沈鬱とした面持ちで、パトリースは答えてきた。
うん。
これってあれだな。
冒険者ギルドでプリエラが言ってたやつだ。
公国では家柄の良い人間が聖伐教団に所属する際、術士としての素養があれば基本的には教会に配属になる、っていうやつ。
その話を聞いたときは、バリバリに神術を使いこなすフェレシーラが神殿従士だったから、かなり驚いたけど……
ミグとイアンニ、そしてハンサとの模擬戦を終えた今なら、その仕組みがよくわかる。
「まあ確かに術士としてやっていけるのなら、わざわざ従士を目指す必要はないよな。……単に教団に所属したいだけなら、だけどさ」
己を落ち着かせる意味も込めて付け加えたその言葉に、少女がピクリと肩を震わせてきた。
ふう、と俺は溜息を吐く。
「神殿従士でないと駄目なんだな、パトリースにとっては」
パトリースが顔をあげる。
その瞳は大きく見開かれており、驚きの色に満ちていた。
「わかるの? フラムには、私の思ってることが」
「ん……ちょっと複雑な気分ではあるにしても、なんとなくわかるかな。まあ俺の場合、現在進行形でなれずじまいの真っ最中なんだけど」
「なれずじまいって……どういうことなの? あなた、自分のこと旅人っていってたけど。好きで色んなところを旅してるわけじゃないの?」
「あ、いや。そういうわけじゃなくてさ……」
語尾を濁したこちらを、パトリースがじっとみつめてきた。
チラリ、と俺は辺りに視線を巡らせる。
相変わらず周囲に人の気配はない。
パトリースはといえば……こちらが話してくるのを待ち構えているようだった。
「ま、仕方ないか。こっちも色々と聞いちゃったし。秘密にしておいてさえもらえれば」
誰に、とまでは言わずに……俺は従士見習いの少女に、これまでの経緯を掻い摘んで話初めていた。
勿論、大事な部分は諸々伏せてだけど。
「ピピィー♪」
嬉しさいっぱいといった鳴き声共に、間仕切りの布が大きく揺らされてきた。
「おっとぉ……っ!」
真っ白な布と布の間を突き抜けて寝台に飛び込んできた友人を、俺は両手で抱きとめていた。
「ピ! ピィ♪ ピピピピピ……♪」
「よお、ホムラ。元気にしてたか? そういやアトマもやれてなかったな……よーしよしよし」
そしてそのまま、大鷲の頭頂部と猫科のお腹を撫でつけてやる。
その様子を隣にいたパトリースが、ぽかんと口を開けて眺めていた。
「――おや」
ぐるぐるという喉鳴りを味わっていると、女性の声がやってきた。
ややかすれ気味の、ゆっくりとした……独特の圧のある声だ。
「随分と勢いよく飛んでいったかとおもえば、主殿がお目ざめだったようだね」
首元までを覆う血の様に赤い長衣。
鈍い金色の刺繍で縁取られた黒い外套と、横長の学者帽。
黒髪黒目、黒縁の眼鏡。
「あなたは……」
ホムラに続いて病室に姿を現した女性へと向けて、俺は誰何の声を投げかけていた。
「これは失礼。もう口がきけるとは思ってもみなくてね。私はセレン・リブルダスタナ。この神殿で医者の真似事をやっている。専門は魔獣種。昨日からは幻獣種もだがね」
「魔獣種に幻獣種っていうと……もしかして、魔幻従士って奴ですか」
「ほう。存外に頭の方もしっかりと回るようだね。成程、あのハンサが煮え湯を――おっと」
言葉の途中、セレンと名乗った女性がパトリースに視線を飛ばして口を噤んできた。
慎重は160㎝に届かないぐらいだろうか。
年齢は不詳。
若くも見えるし、年嵩にも見える。
そんなイメージのある、理知的な面差しの女性だ。
その装いといい、物腰といい……俺の脳裏にとある人物のを想起させてくる。
魔幻従士という推測が当たっていたのは、この神殿に来た時にフェレシーラに教えてもらっていたおかげだ。
聖伐教団所属の魔獣・幻獣使いの呼称とのことで、かなり成り手が少ないらしい。
そんなレアな職業に就いてる人に、こうもあっさりお目にかかれるとは思ってもいなかったが……
そうなると、だ。
「俺が寝込んでいる間、あなたがホムラの世話をしてくれていたんですよね。ありがとうございます」
「うん? ああ、まあそういうことになるか。こちらとしては、貴重なグリフォンの幼体のデータが取れたと喜んでいただけだが。初の個体が変種というのは手放しで喜べる要素ではなかったがね」
くく、と暗い笑い声を言葉尻に滲ませて、セレンが間近に進み出てきた。
整った容貌と女性らしい体つきに反して、随分と男性的な言い回しだ。
若干、
やっぱり、気のせいというには重なる点が多すぎるな、この人。
違ったところで多少恥を掻くだけだし、ここは思い切って聞いてみることにしよう。
「あの……俺の勘違いだったら申し訳ないんですが。一つ、尋ねても良かったでしょうか」
「構わんよ。私としても君個人には興味もある。ホムラ君との関係性含めてだがね」
「あ、ありがとうございます……では、失礼して。お伺いさせてもらいます」
やっぱり似ている。
黒衣の女性の返しに、半ば確信めいたものを感じ取りつつ、
「バーゼルという魔術士と、お知り合いでしょうか」
俺は眼前の魔幻従士に向けてそんな問いかけをぶつけていた。
対してセレンは無表情だ。
ただ、ほんの少し紫がかった瞳だけが、興味深そうにこちらを覗き込んできていた。
バーゼル。
俺の故郷である『隠者の森』に突如姿を現した、生物学者兼・家庭教師を名乗る魔術士。
偶然というにはかなり疑問の残る形で、こちらを助けてきた男の名だが……
これで外していたら、かなり恥ずかしいな俺……!
「根拠は」
「あ、はい」
感情・修飾共に欠落したその反問に、俺は居ずまいを正して応えることにした。
「やっぱり、言い回しと身に付けている服の色あいですね。あとは……ちょっと違うけど、雰囲気も」
「む。そちらが先か……他には?」
こちらの根拠に不満があったのか、セレンは追加の回答を促してきた。
直感が先にきての言葉だったし、それも仕方ないだろう。
間を置かず、俺は答えた。
「魔幻従士っていう職業と、ホムラと俺の関係性を把握していそうなところです。ホムラを救ってもらうために、そのバーゼルという術士に助力していただいたので」
「ふむ。よろしい」
眼鏡の真ん中、ブリッジの部位を左の中指で軽く押し上げて、彼女はそれを頷きの代わりとしてきた。
そういや眼鏡って結構な高級品のはずだよな。
よくみると、細いフレームに細かなアトマ文字が刻まれている辺り、腕利きの職人の手による生活術具ぽい。
それも加味して考えると、かなりの値打ちものかもしれない。
「正解だ、フラム君。如何にもバーゼル・レプカンティは私の師にあたる。もっとも私は、あの人の様に術法は扱えんがね」
「彼と同じ、生物学者が本業というですか?」
「またもや名答だな。この神殿ではその肩書で禄を食んでいる身だ。魔幻従士などと呼ばれたところで、前線に出る気は更々ないからね。その分、医者の真似事を押し付けられて辟易としているわけだが」
……うん。
なんだろう。
自分でもびっくりするぐらいに、勘が冴えまくっていたわけだけど。
このセレンって人、変わり者の臭いがプンプンするな。
胡散臭さは別としても、立ち振る舞い自体は紳士そのものだった師匠のバーゼルと比べて、かなりの皮肉屋っぽいし。
容姿自体は余裕で美人の部類に入るんだろうけど。
一種独特のというか、一言で言えば絡みづらい雰囲気してるもんなぁ。
ぶっちゃけ、師弟揃って苦手な印象バリバリだぞ……!