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第143話 敗北の形

「――あ?」

「っ!?」


 鋭く息を呑む声に続き、なにかが「バタンッ」と床に落ちる音がした。


 薄く平たいものが、堅い床に落ちた……いや、落としてしまった音だ。

 反射的に、首を横へと捻る。


 視界いっぱいに広がっていた灰色の天井が、一気に一面の石床へと入れ替わった。

 見覚えのある、石造りの床。

 霧の街ミストピアでよく見かける、灰色の石材を用いた石床だ。


 続けて、自分が寝台の上に横たわっていたのもわかった。

 それもおそらくは、怪我人・病人用のもの。

 いわゆる病床というやつだ。

 服のほうもそれっぽい綿製の白衣に替えられているあたり、まず間違いないだろう。


 それを確認して、視線を辺りに巡らせる。

 探していた物はすぐに見つかった。


 石床の上に落ちていたのは、白い紙が貼られた板状の下敷き。

 安価でありふれた羊皮紙ではなく、ピンと伸ばされた上等な紙が貼られた木製の下敷きだ。


 それを一人の女性が、前屈みとなって拾い上げた。

 その肩口から淡褐色ライトブラウンの髪がこぼれ落ちる。


「い、いきなりなによ……もう」 


 如何にも驚いた、という風に彼女は口を開いてきた。

 そしてそのままこちらに向き直ると、セミロングの髪を揺らしつつ、コホンと咳払いを一つうってくる。


 白い短めの法衣に身を包んだ、年若い女性だ。

 おそらくは俺とそう変わらない、少女と呼んで差し支えない年頃だろう。


 身長は150㎝あるかなしか。

 ぱっちりとした瞳は艶のある黒で、快活な印象を与えてくる。


「カルテってヤツかな、それって」 

「え、あ……う、うん。そう、ですが……」


 半ば無意識での問いかけに、少女は戸惑いつつも答えてきた。

 その反応をみて、俺は視線を正面……つまりは天井への戻す。


「ふぅ……負けかな、やっぱ」 


 灰色の天井を見上げているも、自然、溜息混じりの独り言がもれてしまっていた。


 ミストピアの神殿にきて、二度目となる目覚めだ。

 最後の方でおかしな声が聞こえたとはいえ、今回は記憶の混乱もない。


 おそらく、だが……


 試合場での最後の一撃にて、俺は多量のアトマを放出した反動に耐えられずに昏倒してしまったのだろう。

 しかしそれで、一体どれぐらい倒れていたのかまではわからない。


 自身の状態を確かめるため、手足に力を入れてみる。

 若干の痺れはありこそすれ、動かすことは出来そうだった。

 目立った外傷もない。

 思考に関しても寝起き直後にしてはクリアだ。


 結構な無茶をしたわりにダメージないあたり、神術による治療が施された後なのだろう。

 痺れに関しては、単純に長く寝台の上に転がっていたからに違いない。


 特に身体面での問題は見当たらない状況だった。

 問題が、他の点にあるのは明白だった。


「あの」 


 纏いつくような気怠さに抗えず瞼を閉じかけたところに、声がやってきた。

 胸元でカルテを抱えていた、少女が発したものだ。


「あなたはフェレシーラ様の……白羽根様の、お弟子様かなにかなのですか?」 

「お弟子様って……ああ、普通に喋っていいよ。そんな大層なもんじゃないからさ。ていうか俺、聖伐教団とは無関係だし」 


 チラリと視線を向けての返答に、少女が一瞬、ムッとした面持ちとなる。

 しかし結局「なら、お言葉に甘えさせてもらうけど」と前置きをしてから、彼女は続けてきた。


「教団の関係者じゃないっていうのなら、なんであなた、いきなりミグたちとやりあってるのよ」

「なんで、って……それが必要だったからかな。いつまでもアイツのお荷物ってわけにもいかないし」

「お荷物って、フェレシーラ様の? イアンニからは、二勝一敗だったって聞いたけど」

「……そっか」


 警戒心を隠そうともしないその物言いにやや辟易としつつも、俺は無意識のうちにまたも溜息を溢してしまっていた。


 目の前の見知らぬ少女に、予想外のタイミングで試合の結果を告げられてしまったからだ。

 一敗の相手は言うまでもない。

 ミストピア神殿の副従士長、二級神殿従士……ハンサ・ランクーガーに決まっている。


 予想がついていたとはいえ、なんだかんだ悔しいものがある。


「パトリースよ」 

「……?」

「パトリース・マグナ・スルス! 私の名前よ! この神殿では――神殿従士、見習いだけど……」


 始めは矢鱈と勢いよく。

 しかし後になるほどゴニョゴニョと自信なさげに、法衣姿の少女が自己紹介を行ってきた。


 いまいち、話の流れがよくわからないが――おそらくはこちらの看病をしてくれていたであろう相手を――ここは無視するわけにもいかないだろう。


「ええと……俺はフラム。旅人のフラムだ。わけあって、しばらくの間この神殿にお世話になる予定だよ」 

「旅人って。ミストピアの住民じゃないの? もしかして、よその国の人間? アーマさまのことも信じてなかったりするの? まさか、亜神教徒とかなの!?」

「あ、いや。それはなんというか――ア、アーマさまのことは、ちゃんと信じてるよ。うん……!」 


 矢継ぎ早に繰り出される質問の雨に、俺は慌てて調子を合わせて答える。


「そ、そっか……そうよね。さすがにそんな人が、参殿を赦される筈ないものね」 


 それでパトリースと名乗った少女は、ようやく落ち着く様子をみせてきた。

 それからまたも「コホン」と咳払いを打つと、深々と頭を下げてくる。


 そして法衣の胸元で人差し指で十字印を結ぶと、再びこちらに目線を合わせてきた。


 一連の反応をみるに、彼女はどうやら筋金入りのアーマ教徒らしい。

 これまであまり熱心な信奉者と出会ってなかった……というか、絡みがなかったからちょっと驚いたけど。


 ここはミストピアの神殿。

 アーマを神と定める聖伐教団の直轄施設なのだから、ここや教会になら敬虔な信徒がわんさかいるのは当然だろう。


 ……そういやフェレシーラって、案外そういうのにうるさくないんだよな。

 本人は朝夕夜のお祈りも欠かしてはいないけど、こっちにそれを強要してきたりしないし。

 あんまりアーマ教徒、ってイメージがなかったな……


 そんなことを思い返していると、パトリースがふたたび口を開いてきた。


「いまのはこちらが失礼だったわ。非礼を詫びさせて頂戴。旅人フラム」

「いや、そこは別にいいけどさ。それよりも、ちょっと確認させてもらっていいかな? ええと……パトリースさん」

「ええ。その代わり、こっちの質問にも答えてもらうけど。それと、私のことは呼び捨てでいいから。同い年だってもうミグもから聞いてるし」

「ん……わかった」


 パトリースの要求に応じるように、俺は寝台の上で上半身を起こしにかかった。

 そうしながらも、軽く周囲を見回しておく。


 部屋の隅に置かれた木製の机に、向い合せにされた丸椅子。

 壁に寄せられた寝台は一つのみ。

 しかしサイズ自体は大きめで、傍には薬棚が配されている。


 天井からは白い布が吊り下げられており、それが部屋を四等分していることが見てとれた。

 間仕切りの布に遮られて、すべてを見ることは叶わない。

 しかしその向こう側もまた、こちらと同じような作りとなっているのだろう。


 小さめの診療所、といった感のある部屋だ。

 そしてそこには今現在、俺とパトリース以外の気配はなかった。


「なあ。さっきまで他にもう一人、誰か……妙にガラのわるい奴がいなかったか?」

「? ガラのわるいって誰のことよ。白羽根様なら、ちょっと前までここにいたけど。ハンサ……副従士長は、ここには来ていないし」

「あ、いや……変なこと聞いてわるかった。どうもまだちょっと、寝惚けてるたみたいだ……」

「ふぅん。ま、いま皆の間じゃあなたの話題で持ち切りだから。なにせウチの三従士に勝ち越しちゃったわけだし。コソコソ覗きに来てる子がいても、おかしくはないものね」

「う――」 


 何気ない風に告げてきたパトリースの言葉に、俺はシーツの上で固まってしまう。


 うーん、参ったな……

 よりにもよって俺の話題で持ち切りときたか。

 まあ、あれだけ派手にやらかせば当然なんだろうけど。

 この分だと、またフェレシーラに迷惑をかけているのは確実だ。


 とはいえ、いつまでもグダグダと考えていたところで仕方がない。

 まずは試合場で巻き起こした被害と、その後の顛末の確認。

 そして必要な謝罪と対応。

 そこからやっていくより他にない。


 そうなると、やはり先に情報が欲しいところだった。

 幸い、というべきか……神殿従士見習いを名乗るパトリースという少女は、結構なおしゃべりのようだ。

 彼女としてもこちらのことを知りたいようだし、話を合わせておくのが得策だろう。


「あー……騒ぎになってたってことはさ。建物の損害とか結構でてたのかな? 俺、途中で気を失ってたから、そこら辺がちょっとわからなくて」

「どの程度って。そりゃあ天井と壁が四分の一ぐらい吹き飛んだんだもの。あの場にいた連中どころか、従士長と一緒に駆けつけてきた神官長まで一緒になって大騒ぎよ」

「お、大騒ぎかときたか……じゃあ、怪我人とかはどうだったんだ? ホムラ――グリフォンの雛とか、試合場にいた皆は無事だったのか?」

「? 怪我人なんて、一人もでてないけど。強いて言うならあなたぐらいのものじゃない?」


 質問を繰り返すこちらに、パトリースはキョトンとしつつも答えを返してくれた。

 彼女の話を聞く限りでは、試合場自体は派手に損壊させてしまったようだ。

 しかし幸いなことに、巻き添えになった者はいなかったらしい。

 十中八九、フェレシーラによるフォローのお陰だ。


 あの時俺が、制御不能となったアトマ光波を無理矢理に上方向に狙いを変えて、試合場に風穴を開けた後……

 彼女が防御系の神術を用いて、飛散した石材から皆を守ってくれたであろうことは、想像に難くない。


「そっか……それなら、良かった」


 いや、良くはないけど。

 良くはないけど……それでも負傷者が一人もでなかったというのは、喜ばしい話だ。


 あの一瞬のやり取りでこちらの意図を察してくれたのは、さすがフェレシーラとしか言いようがない。


「良かったって……なにそれ。妙なことを気にするのね、あなた」 


 安堵の溜息を溢すこちらに、パトリースは何故だか呆れるような表情をみせてきた。


「いやいや。さすがにそりゃ、気になるよ。あんなことになったしさ」 

「ふーん。随分と余裕があるじゃない」


 戦いの最中に我を失っていたとはいえ、自分がやらかしてしまったことだと。

 そう口にしかけたところで、彼女は言ってきた。


「副従士長のアトマ光波にびびって、気を失ったわりには」


 ……は?



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