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第142話 - evil vision -

 不思議な感覚だった。


 激突の瞬間を迎えようというのに、妙にゆっくりと時間が流れている気がする。

 これまで相対したことのない強者との戦いに臨んでいるというのに、心のどこかでそれを楽しんでいる自分がいる。

 ……ハンサという戦士を、まだまだ未熟であると感じている、己がいる。


「おいおい……! ほんと俺、頭打っておかしくなったか……!?」


 右手で握りしめた剣柄が、矢鱈としっくりときている。

 つい先刻までの俺であれば、緊張でガチガチになっていたはずだ。


 こちらが苦笑いしたのが、見えてしまっていたのだろう。

 吹きつけてきていたハンサの敵意が、一層大きく膨れ上がってきた。

 その勢いに比する形で、放たれる光波の力強さが増してゆくことは明白だ。


 空いた左手で右手の甲を覆うと、己が取るべき挙動が頭へと伝ってきた。

 動作を意識するまでもない。

 呼吸を行うのに等しいその感覚は、どこか冷え切ったものにすら思えた。


 ……そうだ。

 俺が知るアトマの斬光は、もっと冷たい銀色の輝きを発していた。


 それと比べれば、眼前で燃えあがる意気は激しさこそあれ、どこか拙い。

 その感覚に、曖昧になっていた記憶が更に歪んでゆく。

 緩慢となった時と相反するように、思考は加速してゆく。

 勝負の中にあり、意識がその外側へとが飛んでゆく。



 戦槌を握りしめた少女。


 燃え盛る杖を携えた魔女。


 あるいは、砕けた棒状のなにかを持つ光輝く人影。



 それらが重なりは消えて、消えては重なる。

 うつつに在り、夢の中の出来事のように繰り返される、幻視ヴィジョン。 


 意識の迷走が見せたかに思えたその事象を前に、俺は抗わず、ただ呼吸を行うことのみに専心していた。


 ぼやけた視界の中にあり、思考は恐ろしいほどに鮮明さを保てている。

 掠めたイメージを、気にする必要はない。

 時間も全くと言ってよいほど、過ぎてはいない。

 そうした現象を、俺は以前にも体験していた。


 術法式を練り上げるその過程。

 己の内にあるアトマを導くために術理の線を引き、不可視の図面を描く。

 起、承……そして決して辿りつけずにいた、結に至るまでに。

 俺は過去幾度となく、時や記憶が曖昧になる感覚に陥る瞬間を、経験していた。


『余人は術法式の展開ばかりに目を向けるものだけど。本当に大切なのは、その構築の在り方よ』


 肩を竦めながら呆れ気味に『そもそもね』と、そこに付け加えて。


『魔術に神術……まあ、陣術だろうと遺失術だろうと。呼び方なんてどうだっていいのだけど』


 俺の師である赤い髪の女性は、落ち込む弟子に声をかけてきた。


『どれだけ理論や技術を積み上げてみたところで。術法なんてものは、術者自身の内面で練り上げる抽象的なイメージとアトマの結合の、その帰結……どこまでいっても、それを他者に伝えるには余りにあやふやな代物だから。素質依存、センス頼りの出たとこ勝負、みたいな部分があるのよねー』 


 ……思い返してみれば、それは彼女なりの慰めの言葉だったのだろう。


『とはいえ、その時間が止まるような感覚っていうのは私にはないものだから……きみの場合、そこを超えちゃえばドーン! って才能が開花するような気もするのよね。よくわかんないから、たぶんだけど』


 レゼノーヴァ公国の英雄。

 救国の勇者。

『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミング。


 彼女は、自身の過去をあまり語りたがらない人だったが…… 

 これまた思い返してみれば、その言動にはどうも問題も多かった気がする。


 曰く、物心ついたときには無数の火を生みだし操ることが出来た。

 曰く、その力で他者を無闇に傷付けぬようにという、両親からの教えを受けていた。

 曰く、術法式の構築は空に絵を描くことに等しく、詠唱は作品に名を与えるための仕上げに過ぎない。

 曰く、自分に師はなく、すべての術法は我流である……だとか。


 なんだろう。

 たぶん彼女は、『物事には向き不向きがある』と言いたかったのだろうけど。


 それを言ったら『人に物を教える』って点では、アンタのほうこそセンス絶無だったんじゃないかって言いたくなってきたぞ……! 


 クッソ思いっきり、どうしようもないほど、いまさらな話だけどさ!


『なんにしても、よ。焦らず、気長にね。フラムくん』 

「……わかってますよ。マルゼスさん」


 いつだか聞いていた彼女の言葉を耳に、俺は密やかに呟く。


 途端、静止していた時間が加速し始めた。

 長剣を振りかぶるハンサの姿へと、意識が逆戻りしてゆく。

 剣を下段に構えて、俺は静かに呼気を取り込みにかかる。


 ハンサに本気のアトマ光波を撃たせて、それを打ち破る。

 それに必要な威力を予測することは出来ない。


 だが、迎撃に失敗すれば今度こそ終わりだろう。

 場外判定は、既に一度受けている。

 吹き飛ばされでもしたら、合わせて一本で終了だ。


 いや……そもそも直撃すれば、その時点で有効打扱いで決着なのだ。

 無事で済むかどうかすら、怪しいときている。


 普通に考えれば、避けるべき一撃だ。

 しかしそれでは意味がない。

 肺に取り込み終えた空気を、腹の底へと移し溜めて。


 俺は勝利への軌跡イメージを、決着へと至る法式を、心の内で描き始めていた。


「護りの盾、阻みの祈り……」 


 高まる重圧の中、試合場に詠唱の声が響き渡る。

 フェレシーラが『防壁』の神術を発動させようとしているのだ。


 おそらくそれは、俺たちの間に割って入るためではない。

 ハンサの放つ渾身のアトマ光波を俺が破り損ねた際に備えて、場外への「流れ弾」を確実に防ぐためだろう。

 逆に言えば、彼女がフォローに入らなければならない程の威力を俺は想定せねばならない。


 気炎を纏ったハンサの剣が打ち下ろされる。

 縦一閃、アトマの光が空を裂く。 

 生み出された衝撃に、周囲の石床が抉れ弾ける。


 眼前に光の帯が迫っていた。

 こちらの背丈を上回ろうかという、エネルギーの塊だ。

 先ほどと同じ方法では、到底相殺しきれない。


 否。

 相殺止まりで終わらせる気なぞ、俺には毛頭なかった。


 それは何故か。

 答えは単純だ。相殺したところで、俺が勝利できるわけではないからだ。

 俺はこの男に、勝利するために戦いを挑んだのだ。


「起きよ、けよ、結実せよ――」


 迫る光波を前に、詠唱の形式を用いて意識を研ぎ澄ます。


 大丈夫だ。

 術法式の構築までに及ばなければ、俺はアトマを操ることが出来る。

 いまはただ純粋に、放つ力に指向性だけを与えてやればいい。


 都合二度、掌よりアトマを解き放った感覚を忘れずに……

 しかしもう半歩だけ、前に踏み出せばいい。


 イメージするのは、両の腕と霊銀の手甲、そして長剣との一体化。

 並びに、己の中より湧き出でる斬撃の型。


 見覚えのある白銀の剣閃を模倣するための……猿真似の一撃へと、俺は取り掛かる。


 石床を滑るようにして、右足が前へと出る。

 それを追う形で、肘から先に右腕が走る。


 剣が、アトマが、怖れを吹き散らす魂の息吹が。

 その全てが連動して、体の内より放たれる。


 剣閃が、打ち倒すべき男を目指して瞬く。


 見様見真似のアトマ光波による切り返し。

 しかしそれは、ハンサの繰り出した一撃を模したものではない。


 彼の技を真似てそれに対抗したところで、力負けするのは目に見えている。

 未熟な技を借りたところで、なんの意味もない。

 どうせ他者から借り受けるのあれば、可能な限り欲張らねば嘘だろう。


 刃のない剣が振り抜かれる。

 手甲を通じて、アトマの光がほとばしる。


 縦一閃の輝きを吹き散らすべくして、横一文字の波濤が解き放たれた。


「ふざけた奴め……!」 


 この展開を予期していたのだろうか。

 こちらに届いてきたハンサの声は、どこか嬉し気な響きを伴っていた。


 光刃が交わる。

 縦と横、真っ向から衝突したアトマの斬撃。

 それが開始円の直上で絡み合い、局所的な旋風を巻き起こす。 


「ヤ、ヤバくないッスかこれ……そ、そうだ、防護用の魔法陣は――うわぷっ!?」

「ぬぅ――ハンサ!」


 横合いからは上官、そして友を案ずる声。

 息をのむ、少女の気配。

 持てるアトマを使い果たし、その場に膝をつく戦士の姿。


 それら全てを塗り潰すイメージで以てして――

 俺は再び剣を腰溜めに構え、更なる横薙ぎの一撃を放ちにかかっていた。


 ガチリと、何処かで何かが噛み合う音があった。

 体は燃えるように熱く、しかし心は冷めた銀のよう。


「見事だ」 


 未だ斬風吹き荒れる視線の先で、ハンサが呟く。


 違う。

 俺が聞きたいのは、そんなものじゃない。

 俺が求めているのは、ただ一つ。


 彼女の、あの凛とした勝利を告げる――


「ピイィイッ!」 

「――!?」 


 空っぽの欲動が解き放たれるその直前、甲高な叫び声が鼓膜を貫いてきた。


「んな……っ!?」 

「ピィ! ピピィ! ピ――ッ!」


 突如やってきたそれに、俺は我へと返る。

 まずい。

 不味い、まずい、マズい……!


 剣柄を握りしめた右手には、これでもかという程のアトマが……俺の全力が籠められてしまっている。


 何故、これほどまでに出力を高めていたのか。

 何故、模擬戦だというのに、行動不能となったハンサにトドメの一撃を見舞おうとしていたのか。

 そんなことを気にしている場合ですらなかった。


 既に不可逆のものとなった、アトマ光波の放出。

 今更抑えつけるには危険すぎる、破壊の力。


「く……ッ!」


 可能な限り辺りに視線を巡らせて、俺は力のぶつけ先を探しにかかり……迷わず、己が体を天へと向けていた。

 強引な制動と捻じりに右の手首が悲鳴をあげるが、そんなことは知ったこっちゃない。 


 光の刃が解き放たれる。

 横一線ではなく、下から上に軌道を変えて。

 当然、その先にあるのは試合場の天井、石造りの外壁だ。


 抑えきれずに疾りゆく、再びの剣閃。

 続けてやってきた虚脱感と共に、俺は無我夢中で叫ぶ。


「フェレシーラ!」   


 彼女なら、きっとわかってくれる。


「頼む!」


 願いと信頼、そしてこれから引き起こしてしまうであろう結末を前に、押し寄せてきた罪悪感とを一纏めにして。


 俺は遠退き始めた意識の中、石壁に阻まれた天に目掛けて、銀の煌めきを叩きつけていた。





「はぁ? おいおい……マジかよ。かーっ! 折角いいとこだったってのに、つっまんねーガキだなぁ、おい! かーっ! これだからガキはよぉ!」

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