「一応言っておく。遠慮はするなよ」
「遠慮? 手加減するなって話か? 俺が、あんたに?」
「そうだ。まだ貴様には術法があるのだろう? ああ……練習用の武器を指定したことは気にするな。こちらも隠し玉は披露した。今更なにが飛び出たところで、お相子というものだ」
「それは……あんたが勝手にやったことだろ!」
気さくな青年を演じてきたハンサの剣を、俺は声を荒げて押し返しにかかる。
当然その反発は、己への不甲斐なさからきたものだ。
言わせておけば、随分と好き勝手に言ってくれる。
そんなに簡単に魔術が使えるのなら、そもそもこんな苦労はしていない。
天賦の才だなどと言ってもいたが、それも気に食わない。
如何に強いアトマを持ち扱えたところで、肝心の術法式を実行出来ないのであれば、さしたる意味もないのだ。
超自然の力を自在に操り、神秘奇跡の域へと足を踏み入れる――そうした魔術の御業には程遠い、力技だ。
……まあ、接近戦での選択肢が増えたのは、ありがたいと言えばありがたいけど。
「ふむ。気乗りはせん、ということか。ならば……その気にさせるまでだ!」
それまでの鍔迫り合いから一転、ハンサが右手で剣を引き、それと入れ替わる形で左の裏拳を見舞ってきた。
「ぅお、っとぉ!」
こちらはそれを、前のめりになりかけていた上体を無理矢理後方へと逸らすことで、なんとか躱しきる。
自身が想定していたよりも速く、勢いのある――いや、勢いを殺しきれない動きだ。
一瞬、俺は躊躇う。
しかしそれを押しのけて、己の中の何かが「ゆけ」と命じてきていた。
「――っ!」
その声に、反り返りかけていた上体が後ろへと跳ねる。
つられるように、両脚が地を蹴る。
右腕が無意識のうちに動いて、長剣を肩に担ぐ。
全身が、後方へと跳ね飛ぶ。
打撃を回避した勢いに抗わず、後方への宙返りを打つ。
衝動に任せたその一連の動きの最中、俺の体の奥底から、再び湧き上がってくる感覚があった。
「ほう……!」
体を毬のように畳み込み、空中での一回転を果たした俺の耳に、驚嘆の声が届いてくる。
それを追うようにしてやってきた甲冑の擦り合わさる音を、鼓膜が捉える。
ハンサが追撃の体勢に移行している。
手足だけでなく、己の聴力も鋭敏に機能していることがわかった。
おそらくは、それ以外の力も。
肉体が自在に動く。
意のままに動かせる。
これまではなんとなく無意識に、漫然と行ってきたものとは明らかに異なるその手応えが。
強烈な生への実感が、思考を越えて俺の体を衝き動かしていた。
空を裂き、剣が横薙ぎに振るわれてくる。
宙にあった俺の、無防備な体へと目掛けてだ。
目で捉えていたわけではない。
ハンサの放つ気迫とアトマの流れを、臨戦状態となった俺の肌が知覚してのことだ。
喰らえばただでは済まない一撃に対して、俺の体は宙にあるままだ。
誰の目にも明らかな直撃コース。
再びの窮地。
そこに、声が飛んできた。
「フラム!」
フェレシーラだ。
堪えきれず、といった感のある叫び声に応じるようにして……俺は自由にしていた左手へと全神経を集中させて、
「ハッ!」
解放の気勢と共に、閃光が瞬く。
光の波動が、宙で炸裂する。
横手に突き出した
「ぐ――っ!」
まるで左手側から見えない何か押し飛ばされるようにして、体が右方向へと弾ける。
「なにっ……!?」
驚愕するハンサの声に、斬風が続く。
ざまぁみろ。
見事なまでの空振りだ。ざまぁみろ。二度続けての取り逃しだ。ざまぁみろ……!
そんな子供っぽい達成感に浸りながらも、俺は空中で身を捻る。
素手でのアトマ光波を撃ち出した際に生じる反動を利用した、強引極まりない回避行動。
それに伴い、こちらの体は見事に試合場を跳ね飛んでしまっている。
着地の必要があった。
それも、驚くハンサの隙に付け込めるだけの、完璧な着地の必要が。
眼を動かして、可能な限りの情報を集める。
己より見て左側、やや下方向にて。
剣を振り切った男の姿が、こちらの視界に映り込んでいた。
それで自身の体が、想定していたよりも高所にあることも把握出来た。
縦方向に3m、横方向に10m。
位置関係はそんなところか。
想定していたよりも、相手と離れてしまってはいたが……それならそれで、利用もできる!
「ハンサ・ランクーガー!」
来たる着地の瞬間に備えつつ、俺はその名を叫ぶ。
そこにハンサが向き直ってくる。
重量のある甲冑を纏っていることが仇となり、一瞬では削りきれない距離だ。
てか、ほんとに勢いありすぎたな!
光波の扱いに不慣れなのもあり、勢いあまって場外に飛び出してしまうところだった。
というか、角度がもうちょいズレてたらヤバかった。
下手すりゃ壁に激突して自滅だったな、これ……!
しかし今回は、そんな派手な動きが功を奏した形だ。
予想外の動きをとったこちらに対して、ハンサも即座に対応出来ずにいる。
再び詰め寄り、積極的に攻めかかるべきか。
それとも一旦は様子を伺い、動きを見切ることを優先するべきか。
中途半端に持ち上げられた剣先が、彼の迷いを如実に伝えてきていた。
「
そんなハンサの思考を、俺は誘導しにかかる。
わざわざ博打じみた動きで意表を突きにかかったのは、そのためだ。
必死に攻撃を避け続けたところで、相手は止まってもくれない。むしろ調子づくだけだ。
だからまずは、守り一辺倒の流れを断ち切る。
だが、如何に予測不能な回避をしてみせたところで、それだけでは足りない。
ハンサをこちらの思惑に乗せるには……彼のプライドを、大いに逆撫でする必要があった。
「もう一度、撃ってこい!」
ハンサが口にしていた言葉を借りての、挑戦状。
所謂ところの、意趣返し。
「あんたの奥の手、アトマ光波とやらを……今度こそ、完璧に破ってみせる!」
その宣言と共に、俺は石床への着地を果たす。
再び地を踏みしめた両の爪先が、肩幅よりも広いスタンスを取り、次なる激突の瞬間に備える。
見ればハンサは、無言で剣を構えていた。
こちらを真っ向に据えての、正眼の構え。
屈強なその体から、激昂を迎えた戦士の気迫が立ち昇る。
技に完璧などない。
完成などない。
優れた戦士であるハンサは、それを知っている。
故に彼には、積み重ねた技への誇りと意地、
それをぽっと出のガキが、完璧に破ってみせると言い放ってきたのだ。
やれるものなら、やってみせろと。
迷いを捨てた剣先が、その意思を示してきた。
「はは……っ!」
来た。
乗ってきた。
こちらの挑発に、乗って来てくれた。
ありがたい。寒気がする。
初夏の室内だというのに、刺すような敵意に肌が泡だっている。
だが、それもこれもすべては己が招いた事態だ。
今更尻尾をまいて逃げ出すわけにもいかない。
次こそ、本気の一撃がくる。
術士がその一念を賭した詠唱をもって、術法式を練り上げるように。
戦士であるハンサが最大限の力をもって、アトマの波動を――魂の輝きを、真正面から叩きつけにくるのだ。
……もしかしたら、このアトマ光波というものを昇華させてゆけば、『浄化』の域にまで届くのではなかろうか。
不意に脳裏を掠めたそんな推測に、戦槌を携えた白羽根従士の後ろ姿が連なり浮かぶ。
「いやいや……こんなときだってのに、なに考えてるんだよ俺は……!」
我ながら、迫る無形の脅威を前にして突飛すぎる連想だ。
集中力を欠いているのかと、疑いもするが……
それにしては、いやに気分が落ち着いていた。