「くっ……っ!」
縦、横、斜め。
矢継ぎ早に繰り出されるハンサの斬撃を、俺は寸でのところで凌いでゆく。
今度は後ろに下がらない、などと言っている余裕はない。
受け、逸らし、捻り、飛び退き……
持てる防御の手段を総動員して、致命打となりうる一撃を避け続ける。
何合、こちらは刃を打ち鳴らし。
何遍、あちらに前進を許しただろうか。
瞬く間の内に、俺は試合場の外周ぎりぎりにまで……場外間際にまで、追い詰められていた。
「さて、大詰めだな。彼女の言葉を借りるわけではないが……自分がどうやって倒されたか、理解出来たか?」
「結構な地獄耳してるみたいですけどね……! わざわざやり返す機会を与えてくれてるだなんて、随分と親切だな……! ミグとイアンニを負かされて、やる気になっていたわりにはさ!」
「――ほぉ」
挑発の意図を込めた返答に、ハンサの口元が楽し気に吊り上がる。
剣柄を握りしめる掌に、野太い血管が浮き出るのがみてとれた。
来る。
張り詰めた空気を伝うようにして、緊張が背筋を駆け周ってゆく。
だがしかし、それを圧して俺の脳裏に到来していたのは、強烈な
ハンサが右足を踏み込ませてくる。
その身に纏った重厚な甲冑が、こちらの視界に迫り広がってくる。
「せあっ!」
裂帛の気合を伴う、右の踏み込み斬り。
それまでとはリーチとタイミングの異なる強振だ。
受け弾き、流し逸らしを狙う余裕はない。
左右に避けては、更なる追撃が飛んでくる。
本来、片手でも両手でも扱えるバスタードソードを得物としているからだろう。
ハンサは利き腕を入れ替えての攻守に秀でていた。
握りの短い長剣であっても、その技術は健在だ。
ゆえに本気となったハンサに対して、その場凌ぎの回避行動は単なる悪手、泥沼への一歩となりかねない。
スピードとセンスに秀でたミグ。
パワーとタフネスに恵まれたイアンニ。
これまで戦った二人の従士からは、俺の目にも優れた戦士としての資質がありありと見てとれた。
己が長所を武器に戦う。
強みを活かして押し通す。
如何にそれを敵にぶつけるかを主眼に置いた、苛烈な攻防に徹してくる。
そんな竹を割ったような戦いぶりだった。
しかし、ハンサは違う。
瞬間的にはミグに迫ろうかというスピードを持ちながらも。
ここぞの時にはイアンニに匹敵するパワーを発揮しながらも。
決してそれに頼りきってはこない。
培った技術で敵を追い込み、積み上げた経験で標的の不得手とする攻めを展開してゆく。
試合巧者といえば、一言で済むのかもしれない。
堅実で隙がないといえば、的確なのかもしれない。
練兵場で初めて見たときのイメージ通りといえば、その通りだ。
だが実際にこうして相対してみると、それが自分の勘違いであると理解出来た。
理解せざるを得なかった。
「どうした、また下がるばかりか!」
「……っ」
俺が跳び退いたとみるや、ハンサが追い込んでくる。
安い挑発といえばそれまでだが、こちらも生きた人間だ。
理解出来てしまうからには、耳に入る言葉にはどうしても反応しそうになる。
ハンサはそれをわかっている。
使えるものは、なんであろうと利用する。
それは何故か。
答えは至極単純。
敵を斬るためだ。
斃すためだ。
勝つためだ。
「てかいい加減、思い出してきたぞ……この流れっ……!」
それはこちらが一度剣の構えを解き退いた、その直後のこと。
未だに不明瞭であった俺の記憶が、一気に蘇り始めていた。
それは言うまでもない、こちらが気絶に追い込まれた原因、俺がハンサに一本を奪われた瞬間の記憶だ。
「くうっ……!」
押し寄せる記憶の波に戸惑う暇もなく、喉奥から呻き声がもれる。
気がつけば、場外間際に追い込まれてしまっている。
可能な限りサイドステップも織り交ぜつつ、極力後退を拒んでいたはずなのに……あれよあれよという間に、このザマだ。
そしてこの展開は、蘇ってきた記憶と重なるものがある。
それは、ハンサによって意図的に生み出された『状況の再現』だった。
「逃がさん!」
ハンサの全身に緊張が漲る。
副従士長の纏った気合が剣の刀身から立ち昇り、膨張してゆく。
追い込まれた獲物へと、長剣が伸び疾る。
横一閃の斬撃を、俺は半ば無意識で後ろに跳んで躱す。
ハンサの剣が、渾身の力をもって振り抜かれる。
左から右に、刃のない刀身が空を斬る。
躱した。
躱しきった。
これでもかというほどの、大振りの一撃だ。
如何なハンサといえども、確実に反撃を叩き込める。
取れる。
この男から、嘗てフェレシーラの指南を受けたという男から、一本をもぎ取れる。
散々煽ってきたお返しを、喰らわせてやれる。
それは俺が……無様にも彼女の前で地に転がされる寸前に、思ったことだった。
場外を示す、白線ギリギリに留まる回避。
それはハンサの手により、巧妙に残された空間だった。
再びの誘惑に、偽りの勝利への誘いに。
俺は必死で抗う。
自由となっていた腕が、己の意思に反して逆襲のために持ち上がってゆく。
そこに突き見舞えば、鮮やかな一本となるだろう。
あのアルトの美声を、凛とした少女の声を聴けるだろう。
そんな欲求を嘲笑うかのようにして、追撃が撃ち込まれてきた。
「――っ!」
続けて放たれてはこないはずの一撃。
それが俺の眼前へと迫っていた。
白く輝く、横薙ぎの波濤。
剣撃の軌跡をなぞるようにして飛来する、
「こ、んぬのぉ――!」
俺は隠し留めていた左手を突き上げて、それを迎撃にかかっていた。
「ぐっ!」
「ぬ!?」
手甲を通して伝わる衝撃に思わず後退しかけるが、それだけは出来ない。
ハンサが動揺する気配には、思わず口元が歪んでしまう。
そのまま俺は、腕に力を籠める。
力と力のぶつかり合い。
だが、負けるつもりは更々ない。
いや――そもそもこの攻防に関してのみならば、俺が負けるはずはなかった。
霊銀の手甲に力が集まってゆく。
籠めるべき力を違えず、俺は左拳を突き上げていた。
パンッ! という、なにかが弾ける音が、試合場に響き渡る。
それと同時に、こちらの喉首目掛けて押し寄せていた力の波濤は霧散していた。
「はは……っ!」
続けて俺は己の頬が緩むのを感じながら、右に向かって駆けだす。
ハンサへの反撃の機会は、既に失している。
ならば当然、場外判定だけでも避けておくしかない。
「――貴様」
ハンサはこちらを追ってはこなかった。
「アトマ光波の破り方を知っていたか」
「……なるほど、アトマ光波っていうんだな。納得だ」
代わりに彼は、言葉をぶつけにきていた。
「見たところ、剣筋に沿わせてアトマを放出する
「その言い草、名前を聞くのも初めてというわけか? ふざけた奴もいたものだ」
「たしかに、名前だけは初めてだな。でもまあ、一度は見せた攻撃だろ? なら、対策ぐらい考えるさ」
ハンサが口にしてきた『アトマ光波』という言葉。
「それに呼び名どおりに、アトマを利用している技だって言うんならさ」
その名が示すとおりに、それは人が備え纏う魂の力――
術法のように構成式を用いて複雑な事象を呼び起こすことは出来ないが、代わりにアトマを放つ準備さえ出来ていれば、物理攻撃との併用も可能。
直前の攻撃に明らかな溜めが見受けられたことを鑑みるに、連発は難しいのかもしれない。
それを俺は、湧き上がってきた記憶を頼りに左手で迎撃したのだ。
一度は直撃を受けて、吹き飛ばされた技だ。
俺の体がそう重くないとはいえ、それなり以上の威力を持つと想定される技だったが……
「幾らなんでも、そこで負けてやるわけにはいかないからな。アトマにはアトマで対抗だ。腕力勝負なら、そっちが負けられないようにな」
「そうか。その口振り、ぶっつけ本番でのアトマの強度と制御力……本業は術士というわけか」
「あ、いや……すんません、その辺りはちょっと、ノーコメントでお願いします……」
調子にのって痛いところを突かれそうになり、俺は話をそこで終わらせにかかった。