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第138話 状況再現

「なん、だ……これ……」 


 それは、巨大な穴だった。

 地面にぽっかりと開いた真っ暗な穴。

 一筋の光も届かぬ、無明の闇そのものといった大穴だ。


 脳裏を掠めるその記憶を、俺は知らず知らず、深く掘り進めようとして――


「あ……づっ!?」 


 なんの前触れもなく、頭の中を鋭い痛みが突き抜けてきた。


「……っ!」


 それを見たフェレシーラが一瞬、狼狽えた様子を見せてくる。


 彼女からすれば、俺の反応はハンサから受けた傷によるものだとしか思えなかったのだろう。


「……繰り返しますが、『治癒』が必要なようであれば言ってください」 

「ああ……いまのは違う。大丈夫だ」 


 平静な口振りでの申し出に、俺は手をひらひらと左右に動かしてみせた。

 そうした理由は単純だ。

 試合中の、治療行為……『治癒』の神術を受けた時点で、こちらが敗北となってしまうルールになっていたからだ。


「そろそろ休憩は終わりか?」


 眼底から頭蓋の裏側にかけて走る、突き刺すような痛みに顔を顰めていると、そこに声がやってきた。

 言うまでもなく、ハンサのものだ。

 彼は既に腕組みを解き、右手にぶら下げるようにして剣を携えていた。


「すみません、お待たせしてしまって……なんかこれ、前にも言った気がしますね。はは……」


 謝罪の言葉と共に、俺は開始円を目指す。

 我ながら緊張感に欠けた、これから戦いに臨む者とは思えない体たらくだ。


 正直いって、不味い状態かもしれなかった。

 売り言葉に買い言葉的なノリで、フェレシーラには意地を張ってしまったが……

 記憶の欠落もだが、それ以上に気持ちが乗っていない感じが否めない。


 これではまた、わけもわからない内に打ちのめされるだけではなかろうかと。


「――」 


 そんなことを考えて円の中に足を踏み入れると、ハンサと視線がかち合った。

 獲物を見定める、戦士の眼差し。

 歴戦の猛者の風格を備えた、鋭い眼光だ。


 でも……何故だろうか。

 そのハンサの面持ちに、何事かを訝しむような色がある。

 そんな風に、俺は感じていた。


「あの……なにか、俺の顔についてますか? あ、寝転がっていたから、汚れひどかったかな……」 

「いや、いい。それよりも再開で構わんのか?」 


 その言葉に、俺は頷きで返す。

 頭で考えてやっていたわけではない。

 如何にも不安定な状態で、軽々しいにも程がある判断なのだろうが……


 それでも俺は、迷わず首を縦に振っていた。

 この戦いは、俺に必要なものだ。


 いまの俺が成すべきなのは……フェレシーラ・シェットフレンの求めに、応じてみせることなのだと。

 ごちゃ混ぜになった記憶と想いの中にあっても、それだけは確信を持って言えたからだ。


 それを頭の芯に据えて、もう一度だけ深く呼吸を行う。

 銀の手甲の中にある、剣柄の感触に己が使命を這わせてゆく。


 術法式の構築と展開にも似た、目的と手段の再確認。

 それを完遂することで、思考のすべてがクリアになってゆく。


「よし……始めてくれ、フェレシーラ」


 長剣を正眼に構えて、俺は法衣姿の少女の名を口に戦いを再開した。 


「剣、か……」


 長剣という武器を手にしたのは、師匠との稽古が最後だったと記憶している。

 魔術士を目指していた俺に、何故彼女が武具の扱いを教え込もうとしていたのか。

 それは今もわからない。


 初めて手にした剣は、三年前。

 いま手にしている練習用のものとさして変わらぬ、刃渡りの70㎝ほどの代物だった。

 師匠曰く、隠者の塔の宝物庫に納められていたという、名も無き魔法剣。

 鶺鴒せきれいの翼を象った剣の鍔を前にしたとき、俺の胸は激しい昂りに包まれていた。


 そしていざ実際に、その剣を手にしたときに。

 俺は思った。

 長剣というものは、結構……いや、かなり重い代物なのだと。


「羨ましいことだな」


 さして感情の籠らぬ声と共に、眼前にて剣閃が翻る。

 袈裟懸けに繰り出されたその一撃を、俺は長剣の腹で受け返す。

 インパクトの瞬間に身体を後ろに引き、そのまま相手の体勢を崩しにかかる。


 だがしかし、目の前の相手――ハンサ・ランクーガーは、そんな子供騙しの技に引っかかってくれる男ではない。

 彼は牽制の一撃が凌がれたと見るや否や、こちらと同じく体を入れ替えて距離を保ってきた。


「なんの話ですか。試合の最中だってのに」

「勿論、彼女のことに決まっている。我らが聖伐教団の擁する、聖女さまのな」


 当然だと言わんばかりに、ハンサが先手をとってくる。

 こちらの位置は、試合場のど真ん中。

 今度は軽率に、後ろに下がるわけにはいかない。

 打ち降ろされてくる剣を剣腹で受け流し、俺自身は身を捻るに留めてやり過ごす。


 行き場を失った剣先が弧を描き、石畳を掠めて火花を散らす。

 練習用に刃の潰された代物とはいえ、ハンサほどの戦士が用いたのであれば、その威力は十二分の域にある。

 まともに受ければ、生中な防具では弾くことも出来ない。受けきる技術もない。


 となれば、俺に残された対処法は限られている。


 攻撃そのものを、なんとか避けきるか。

 それとも、同じく剣を用いて受け弾くか。

 はたまた、その合わせ技でやり過ごすか。


 現状では、後者二つのほうが選択としてはマシな結果になっていた。

 連携前提で繰り出されるハンサの攻撃を、無理に避けても位置取りの面で追い込まれがち、ということもあったが……


 得物である、練習用の長剣。

 これが思っていた以上に、守りの面で優れていたからだ。


 多くの中央大陸製の武具がそうであるように、この剣もまた、数打ちの量産品だろう。

 鋼板を削り上げて仕上げたと思しきその刀身は、硬く厚みがあり、それ自体が長所となっている。


 不思議な感覚だった。

 俺にとっての長剣という武器は、苦手な得物のはずだった。

 シンボル的な憧れを抱きこそすれ、現実には体格や腕力の問題から、不向きに思えていたからだ。


 しかしいまは、そんな長剣が妙に手に馴染んでいる。 

 初めて持ったときは、「重くて扱いにくい武器」としか思えなかったというのに、だ。


 自分でも知らぬ間に、重量のある武器を扱う体が出来上がっていた。

 師匠の下で積んできた修練が、この瞬間に芽吹き始めていた。

 理由としては、そんなところかもしれないが……

 正直言って、そのどちらも腑に落ちない感が拭えなかった。


 とはいえ、そんな些細なことを気にかけている場合ではない。

 悲しいかな、今の俺はその不自然な僥倖に首を傾げる間もなく、降り注ぐ剣撃を受け止めるのに大忙しだ。

 そこにハンサが、再び問いかけてきた。


「たしかに素養はある。神殿への勧誘という線も、なくはないのだろうが……それだけで、あれだけ毛嫌いしていた冒険者ギルドの仕事まで請け負うとは到底思えん」 

「さっきから、ぜんぜん、話が――見えてこないんですけど……っ!」 

「なに、ただの愚痴だ。俺への指導は通り一辺倒のものだけで終わっていたからな」

「だからアンタ、一体なにを――ぅくっ!?」


 横薙ぎから返しの払い斬り。

 握りを入れ替えての突きからの、腕狙いの一撃。

 流れるような連続攻撃を、こちらは受け凌ぐだけで精一杯だ。


 しかも向こうは、お喋りに勤しむ余裕すらある始末。

 劣勢なのだからわざわざ相手をしてやるなよと、自分でも思うが……息も切らしていないハンサを見ていると、なにやら沸々と対抗心が湧き上がってくるのだから仕方がない。


「慣れた得物ではないと言っていたわりには、なかなかどうしてだな。最初の硬さが嘘のようだ。腹を括って逃げ回るのはやめにしたか……それとも端から油断を誘う腹積もりだったか?」

「さて、ね……!」


 ハンサにしてみても、こちらの粘りは予想外だったのか。

 後退を拒んで打ち合いに応じる俺に、彼は感心したような口振りで問いかけてきた。


「では、確かめてみるとしようか」


 その宣言と共に、ハンサが剣を閃かせてきた。

 喉口をすくい上げるような逆袈裟の斬り上げを、俺は剣を正眼に構えて迎え撃つ。


 まともに受ける必要はない。

 膂力、技量の両面で俺は彼に及ばない。

 無理に受け返しを狙い反撃に転じようとしても、逆に体を崩されて痛撃を喰らうのがオチだ。


 刃と刃が合わさる瞬間、そこを支点に剣の外側へと進み出る。

 ハンサの剣が、俺の剣の刀身を滑り上がってゆく。

 攻撃を逸らされたことで、あちらに僅かながらの隙が生じるも、しかし俺は返しの突きを見舞うことも出来ずに、守りの構えを継続させていた。


 既にハンサの構えが、攻撃のためのそれに切り替わっていたからだ。

 斬り上げの一撃が凌がれると同時に、強引に振りを止めて大上段の構えへと移行していたからだ。


 俺が迂闊に飛び込めば、頭上から容赦のない打ち降ろしが襲い掛かってきていた、という寸法だ。


 無論それは、ハンサが一撃一撃を全力で放ってきていないからこその芸当だ。

 余力を残した攻撃であればこそ、素早い制動をかけて攻めの続行が可能となる。

 逆に言えば、俺程度の相手には隙を伴うような一撃は必要がない、という左証なのだろう。


「どうした。いつまでも亀になっていては俺は倒せんぞ」

「そりゃあ、攻め手があれば仕掛けますけど。生憎、誰かさんのせいで起き抜けなんで。これっていうのが浮かばなくてですね……!」 

「そうか。ではもう一度だ。このまま先程の再現といくか。終わりたくなければ、逃げ果せてみせるがいい」 


 挑発の台詞――否。


 厳然たる事実を口に、ハンサがこちらの間合いへと踏み込んできた。



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