目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第137話 覗くもの

 目の前に、光の滝があった。

 ぼんやりと輪郭を伴い始めた視界の中で、それがキラキラと揺らめき輝いている。

 その眩しさ、美しさに、俺は思わず開いたばかりの眼を細めてしまう。


 これまで闇の只中にいたせいだろうか。

 眼前に広がる光景を、まともに判別することが出来ない。

 そんな中、俺がまず思ったのは『己の体があるか、どうか』ということだった。


 平時であればそんな発想にいたること自体、馬鹿げた話だったろう。

 しかしいまはそれが、どうにも不安で仕方がない。

 恐る恐る、俺は自分の右腕を持ち上げようとした。


 ガラン、という音がした。

 掌中から、硬い物体が滑り落ちた音だ。

 どうやら意識のない間にも、なにかを握りしめていたらしい。 


 だがそれで、指は自由になった。

 体がある。

 意のままに動かせる肉体を持っているという、実感がある。

 その感覚に安堵しつつも、指を動かす。

 指は、無意識のうちに眼前で輝く光の滝を目指していた。


 天上より降り注ぐ、光の帯。

 絶えず光彩を変えながら、微かに揺らめくそれを浴びようとして。 


「……へ?」


 俺はその光の滝を「触れることが出来てしまった」ことに、間の抜けた声をあげてしまっていた。

 指先にはサラサラとした感触。

 降り注いできていたかに見えた光は、細く長い、亜麻色の髪の毛だった。


 わけもわからず、俺はそれを指先で絡めとる。

 そのなんとも言えないこそばゆさには、おぼえがあった。

 そこに、青い双眸が飛び込んできた。 


「――はあ。ようやく目が覚めたのね。よかった……」

「フェレシーラ……なのか?」


 やや釣り目がちのその瞳と、中音域アルトの美声。

 神殿従士の少女、フェレシーラがこちらを覗き込んでいた。

 同時に、自分が置かれていた状況が頭の中で蘇ってゆく。


 場所はレゼノーヴァ公国にある、湖畔の町ミストピア。

 聖伐教団が管理する『神殿』の中にある、試合場の一角。

 場外を示す白線の上で、俺は仰向けとなっていた。


「なのか、ってなによ。なのかって。私が他の、誰に見えるって言うの?」

「いや、そりゃまあ……あっ、つぅ――!」


 フェレシーラの問いに対して、反射的になにごとかを口にしかけたところで。

 俺は肩に走った鈍い痛みに、叫び声をあげてしまっていた。


「あ、あてて……なんだこりゃ。左肩、か? いってぇ……」

「無理に動こうとしないで。続行が厳しいようなら、ここまでにしておくから」

「続行って――」


 フェレシーラの言葉に、俺は返事を詰まらせてしまう。

 意識を取り戻したばかりだからだろうか。

 少しばかり、頭が混乱している。


 一度、深く息を吸って気持ちを落ち着けてみる。

 すると自分の頭が、やわらかなモノの上にあることがわかった。


 フェレシーラの膝が、頭の後ろに当たっていた感触だ。

 どうやら俺は、彼女の膝枕の上で気を失っていたらしい。


 なんか前にもあったな、こういう状況――って。


 ヤバい。

 なんか本格的に、色々と思い出し始めたぞ。

 いまはそんなことを、悠長に振り返ってる場合じゃないんだった。


「あー……ごめん、フェレシーラ。俺、もしかして試合中だったっけ?」 

「もしかしてって……え? 貴方、本当に大丈夫? 自分の名前、わかる?」 


 くすんだ錆色の俺の髪を軽く撫でながら、フェレシーラが心配気に問いかけてきた。

 そこで俺はようやくすべてを思い出す。

 彼女はこの神殿の試合場で、審判を務めていたのだ。


「ええと。俺の名前は、フラム。フラム・アルバ……いや、フラムだ。苗字はない……んだったな」 

「ふふ。そうね。じゃあ次は、誰と試合をしていたか、フルネームで言ってみて。それがわからないようなら、即中断ね」 

「誰と……」 


 続くその言葉に、俺は横になったままで視線をチラリと動かした。

 可能な限りで周囲の様子を探ってみると、やや離れた場所に黒髪の男がいた。


 板金鎧プレートアーマーに身を包んだ、屈強な男だ。

 彫りの浅く、茫洋とした面立ちと、短く刈り上げられた髪には見覚えがある。


「ハンサ……ハンサ・ランクーガー二級神殿従士。ミストピア神殿の、副従士長を務めている人だ」 


 ハンサ・ランクーガー。

 彼は試合場の中央……開始円のある位置で、腕組みをしてこちらを待ち構えていた。


「そこまでの記憶は正常なようね。じゃあ最後に……自分がどうやって、彼に一本取られたかを答えて。その上で『治癒』の必要がないなら――ちょっと、貴方なに笑ってるの」

「あ、いや……なんか前にも、こんなことあったなって思ってさ」

「前って……ああ。『隠者の森』で、洞窟を滑り落ちたあとの話?」

「そうそう。あのときもこうやって……って、あたっ!?」 


 ふと思い出した出来事を、フェレシーラへと語り掛けていたその途中、ぴしゃりっ、と少女の掌が俺の後頭部をはたいてきた。


「こんなときに、なに言い出してるの。貴方がどうしてもって言ってたから副従士長を待たせていたっていうのに……ほら、動けるならさっさと立つ! 出来ないなら、ここで終わり!」

「ちょ、おま、そんな急に言われても……ああ、もう、わかったよ! 立てばいいんだろ、立てばさ!」


 突然不機嫌となってきたフェレシーラに急かされて、慌ててその場に身を起こす。

 頭部を支えてくれていた、やわらかな支えが消失する。

 その当たり前の帰結に、俺はなぜだか釈然としない想いに駆られていた。


「ちょっと、なにそんなにぶすくれてるのよ」

「べつに。ていうかお前、いつの間にか話しかた、戻ってるぞ。なんなんだよ……まったく」

「それは……昔の癖が出ていただけよ」 

「なんだそりゃ。たまによくわかんないなよな、お前もさ」 


 新品の合皮製のベスト、ズボン、そしてブーツ。

 更には希少な走竜の皮革を用いた肩当の埃をはたき落としつつ、俺は思ったことをそのまま口に昇らせた。 


 起き抜けなせいか、普段よりも刺々しい言い方になった気もしたが……

 勝気なフェレシーラのことだ。

 すぐにこちらに言い返してくるだろうと、待ち構えていたところ。


「……? なんだよ、お前。急に黙り込んで」

「知りません。もう勝手になさってください。どうせ先程のように、すぐにやられてしまうのですから」

「ぐ……っ! わ、わるかったな! すぐにやられてて……っ!」


 押し黙っていたフェレシーラがプイと横を向くと、そんなことを口にしてきた。

 こちらの痛い部分を的確についてくるが……口調はまた逆戻りして、お堅いものとなっている。


「勝手にしろって言うんなら、するけどさ」


 半ば独り言のように呟きながら、俺は床に転がっていた剣を拾いあげた。

 刃の潰された、練習用の片手剣だ。

 飾り気のないグリップを握りしめて、ゆっくりと呼吸を繰り返してみる。


「一本取られたときのことを、思い出してみろ、か……」 


 そうして体の調子を確かめつつも、フェレシーラの問いかけを口にする。

 朧気ながら、ハンサと行っていた模擬戦の記憶が蘇り始めていた。


 彼との試合に臨んだ俺は、戦いが始まって早々に痛撃を受けて気絶していたのだ。

 その結果自体は、いま置かれている状況からもすぐに理解出来た。


 しかし、その過程がまだ埋まりきってくれてはいない。


 転倒による、部分的な記憶の喪失が懸念されたが……軽く頭を振ってみると、意外なほどに意識はハッキリとしていた。

 手足も、思い通りに動く、

 指先の感覚もしっかりとしており、むしろ平時より鋭く感じるほどだ。


 自身のコンディションを鑑みるに、記憶の欠落は一時的なものだろう。

 さすがに、攻撃を受けたとみられる左肩には鈍い痛みがあった。

 だがそれも、大したものではない。


 身に付けていた肩当のお蔭だ。

 走竜の皮を加工した、新品の肩当……フェレシーラが、俺に見繕ろい贈ってくれた肩当だ。


 体格の良くなり始めたホムラ――俺の初めての友達であるグリフォンの雛の、その止まり木代わりとして、この町の防具屋で買ってもらった物だ。


 ごく自然に思い返されてきたその光景に手応えを覚えて、俺は首をコキコキと鳴らしつつも、手当たり次第に記憶を探ってみる。


 自分が、育ての親である『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミングから破門されたこと。

 故郷の森を彷徨い、そこでフェレシーラと出会ったときのこと。

 影人と呼ばれる魔物との戦いを経て、ホムラを連れて森から旅立ったこと。


 宿場町セブから馬車を使い、このミストピアまでやってきたこと。

 旅の目的が、レゼノーヴァの公都アレイザへと辿り着き、俺の魔術的不能を解消するためだということ。


 そこから紆余曲折、冒険者ギルドに顔を出したりとかで……

 いまはフェレシーラとの旅を続けるために、影人の調査依頼を果たすの実力を身に付けようとしていたこと。


 この模擬戦、練習試合はその一環だ。

 依頼が開始されるまでの猶予期間を用いて特訓を行うために、神殿従士を相手どっての能力確認……教育課程カリキュラム作成のために、フェレシーラがお膳立てしてくれたものだ。


 そこまで思い返してみて、視線を観客席に飛ばす。

 試合場の壁際に配された横長の椅子には、二人の神殿従士がいた。


 一人はボサボサの茶髪に、くりっとした薄茶色の目をした少年。

 軽金属鎧ライトプレートを身に付けながらも神速のカウンターを披露してきた、四級神殿従士。

 ロードミグ・レオスパイン。


 その隣にいたのは、鎖帷子チェインメイルを身に纏った巨漢の男。

 淡い金髪に、やや緑がかった切れ長の瞳を持つ、恐るべき重戦士。

 三級神殿従士、イアンニ・カラクルス。


 タイプのまったく異なるこの二人の戦士たちと戦い、俺は苦しみながらもギリギリのところで勝ちをもぎ取っていた。

 ……ちょっと自分でも信じ難いことだったが、それも思い出せていた。


「試合が始まるまでのことは、大丈夫、か……うん?」 


 齢十五の癖にして、ちょっとあやふやな記憶に当惑しつつも。

 俺は次々に押し寄せてくる記憶の波の中に、奇妙な代物が混じっていたことに気がついた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?