「ゼスト――私の弟が乱心した原因は、貴方がたも薄々勘づいているとは思いますが……これに関しては、やはり奈落に満ちた瘴気にあるようです」
アーマが、伏し目がちとなり長たちに告げてきた。
「地上で荒ぶる神となったゼストは、私の知る彼ではありませんでした。それどころか対話も叶わず……私のことも、覚えてはいない有様でした」
「それは……ゼストさまのお力をもってしても、抑えきれなかったということですか」
務めて冷静に振る舞っている――
そんな様子を見せてきた女神に、バアトはかける言葉が見当たらず、先回りするように結論を口にした。
どうやら、怖れていたことが現実となっていたらしい。
「ノーシュの言っていたことは、真実だったのですね。ゼストさまが、魔人の神……魂絶神を称して地上を攻めるように命じたというのは」
「はい。そしてミシェラは魔人王を討ち果たした後に、アーマに魂源神の名を冠して地に広めていました。きっと、世に満ちた魂絶神への畏れを拭い去るための、苦肉の策だったのでしょう」
「それは、そうなのかもしれませんが……結果としてあなたさまは、弟君と争うにことになってしまわれた。私どもの力が及ばなかったばかりに……」
「詮無きことです。元を辿れば、すべては私と弟の力不足ゆえ。どうか気に病まないでください。貴方がた種族長は、長きにわたり地上の発展に尽力してくださいました。そんな者たちを誰が責めることが出来ましょうか」
「……勿体なきお言葉です」
アーマからの労いの言葉に、バアトのみならず皆が頭を垂れた。
「それにしても……気になってたんだけどよ」
「こら、ベルギオ……! アーマさまの御前なのだぞ! 口の利き方に気をつけぬか……!」
「構いません、バアト。普段通りに話してもらえたほうが、私としても気が楽です。それで……ベルギオ。なにが気になったのですか?」
「あっ、はい。すんません、長く合わないうちに口が悪くなっちまって……ええと、ですね」
冷や汗を流すバアトの隣で、ベルギオが頬を掻きながらアーマに問いかけた。
「さっきアーマさまが、ようやく俺らを見つけた、って言われてたのが……どうも気になって」
「うむ。たしかに儂も気にかかった。アーマさま自ら、お迎えに来てくださったわけだしのぅ」
「その言いかただと無事では済まなそうな感じしかしませんが……右に同じくです」
「お、お前ら……揃いも揃って、気安いぞ! 大恩あるアーマさまに対して、なんだその言いようは! 不躾だぞ! 不遜だぞ! 不敬だぞ!」
便乗する形で口を出してきたディルザとラパーニに、顔を蒼白にして叫ぶバアト。
そんな彼らに、アーマは懐かしむような微笑みを向けていた。
「良いのです。私たちはもう、主従というには相応しくない間柄でしょう。ゼストのことも含めて……古き時代とは、決別すべきときが来たのです」
「なるほど。いまの時代には、いまの立場とやり方が相応しいってことですか。さすがアーマさま、話がわかるぜ」
「そういうことなら、こちらとしても助かりますわい。なにせ、見た目がミシェラのお嬢ちゃんと瓜二つじゃし……ついつい顔が緩んでしまうでな。のう、ラパーニ」
「同感ですね。それに、アーマさまの意思は何事にも優先するべきです。ですからここは……バアトも無理せず、甘えてしまうべきだと思いますよ」
「わ、私はべつに無理などしておらん! ま、まあ、アーマさまがそうしろと仰るのであれば、従うより他にはないが……」
話がどうにも、おかしな方向に流れてしまった。
ベルギオの横やりに迷惑げな面持ちで返しながらも、バアトはふとした疑念に駆られていた。
本当に、ミシェラはこの世から去ってしまったのだろうか。
もしかしたら、彼女も自分たちと同じように無事に済んでいて。
アーマさまのフリをして、こちらをからかっているのではないだろうか。
……目の前にいるアーマを名乗る少女は、それらしく話を作っているだけで、自分が女神であるという証左を持ち合わせてはいないのではないか。
そんな疑問を、バアトは頭を振り、思考の片隅に追い散らしにかかった。
突然現れた彼女の言動を、無条件に信じるわけではない。
かと言って、軽々しく女神を試すような真似は、自分には出来ない。
そう己を納得させて、バアトは深く息を吐き下ろした。
「話を元に戻しましょうか。たしか、私が皆を探していた理由についてでしたね」
皆で一頻り言葉を交わしたあと、アーマが掌を差し出してきた。
そこには握り拳ほどの、透明な球体が煌めいていた。
混じり気なしの上質な水晶玉にも似た、しかし実体を伴わぬ代物だ。
なんの支えもなしに宙に浮く球体に、自然、長たちの視線が集まる。
見れば球体の中には、彼らに見覚えのある光景が映し出されていた。
「これは……我が子らの――竜人族の、住まう秘境の地……!」
「ああん? バアト、お前なんか見間違えてしてねえか? 俺には獣人族が塒にしてた、森と山に見えるぜ?」
「いやいやいや……それを言ったらベルギオもじゃろ。儂には鬼人族が縄張りにしとる、岩地に見えるぞい」
「ふむ。私には兎人族が集う大平原に見えていますが……なるほど。つまりこれは、それぞれの種族が領土とする場所が見えているわけですね」
アーマの見せたのは、見る者により映るものの変わる『遠見』の奇跡だった。
その答えにラパーニがいち早く辿り着き、ポンと手と手を打ち鳴らす。
「ラパーニの言うとおりです。さすがは術法の祖と謳われるだけはありますね」
「いやぁ……それほどでも。しかし見た感じ、随分と閑散としているというか……荒れ果てているように見えますね。私たちが地上にいた時代よりも、更に荒廃しているということは……これが現在の地上の様子ということなのでしょうか」
「はい。それも、指摘のとおりです。ミシェラの尽力もあり、ゼストと魔人たちを地上より退けることはからくも叶いましたが……その傷痕は深く、
アーマが語る合間にも、球体は次々に地上の惨状を種族長たちに見せつけていた。
故郷の村々を失い、放浪する人々。
いまだ地に蔓延る、魔物の脅威。
絶対的指導者の不在に、戸惑う諸王と将軍たち。
「これは……予想していたよりも深刻な状況のようですね。魔人が去ったといっても、これでは子らが安心して暮らせるとは言い難く思えます。アーマさまからの庇護を失ったとなれば、尚のこと……あ、いえ。決してアーマさまに無理を言うわけではないのですが……魂絶神との闘いを終えたばかりで、疲れも溜っておいででしょうから」
「気を使わせますね、ラパーニ。ですがそれこそが、私が貴方がたを探していた理由なのです」
「この地上の状況と、アーマさまの状態が……ですか」
アーマとラパーニの会話を情報として耳に入れながらも。
バアトは、目の前に浮かぶ遠見の奇跡を無言となって見つめていた。
「ご覧になってもらったように、地上はいまだ危険な状況を脱したとは言えません。そしてこの私が、ミシェラの体を借りて直接的な加護を与え続けることにも、限界が来ています。これ以上無理をして子らの元に留まったところで、限られた奇跡と恩寵を求めた人々の間で諍いが巻き起こり、それが新たな火種となるだけでしょう」
「そんな……それではなんのために、ミシェラが……いえ、アーマさまが尽力して下さったのか、わからないではないですか。せっかく皆が一つにまとまり、魔人に立ち向かっていたというのに……」
ようやく魔人との闘いを終えたというのに、自らの手で争いを起こしかねない。
我が子らの有様を告げられて、ラパーニが落胆の声を洩らす。
そんな彼女を前に、アーマは静かに首を横へと振っていた。