「まず初めに、結末から伝えます。貴方がたが地上を去ったあと……私は、奈落の底より現れた魔人の神ゼストと闘い、これを退けました」
「な――」
淡々としたアーマの言葉に、バアトが声を詰まらせた。
ベルギオも、ディルザも、ラパーニも、一様に同じ有様だった。
「そ……それは一体、どういうことなのですか!? ゼストさまが、魔人の神で、あなたさまと……あなたさまが、弟君と争われるなどと! それに、ミシェラと魔人王……ノーシュはどうなったのですか!? 失礼ながら、話がまったく見えてきませぬ!」
「魔人の王はその配下の軍勢共々、ミシェラと諸王により討たれました。ゼストが魔人を率いて姿を見せたのは、そのあとのこと……地上の月日にして五十年ほど後のことです」
続いてやってきたアーマの返答に、バアトは今度こそ完全に言葉を失った。
「魔人王を上回る脅威となったゼストに対して、ミシェラは諸国の王と手を携えて、果敢に立ち向かいました。ですが……力及ばず地上はゼストに踏み荒らされ、大地は六つに立ち割られ、その連携も打ち崩されてしまったのです。貴方がたの番いも、次々と命を落としていきました」
絶句する種族長たちを前に、女神が事の顛末を語ってゆく。
ミシェラが魔人王を斃し、地上の子らを導きそれぞれの国を育て上げたこと。
それから五十年が過ぎ去り、ゼストが悪神として地上を荒らしまわったこと。
長年寄り添った番いが、自分たちよりも先に逝ってしまっていたこと。
すべてが、衝撃に満ちた出来事だった。
幾らアーマの言葉とはいえ、信じ難い話だった。
しかしいまは、それを論じている場合ではない。
ゼストを打ち払ったアーマが、なぜミシェラの姿をしているのか。
……連想される結末は、自ずと過程と繋がりをもった代物にしかなってはくれなかった。
「ミシェラは子らを護る最期の手段として、地上への私の降臨を願いました。己の命と肉体を代償として……」
茫然として己を見上げる長たちから、女神が目線を逸らして告げてきた。
「そうして私はゼストと闘い……荒れ狂う彼を、奈落へと突き落としました。貴方がたを探し始めたのは、その後のこと。地上界と天界の狭間で、ようやく皆を見つけることが出来たのです」
「そんな……そんな、馬鹿な……」
神を呼び寄せるために、自らを犠牲とする。
仲睦まじかった、恩義ある双子の神を争わせる。
自分たちが不在であった地上を、護るために。
「なんて、なんて馬鹿なことを……ミシェラ……すまない……私たちが、不甲斐ないばかりに……あぁ……そんなことも知らずに、私は……私は、お前を……!」
「どうか己を責めないでください、バアト。弟と争うことを躊躇い、地上への干渉を避けた私にも責があるのです。貴方がたはこれまで、良くやってくれました。どうか、顔をあげて……立ち上がってください」
アーマの話には、続きがある。
そしてそれが、愚かな自分に対する罰なのだろうとバアトは考えた。
眩む視界に耐えつつその場に立ち上がると、仲間たちがそれに続いてきた。
皆、憔悴しきった顔をしていた。
しかしそれでも、抱えた意思に違いはなかったのだろう。
「……申し訳ありません。お見苦しい姿を見せてしまいました。我が子らと、ミシェラを救っていただき、感謝のしようもありません。しかしながら、どうしても気になることがございます」
「ええ。どうぞ、遠慮なく聞いてください」
「ありがとうございます」
可能な限り、気持ちを落ち着けて……バアトが女神と相対した。
「私どもの質問は三つです。一つ目は、なぜアーマさまが、地上を離れられたいまもミシェラの姿をとっておられるのか。二つ目は、なぜ私どもが、五十年間この場所にいたのか。三つ目は、なぜゼストさまが、地上を脅かすことになったのか」
「わかりました」
その質問に、アーマが頷き口を開いてきた。
「一つ目の質問……私がミシェラの姿をしているのは、ゼストと闘う際に彼女の肉体を依り代として借り受けた結果です。ですが、それはあくまで仮初の器としてのことでしたので、こちら側に帰還すれば本来の姿に戻るとばかり思っていたのですが……どうやら地上で興されたアーマの教えが、私の外的霊格に影響を及ぼしてしまったようです」
「アーマの教えと、外的霊格……」
「アーマの教え――アーマ教は、ミシェラが地上の子らを保護する上で創り上げた、神の教義です。魔人との闘いを制した彼女は、一時は自身が神として人族の子らに崇め奉られていましたが……それを次第に女神アーマへの信奉に移行させたことで、より多くの人類種の子らの、心の平穏と意志の統一を成し得たのです」
「なんと。あのミシェラが、そこまでの大業を……いや、彼女だからこそ、か……」
一人地上に遺してしまった少女の苦難と偉業を想い、バアトが唇をきつく噛み締めた。
「アーマ教において、女神への信奉と聖母となったミシェラへの崇拝は切っても切り離せないものだったのでしょう。既にゼストとの闘いが起きた時点で、彼女と私の存在はほぼ同一視されていました。その上で、私が彼女の肉体を借り受けて降臨したことで……子らの抱えていたアーマへのイメージは、完全に固定化されてしまいました」
「それはもしや……地上の子らの想いが、貴女さまのお姿を変えてしまったというのですか? だとすれば、神に対してなんと畏れ多い……」
「そんなことはありません。むしろミシェラの功績を思えば、誇らしくさえあります。貴方がた種族長からすれば、落ち着かないと思います……」
「い、いえ……! 私こそ、そんなことは決してありません! ミシェラもアーマさまにそこまで言っていただけたのであれば……本望かと思います」
アーマ教が興された経緯と、女神の変容に戸惑いを抱えながらも。
バアトは主に罪悪感を抱かせまいと、己自身を納得させていた。
「では、二つ目の質問……なぜ貴方がたが、この狭間の空間にいたのかですが。これは正直に言って、私にもよくわかってはいません。ミシェラの話では、突然姿を消したとしか……」
「アーマさまでも、おわかりにならない……そんなことが、あり得るのですか?」
「無論です。この世に完全なものなどありません。女神などと讃えられたところで、出来ることには限りがあります……ゆえに、地上と天界の緩衝地帯であるこの狭間の存在を知ってはいても、そこに突然、貴方がたが現れるのを予見することは不可能でした」
「神とて未来はわからない、ということですか……」
「ええ。……失望させてしまいましたか?」
「め、滅相もありません!」
「なら、良かったです。ふふっ」
「な……おま――い、いえ……! 失礼を、いたしました……っ」
慌てて手を振り否定の意思を表していたバアトに、アーマが悪戯っぽい笑みを見せてきた。
その表情がまるでミシェラ本人のようで、バアトは反射的に彼女を窘めそうになった自分を抑え込むのに苦労した。
釈然としない想いに駆られつつも、二つ目の質問は終了となった。
残る三つ目の質問は……もっとも聞きづらい内容のものだった。
だがしかし、バアトにとっては意外なことに。
「それでは最後に。なぜゼストが魔人王を操り、地上に争乱を巻き起こしたのか。その理由をお話しないといけませんね」
アーマはその表情を曇らせることもなく、その質問に答えてきた。