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第129話 『逆光』

「バアト!」 

「に、げ……ろ……ッ!」 


 バアトがミシェラに指示を飛ばす。

 最早自身にそれは叶わぬことを知った上での言葉だ。

 残る長の中で魔人王から逃げ果せられるのは、この少女しかいない。

 それを、ミシェラ以外の全員が理解していた。


 ミシェラの眼前で、ベルギオの腹部から剣が抜け飛ぶ。

 しかしそれは、彼の傍にいたラパーニの手によるものではなく……ましてや、彼女に治療の機会を与えるためのものでもなかった。


 銀の剣は、独りでに宙へと浮いていた。


 陽光を受けて鈍く朱色に輝くそれが、魔人王が頭上に掲げた右腕へと収まる。

 ベルギオの腹から噴き上がった鮮血が、ミシェラの両腕を濡らす。


 いまならまだ治療が間に合う。

 これ以上誰も死なせてはならない。

 微かに残された思考能力でそれを選択しかけたミシェラの眼前に、何者かが飛び出してきた。


「かひゅ……」

「――ぇ」 


 声の代わりにやってきたのは、喉から空気が洩れ出る音と、見知った兎人の女性が倒れゆく姿。

 魔人王が振るった剣とミシェラの間に立ちはだかり、なんも守りもなく斬撃波を受けたラパーニがそこにいた。


 鮮血が、またも噴き上がる。

 今度は細い喉首から、ミシェラの頬を目掛けるようにして止めどなく。

 アトマを使い果たしていた兎長の体から、残された生命の力すらもが抜け落ちてゆく。


「随分と無茶な真似をしてくれる」


 そこに、魔人王が声を投げ掛けてきた。

 瞬く間のうちに仲間を打ち倒した男へと、ミシェラが呆然とした眼差しを向ける。


「なにを、言って……」 

「言葉の通りだ。皆、自ら死に急ぐような真似をする、とな。ディルザのように五体満足であればともかく、消し炭となってはこれまでの行いが無駄となるやもしれぬというのに」 

「なにを……なにを言っているのですか! 貴方は!」


 黒胡桃の杖を手に、ミシェラが立ち上がった。

 そこに銀の剣が振るわれてくる。

 空へと放たれた刃が、少女の右足を捉えて切り刻む。


「死に急ぐ……? 行いが、無駄に? こんな……こんな真似をしておいて、なにを貴方は……ノーシュ! 貴方は!」 


 走る激痛に歯を食いしばり、彼女は叫んでいた。

 そうしながらも、彼女は自覚する。


 自分に残された力は、殆どない。

 神器である杖も、限界を迎えかけていることは『転移』直前に『浄化』の波動を放った際にも感じていた。

 傷を癒すことで助けられるとしたら、負傷の程度からして一人か二人だけだろう。

 しかしそれを、目の前の男が見過ごすはずもない。


 ならば、最期に果たすべきは。

 例え相打ちとなっても、この愚かな番いを屠り去ることしかありえなかった。


「交渉は不可能なようだな。出来れば、お前は巻き込みたくなかったが」

「そんなこと、どの口で!」 

「そうだな。いまならこちらの好きに出来るというもの。余計な邪魔立てが入らぬうちに決着をつけるとしよう」 

「望むところです!」 


 杖を振りかぶり、ミシェラが突進する。

 残るアトマを振り絞り、負傷した体を強引に前へと押し出す。


 大上段の打ち下ろしを、魔人王が斬り上げで迎え撃つ。

 滑るようにして繰り出された銀閃が、黒胡桃の杖をその中程から斬り飛ばしていた。


 ベルギオの踏み込みにも迫ろうかという決死のミシェラの突進を、魔人王が超人的な反応速度でもって受け凌ぐ。


 体勢を崩したミシェラに返しの袈裟斬りを見舞わんとして、その左腕が持ち上がり、そして制止する。

 剣柄を握り締めるための彼の掌は、しかし竜長の意地に焼き焦がされたままだった。


 魔人王が大きく退く。

 ミシェラの攻めが、己の得意とする連携を引き出すための捨て石だったのだと、遅まきながら理解する。


 ミシェラが右腕を突き出す。

 その先端を斬り飛ばされながらも、灯る輝きを尚も増してゆく神器を握りしめたまま――


「変わりませんね! そうやって、すぐ逃げだす癖だけは!」 


 叫ぶ少女の眼前で、光輝が膨れ上がった。 

 魔人王が退く。

 剣に力を注ぎ込み、急ぎ宙へと舞い上がる。膨張してゆく光が、陽光すらも圧してすべてを照らしあげる。


「無駄です。もはや『転移』の時間も与えません。何処に逃げようとも、剣で防ごうとも。この一撃で消し飛ばして差し上げます」


 既にミシェラの体は、神器の力を放つ為だけの支えとしての役割しかもっていなかった。

 すべてのアトマを杖へと注ぎ込み、敵を滅するだけの支柱でしかなかった。


「貴方自身が創り上げたこの杖の、神に迫らんと欲した力。己が罪の報いとして――受けよ、魔人の王!」


 決別の一撃が空を薙ぐ。


 捻りを加えて撃ち出された光の波動が、螺旋を描きすべてを呑み込む大渦となる。

 地にあるものを吸い上げんとし、空にあるものを喰わらんとする力の奔流の、その中心で。


 魔人の王が、縫い付けられるようにして存在していた。


「――!」 


 銀の剣の刀身が異能を成さんと明滅するも、ただ一瞬にして砕け散る。

 闇色の甲冑に光が喰い込み、拉げ潰れてゆく。

 絶叫することすら叶わぬままに、魔人王が藻掻き苦しむ。


 ミシェラの面差しが、苦悶の表情に歪む。

 それは荒ぶる神器の権能を引き出しきった故の、反動からきたものか。


「ァア――」 

「終わりです――終わって、ください……!」 


 罅割れを起こし始めた杖を黒い影へと突きつけながら、ミシェラが祈る。


 砕け散ってゆく感覚だけが、彼女の中にあった。

 それはミシェラという自我が消失してゆく、魂が砕けゆく感覚だった。


 魔人王を斃す。

 人類種の天敵を、この手で斃す。


 それが成る。成せる。成せてしまう。

 生まれたときから連れ添ってきた人を、この手で斃す……否、殺してしまう。


「ノーシュ……ノーシュ……いや……こんなの、いやぁ……皆、なんで……どうして、こんなことに……」 


 中天を照らす光の渦に隠れて、少女の頬よりポタポタと透明な雫が落ちる。


 子らの為に。誰かの為に。未来の為に。

 ここでいま、決着を付けねばならない。

 そんな責任感だけが、彼女を支え縛っていた。


 それはどうしようもない、矛盾だった。

 いまのミシェラは人長として闘いの場にいる。

 しかし本来の人長は、他ならぬノーシュその人……今まさに、彼女が手にかけようとしている相手なのだ。

 すべてがあべこべだと、彼女は言いたかった。 


 こんなことなら、彼が奈落の蓋を壊してゼスト様に逢いに行くと言った、あのときに。

 なんとしてでも、命に代えてでも、集落に引き留めておくべきだったのだ。

 皆の笑顔の為にと旅立っていった彼に、子供たちと一緒になって駄々を捏ねてでも、思い留まらせておくべきだったのだ。


「ミ、シェ……ラ」


 ぐるぐると堂々巡りを繰り返す思考の渦の最中、聞き覚えのある響きに、彼女は天を見上げた。


 そこにはなにもない空で、バタバタと襤褸切れのようにはためく人影があり、


「……スマ、ナイ……」

「――あ」


 事あるごとに聞かされていた、その懐かしい声に、


「嗚呼あああああぁぁああaaaaaaa――!!」


 少女の中で、なにかが音を立てて壊れた。


 同時に、黒胡桃の杖が微塵に砕け散る。

 粉々となり宙に舞い上がったそれが、光の渦の中にあった銀の煌めきと混じり合う。


 直後、触れる者に滅びをもたらすアトマの光が逆巻き始めた。


「死なないで、ノーシュ……しなないで、しなないで、しなないで、みんな、しなないで……ディルザおじいちゃん、ベルギおにいちゃん、ラパちゃん、バアトおねえさま……のーくん……みんなしなないで。アーマさま、ゼストさま……かみさま。おねがいですから……」


 逆巻く力と光輝の中心で、ミシェラはただ願っていた。


 生命いのちの理に逆らうための力の顕現を。

 人の身では手の届かぬ奇跡の降臨を。

 世の理を捻じ曲げるほどの、祝福を。


 天の頂と地の底に向けてまじなうように、ひたすらに願い続けていた。



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